あるバーガーチェーンにて
――こうして歩いていると、以前がどんな景観だったのか、思い出せなくなる。
ロンバルド王国の王都フィングを歩きながら、男はふとそんなことを思う。
二十年前……この街は、石畳が敷かれ、高く分厚い城壁に覆われた、城塞都市であった。
今は、ちがう。
以前と今とで最大の差異は、やはり、街全体を覆っていた城壁が、モニュメントとされた一部を除いて、撤去されたことであろう。
これは、さらなる発展を望むならば、必須であったといえる。
確かに、城壁は魔物などに対して、圧倒的な防衛力を発揮可能だ。
しかし、平時においては街の区画を限定的なものとし、日照などにおいても影響を及ぼす邪魔でしかない存在なのである。
モータリゼーションが進み、国内はおろか、一部の諸外国地域に対しても鉄道が伸びるに至ると、居住希望者や観光客を受け入れるためのキャパシティアップが必要不可欠となり……。
長年、王都の民を守ってきた分厚い壁は、その役割を終えることになったのである。
それはまた、石の壁などに頼らずとも、十分な防衛力が発揮可能になったことをも意味していた。
そうやって十分な土地を確保し、再開発がされるに至った市街もまた、かつてとは雲泥の差である。
やはり、最も大きいのは、街中に張り巡らされたアスファルトの道路であろう。
ここ二十年で、馬は街中から姿を消した。
代わりに台頭したのが自動車で、極めて高速かつ、積載量に優れたこの乗り物は、人や物の行き来を以前とは比べ物にならないほど盛んにしたのだ。
結果、石畳は一部の歩道などにその姿を生まれ変わらせ、今でも人々の重みを受け止め続けている。
人や物の行き来が盛んになると、自然、隆盛するものがあった。
……商業である。
ここフィングは以前から港を有しており、国内でも一、二を争う規模の商業都市であったことは間違いない。
しかし、今現在のそれは、文字通り格がちがう。
そもそも、運送を牛馬に頼り、また、冷蔵設備もなかった過去では、どうしても扱える商材というものが限定されていた。
現在、そのような制約はない。
文字通り、ちり紙から墓石に至るまで……。
ありとあらゆる品が商材として扱われ、それぞれを専門とする店が……いや、会社が立ち上げられるに至っているのだ。
その象徴といえるのが、各地へ建造された複合商業施設だろう。
豊富な食品が扱われるスーパーを筆頭に、大量生産や国外製造委託により値段を極限まで抑えたアパレルブランドや、様々なスポーツが楽しめるジムなど……。
多様なテナントがひとつ所に収められ、城のごとき様相を呈するこれらの施設は、以前では考えられなかったものである。
もう、棒振りや露店の時代ではない。
集約されたマンパワーでもって、消費者の需要を満たすのが、当代における商売なのだ。
――小腹が減ったな。
己の空腹を自覚した男は、ある店舗に向けて足を運ぶ。
そこは、この王都ばかりか、王国中のあらゆる都市で看板を見かけられるバーガー・チェーンである。
しかも、現在はファイン皇国を筆頭とした諸外国にも出店を行っており、おそらくは、大陸で最も有名で……そして、最も親しまれている店であった。
「いらっしゃいませー!」
自動ドアをくぐり、一歩、店内へ踏み出すと、女性店員がにこやかな笑みを浮かべながら迎えてくれる。
こういった職種は、雇用の受け皿としてのみではなく、生活する人々の精神を健全なものとして保つためにも、重要な存在であった。
古代のテクノロジーを使えば、何もかも機械が処理する自動店舗を作ることも、不可能ではない。
しかし、王となったアスルはそれに対する規制を設け、常に一定数の人間が雇用される仕組みを作った。
理由は、人々の孤立化を抑えるためである。
ひとつのロンバルドに統合された当初こそ、生活が楽になったことを背景とするベビー・ブームが到来したが……。
急激に発展した社会と、一度の人生では味わい尽くせないほどの娯楽は、人々の核家族化や、単身世帯化の兆候を示しつつあった。
そんな社会で、個人が孤人として完結してしまうことを防ぐため、ある程度、人と触れ合う余地を残しているのである。
――あいつはバカだけど、変なところでは頭が回るんだよなあ。
そんなことを考えながら並んでいると、自分の番がきたので素早く注文した。
「てりやきバーガーのセット。
ポテトはMで、飲み物はコーラにしてくれ」
笑顔で店員がうけたまわり、待つこと数分……トレー乘せられたバーガーのセットが提供される。
男はそれを手にし、適当な席を見繕って腰かけた。
さっそく、バーガーの包装を解いてこれにかぶりつく。
――美味い。
甘辛い醤油タレとマヨネーズの相性は抜群であり、肉の味を何倍にも高めてくれる。
挟まれたレタスの食感も嬉しく、具材を挟む前に軽く焼かれたパンズはこの強い味をしっかりと受け止め、相乗効果で自身の味も高めていた。
塩気と油分という、生物の本能が刺激される要素をまとったポテトも、たまらない。
油断していると、無限に食べ続けられそうな中毒性がこのサイドメニューには存在した。
そして――コーラ!
ただ甘いだけでなく、不思議な奥深さを感じる飲料が、炭酸の刺激と共に喉を通り過ぎると、爽快さと共に油にまみれた口内がリフレッシュされる。
二十年前ならこれは、いかなる王侯貴族であっても食せなかった味だ。
今は、誰でも食べることができる。
安く、美味しく、手軽……。
唯一、難点があるとするならば、ジャンクフードと俗称されるほどに、栄養バランスを著しく欠いていることだろう。
もっとも、栄養という概念を気にすることができる時点で、幸福なのだが……。
「シェイク! シェイク~!」
男が庶民の味を楽しんでいる横で、幼い子供がはしゃぎながら歩いていた。
その手には、シェイクの入ったカップが握られており、よほど好きなのだろうと思える。
しかし、いささかはしゃぎ過ぎたのだろう。
その手から、すぽりとカップがこぼれ落ちてしまったのだ。
「あっ!?」
と、驚きの声を上げた時にはもう遅い。
シェイクの入ったカップは、床に中身をぶちまけるものと思えたが……。
「よっと」
しかし、すんでのところで、素早く席を立った男がこれを拾い上げ、事なきを得たのである。
「ほら」
「おじちゃん、ありがとー!」
カップを渡してやった男に、子供が礼儀正しく頭を下げた。
「ちょろいもんだぜ」
そんな子供に対し、男はそう、うそぶいたのである。




