二代目ファイン皇国皇帝
こと、地上の輸送手段において、鉄道を上回る乗り物は存在しない。
エネルギーにせよ、一度の運搬量にせよ、あらゆる効率で他の追随を許さないのだ。
ここロンバルド王国では、その点に着目し、国土の再開発を始めた当初から計画的に路線が張り巡らされ、各駅を起点として土地開発が進められた。
安く、しかも時間に正確なこの乗り物は、人々の足として――あるいは、物品を運ぶための運搬手段として、大いに貢献したのである。
しかし、どんなものにも欠点があるように、当然ながらこの乗り物にも短所があった。
宿命として、駅以外の場所で降車はできず、その穴埋めは、別の移動手段で補う必要があったのである。
例えば、今夜、女たちが乗り込んだ自動車のような……。
「予定通り、王国ホテルへ」
後部座席へ乗り込んだ二人組の内、白金の髪をした女が運転席にそう告げた。
美しい、女である。
年の頃は四十代の後半と思えるが、加齢による色あせというものが一切感じられない。
むしろ、過ぎ去った時間をそのまま美として吸収しているかのような……。
そのような、一種理想ともいえる年のとり方をした女なのだ。
『了解しました』
女の言葉に、運転席から声が返る。
ならば、運転者がいるのかといえば、そうではない。
前の座席は、完全な空席であった。
ばかりか、ハンドルやブレーキなど、運転に必要なデバイスそのものが格納されており、表向きに存在するのは各座席に備わったタッチパネルのみだったのである。
――ノー・ドライバー・モビリティー。
正統ロンバルドが建国され、ひとつのロンバルドへ統合された当初こそは、有人式の自動車が用いられた。
しかし、位置情報を把握するためのチップを組み込んだ道路が国土中に敷き詰められ、もうひとつの王都とも呼べる街ビルクにデータセンターが建設されると、早々にこの方式へ一新されたのである。
「なんとも、味気ないものだな」
走り出した車内で、女――ワム・ノイテビルク・ファインがそうつぶやいた。
「ですが、効率的です。
それぞれが、好き勝手に移動を行っていたら、たやすく渋滞が発生してしまい、それに起因する経済的損失が生まれてしまいますから。
その手段があるなら、最初から統制してしまうのが、全体の利益になるということでしょう」
隣に座った女が、そう答える。
漆黒の肌に銀の髪、そして短剣のように鋭い耳を備えたその女は、エルフ……それも、大陸北方で見られるダーク種とも呼ばれる種族であった。
「そうは言うがな。
やはり、自分で思うがままに動かし、エンジンの力強さを感じるのが楽しいではないか。
なあ、ヨナよ?」
自身の腹心とも、分身とも呼べるエルフ女に、ワムがそう告げる。
「そう思われるのでしたら、あちらの道路に合流されますか?」
しかし、副官はにべもなくそう言うと、窓の外に流れる景色の一端を示したのであった。
そこにあったのは、王都の中を環状する高速道路であり……。
――ヒャッハー!
