大スタア
鉄道、船舶、飛行機など……。
今や、様々な方法により国内はもとより、諸外国への旅行も可能となっているロンバルド王国であるが、その国民にとって一番人気の観光地はどこかといえば、それはラトラ獣人国を置いて他にないだろう。
――ラトラ獣人国。
国と名乗ってはいるが、事実上、ロンバルド王国の属国である。
ファイン皇国を追い返し、復興への道のりを築けたのはかつての正統ロンバルドあってのことであるし、そもそも、国の象徴であるウルカ姫は、ロンバルドの王アスルと婚姻関係にあるからだ。
そんな獣人国の政は、ロンバルド王国に先んじて民主的な議会制が採用されている。
ロンバルド王国が統合されてからの数年は女王ウルカが先頭に立っていたものの、妊娠により、長期間に渡って実務が不可能となったためだ。
というよりは、初期の数年を基礎作りに当て、後顧の憂いがなくなったからこそ、世継ぎを作ったというのが真相であろう。
ともかく、ロンバルド王国の意向を大いに反映させることへ定評のある歴代内閣は、獣人国をエンターテイメントに特化させた国として発展させてきた。
これは、ファイン皇国の統治下にあってもなお残された獣人国の伝統的な街並みが、他の国からはひどく魅力的でエキゾチックなものとして映ったからである。
街そのものをロケ地として撮影された各種の剣客映画は、ロンバルド王国や徐々に発展を見せている諸外国でもヒットを飛ばし……。
それを元手に再建した各種の史跡も、映画の撮影舞台や観光資源として大いに活躍し、他国から金を呼び込む好循環が形成されているのだ。
では、そんな獣人国において最大のスターはといえば、これは獣人ではない。
――ベルク・ハーキン。
ハーキン辺境伯家の当主であり、アスル王の親友たる人物である。
今の彼は所領の管理を家臣に任せ、自領よりもラトラの都に滞在している時間の方が長くなっていた。
都の郊外に存在するハーキン邸は、彼の栄光を象徴する建築物であり、そこらの大名屋敷では及ばない程の大きさを誇る内部には、殺陣の練習をするための道場まで存在しており、時には映画のロケ地として使われることもある。
そんな邸宅内の道場で、今、二人の男がタオルで汗をぬぐっていた。
一人は、この屋敷の主であるベルク・ハーキンその人だ。
五十の境目も近いはずの年齢であるが、その顔にはしわひとつ見られず、ただ風格のみが増した理想的な年の取り方をしていることがうかがえる。
出世作にして代表作たる『騎士侍がゆく』は、この男を主演としていなければ評価が大きく変わっていたことだろう。
一方、向かい合う形で木刀を置き、汗をぬぐっているのは猫科の特徴を宿した獣人男である。
ベルクよりはひと回り年下だろうその男を知らぬ者は、この獣人国に存在すまい。
彼こそは、現在の首相……。
内閣総理大臣タスケであった。
「さすがです。
拙者より、ずいぶんと年上であられるのに、動きのキレに衰えがない。
出演される映画の殺陣が好評なのも、うなずけますな」
「何、私の剣はあくまで銀幕の中で映えることを意識した見せかけのものだ。
それより、そちらの方はずいぶんと運動不足なのではないか? 少しばかり太ったようにも見えるぞ? 内閣総理大臣殿」
ベルクに指摘されたタスケは、照れくさそうにしながら後頭部をかく。
「いや、はや……政権運用などするものではありませんね。これでは、剣の腕が錆びつく一方だ。
思えば、風林火の一員として各地を駆け巡っている頃の方が、充実していたような気もします」
「だが、当時は嫁も子供らもおるまい?
察するに、肥えた理由は運動不足に加え、嫁の作る飯が美味すぎるからではないか?」
「ははは、ご明察!