遠く離れている上、車の窓を隔てているというのに、ここまで届きそうな程にヒャハりながら、バイクを爆走させるモヒカンたちの姿があった。
透明な強化壁で覆われた高速道路を走る彼らの姿は、ここフィングの風物詩ともいえるものである。
先ほどワムが言ったように、いかに効率的であろうとも、自分で運転することに爽快感を覚える人種は多い。
ゆえに、ああいった高速道路の一部車線では、有人による運転が認められているのだ。
「いや、よそう。
魅力的であるが、彼らモヒカンの姿を見れば、護衛たちが怖がる」
ワムはそう言いながら、前方の窓とバックミラーを見やる。
ワムたちの乗った車を挟むように走行する車両には、ギルモアを始めとする護衛たちが乗り込んでおり、彼女が無情な決断を下せば、彼らもタフボーイたちが暴走する危険地帯へと乱入せねばならなかった。
「それにしても、あれからおおよそ二十年か……。
我らが祖国統一で四苦八苦している間に、ずいぶんと水を開けられてしまったものだ」
気を取り直し、王都の街並みを眺めながら、ワムがそんな言葉を口にする。
車窓を流れゆく景色は、夜間だというのに街頭やネオンで昼間のごとく輝いており……。
コンクリート製の高層ビルが立ち並ぶ様は、まるで別の世界へと紛れ込んでしまったかのようであった。
「あらためて意外だったのは、ビルクではなくここフィングを王都として定めたことですね。
確かに、今現在の景色は見事なものですが……。
いまだ再開発のために重機が動き回っている地区も多いようですし、すでに出来上がっている箱を崩して造り直すよりも、ゼロから組み上げていった方がよほど楽そうに思えますが」
同じように景色を眺めながら、ヨナが疑問を口に出す。
そんなエルフ女に対し、ワムは腕を組みながら答えたのである。
「そこはやはり、国民感情に寄り添ったのだろう。
ここ、フィングこそが王都。
フィングこそが、国の中心。
そう刷り込まれた心を変えるよりは、街を生まれ変わらせる方がたやすいと踏んだのだ。
宗教的なシンボルもあることだしな」
ワムがそう語ると、ちょうど、その宗教的シンボル――遠くの大聖堂が目に入った。
ロンバルド城と共に、内部へ近代的な改修を施しつつも変わらぬ佇まいを誇るそれは、ここ王都にとってなくてはならぬ中心地のひとつである。
かつても今も、信仰の中心地としての役割は変わらぬ。
しかし、遠方からの人の行き来がたやすくなり、自分がそうしているように諸外国から訪れる者も増えた今となっては、それ以上に、観光資源としての重要性が増しているのだ。
「自動車、電車、飛行機……。
今後、交通手段が整備され、外国からの観光客も迎えるようになると、ああいったものがあるのは実に有意だな。外貨を稼げる。
我が国においても、歴史ある建築物などは積極的に保護していかなければ」
「そうなると、かつての時代、侵攻した先の文化破壊を行ったのが悔やまれますね」
誓いと共にそう語ると、隣のヨナが涼しい顔でそう言った。
「そう言ってくれるな。
占領地政策というものは、徹底して与えるか、徹底して奪うかの二択よ。
父上とて、このような世が早々に訪れるとは、夢にも思っていなかったろうさ」
苦笑いしながら、告げる。
偉大な父皇帝の時代、ファイン皇国は版図を広げる傍ら、占領地の固有文化を徹底して破壊し続けた。
その代償といえるのが、先皇帝亡き後からつい先日まで続いた長き動乱の時代であり、たった今、話題とした観光資源の問題なのである。
「と、着いたぞ。
さすがは、ロンバルド。
宿ひとつ取っても、豪勢なものだ」
自動車が停車し、車窓からその建築物を見上げながら、感心の声を上げた。
――王国ホテル。
文字通り、王国一の……ひいては、世界一の宿を目指して建設されたそれは、天を突くような高層建築物である。
内部には、宿泊するための設備だけでなく、カジノや劇場、プールなども備えており、外国からの賓客を大いにもてなし、また、絞り取るための備えがされていた。
「そに豪勢な宿に、諸外国からの来客が続々と集結しています。
ゆめゆめ、油断されませんように」
少し浮かれた自分に、腹心が釘を刺す。
本日からしばらくの間、ここは各国首脳が滞在する伏魔殿と化すだろう。
そこで繰り広げられるのは、外交という刃を用いぬ大戦なのだ。
「分かっているさ。
あたしを、誰だと思っている?」
「よく存じていますとも。
二代目ファイン皇国皇帝陛下」
ワムはその言葉へ満足げにうなずき、ホテルマンが開いたドアの先へと、一歩踏み出したのである。