サシャは、拙者ごときには過ぎた嫁です」
ますます照れくさそうにしながら、タスケが笑みを浮かべる。
彼の嫁はアスルにとって妹弟子であり、結婚にあたって、あの男はあれこれと口出しをしていたが……。
どうやら、眼前の男と夫婦になったのは正解であったようだ。
「ふふ、結構なことだ……」
そう言いながら、スポーツドリンクで喉を潤す。
すると、同じようにドリンクを手にしながら、タスケがそういえばと尋ねてきた。
「ベルク殿は、嫁を持たれないのですか?
その気になれば、選び放題な立場であると思いますが?」
「ふっふ……よく聞かれる質問だ。
中には、ちょっと女性と食事をしただけで、邪推する輩もいるな」
ドリンクを飲みながら、軽く笑みを浮かべてみせる。
これこそは、得られる立場にありながら、あえてそれをしない男の余裕であった。
独身貴族とはよくいったもので、あえてその立場であるからこそ得られるものを満喫しているのである。
「今は……いや、この先も、嫁を迎えることはないだろうな」
「え、そうなのですか?」
なぜだろうか……。
心底から意外といった顔で、タスケがそう聞き返す。
「何しろ、忙しいのでな……。
時間というものが有限である以上、必然、色恋沙汰に割く時間はなくかってしまう」
そこまで言うと、ドリンクの入った容器を床に置いた。
「それに、そのような暮らしを謳歌する者は、存外、珍しくないらしいではないか?」
「確かに、それはその通りですね。
議員の中には、結婚率と出生率の低下を問題視している者も多い」
政治家として、それは課題のひとつでもあるのだろう。
ベルクの言葉に、タスケがうなずく。
「さもあろう。
かつての時代、農民にとって、子供というのは一種の財産であった。
食うものは自分たちで生産しているのだから、育てるのに元手はかからない。
そして、ある程度まで育った子供は、労働力となる」
「獣人国の農村では……そして、おそらくはロンバルド王国のそれでも、一般に見られた光景ですな?」
「うむ……。
しかし、その農民が畑を捨て、都会で生きるとなると話は変わってくる。
食い物は買わねばならぬし、そもそも、今の世では食い物以外にも、子供へ与えねばならぬ者は数多い。
教育、医療、服、娯楽……。
みすぼらしい服を一張持っているだけの子供が、枝切れを振り回して騎士ごっこをするような時代ではなくなったのだ」
そこまで言うと、腕を組む。
「そして、時間を充実させてくれる娯楽や、打ち込める趣味もまた数多くなった。
恋愛くらいしか、楽しむことのない時代は終わった。
結婚し、家庭を築き、子を授かる……。
それが人生のモデルケースとなる時代は、過ぎ去ったのだ」
「しかし、その結果として、人口は減少傾向を示しています」
「別に構わぬのではないか?」
ベルクとて、辺境伯の地位を返上したわけではなく、その意味では政治家の一人といえる。
そんな立場としては、暴言ともいえる言葉を吐き出した。
「そもそも、各種のテクノロジーによって、社会を維持するのに必要な最低構成人数は極限まで減っている。
アスルが対面したという惑星の意思……。
これを怒らせず、ほどほどのところで居候させてもらうには、人口爆発は避けた方が良い。
そう考えてみると、案外、これは好ましい事態だと思うぞ」
「ははあ、なるほど……。
確かに、人が増えればどうしても――最低でも住む場所を確保するための開発が、必要となりますからな」
「うむ。
完全に孤立してしまっては問題だが、単身世帯の増加と少子化は、前向きに受け止めねばならない世の流れであろうな」
うなずいてみせると、それでもなお、タスケが不思議なものを見るような視線を向けてくる。
「ですが……よろしいのですか? 本当に?」
「? 今も言っただろう?
私は、スターとしての地位と今の暮らしに十分満足している。
幸せなものさ」
「そこまで言うのならば、これ以上は触れませんが……」
妙なことを聞いてくるものだ。
確かに、買い物へ行って必要な物を買い忘れたような違和感はあるが……。
どうせ、大したことはあるまい。
そう考えて気を取り直し、その後はタスケと酒を楽しんだのである。
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世継ぎを作らなかったので、ハーキン辺境伯家は途絶えた。




