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「兄上……なのか……」


 歴史あるロンバルド王家の玉座へ腰かけた人物……。

 その人物をひと目見て、俺はそのような言葉を漏らした。

 いや、これをもう、人として扱っていいのか、どうか……。


 上半身は、内側から破裂したような形で衣服の残骸が貼りついているだけで、ほぼ裸身といっていい状態である。

 その皮膚は、ミドリムシもかくやという濃緑色に染まっており、それだけで、尋常な生命でなくなったのが見て取れた。

 しかも、上半身の各所からは、鉢植えのように木々が生え出しており、それらが広がることで先の密林状態を生み出していたと推察できるのだ。


 いわば――核。


 あの恐るべき植物たちは、これなる人物が核となって生み出し、操っていたのである。

 我が兄――カール・ロンバルドによって。


「魔物になっているのか……」


「このようなことが、起こりうるとは……」


「もはや、人としての意識はあるまい」


 エンテ、バンホー、オーガが、俺と同様に息を呑みながらそう告げた。

 顔にはかろうじて、兄の面影がある。

 しかし、完全な魔性の生き物と化したそこからは、もはや、いかなる表情も読み取ることができない。


「――くるぞっ!」


 オーガがそう言いながら、一歩前に進み出る。


「ふうううううん!」


 そして、再び無数に腕が生えたかのような受けの動作を取るのと、兄の体から生えた木々が槍のように突き出してくるのとは、ほぼ同時のことだった。

 そこからは、先ほど見た光景の再現だ。


 兄が人の器を失って手にした力は、そのことごとくが無効化され、あるいは粉砕されていく……。

 そして、あらゆる力には終わりというものがある。

 しばらく、そうした攻防を続けた後……。

 ついに、兄の体からは木が生え出さなくなり、ただ、醜くその身を変色させた痩せぎすな男が残されることとなった。

 もはや、抵抗することはかなうまい。


「オーガ」


「できるのか?」


「ああ」


 覇王と短く会話をし、前に出る。

 最後の決着は、俺自身の手でつけなければならない。

 そんな俺の背を、エンテとバンホーも見送ってくれた。


「兄上……。

 俺の言葉が、聞こえますか?」


 ――おそらくは、無駄だろう。


 そのような思いを抱きながら話しかけると、意外にも、兄はうなだれるようにしていた顔を上げる。

 その顔は、壮絶そのものだ。


 血管という血管が隆起(りゅうき)して浮き上がっており、瞳は白内障でも患わったかのように濁っている。

 何より、色濃く浮かび上がっているのは――死相。

 惑星の意思とやらが、彼にどんなことをしたのかは知らない。

 しかし、あのような力を人間に宿せば、その体が耐えられないのは自明であり……。

 文字通り、生命力の全てを燃やし尽くした彼の顔からは、濃密な死の気配が感じられた。


「アスル……か」


 濃緑色に変じた肌は、生み出した木々に水分までも持っていかれたのか、乾ききっており……。

 ひび割れた唇をどうにか動かして、兄がそう聞いてくる。


「はい……。

 あなたを、人として終わらせに参じました」


 俺は彼に、そう答えて腰の剣を引き抜いた。

 かろうじて、視力は残っているのだろう。

 その剣を見たカールは、目を細める。


「ケイラーの剣……。

 それでトドメを刺してくれるのが、お前か。

 ふふ……なかなかに、悪くない」


 そう言って、カールはおだやかな笑みを浮かべた。

 ああ、そういえば、彼がこんな笑みを浮かべていたのは、いつ頃のことだっただろう。

 いつ頃から、そんな笑みを俺に向けてくれなくなったのだろう。

 思えば、俺はそのことにもっと早く気づくべきだったのではないだろうか。


 しかし、この土壇場でそれに気づいたところで、もう遅い。

 放っておけば、彼はいくらも経たない内に死んでしまう。

 怪物として、死んでしまう。

 彼を人として……旧来のロンバルド王家を最後に担った者として死なせるには、俺が、ケイラー兄さんとでやらなければならないのだ。


「ああ……本当に、悪くない。

 最後の最後……立ち塞がる敵という形ではあったが、ようやく、お前やケイラーと同じ目線に立つことができた。

 子供の頃からそうしたいと思っていたことが、ようやくかなったんだ」


 その言葉に、ようやく彼から向けられていた感情……。

 おそらく、俺が無意識に目を逸らしていた彼の本音に気づき、目をつむる。

 握った剣の柄が不思議な熱を帯びているように感じたのは、錯覚ではあるまい。

 そして、俺は目を開いた。


「そんなものは、最初からかなっていたのです」


「何……?」


 俺の言葉に、カールは驚きの表情をみせる。


「俺にとっても、ケイラー兄さんにとっても兄上はいつだって頼れる兄でした。

 確かに、武才ではケイラー兄さんにも俺にも劣るでしょう。

 学問やひらめきにおいては、俺の方に軍配が上がるでしょう。

 ですが、そういう問題ではないのです。

 ケイラー兄さんや俺が好き勝手にやれたのは、あなたという礎がいたからこそだ。

 あなたこそ、ロンバルド王家を背負っていた第一の王子なのです」


 カール兄さんは、しばし目を閉じ……。

 俺の言葉を、反芻(はんすう)しているようだった。

 そして、その口が開く。


「そういえば……。

 お前は、くだけて話す時、自分のことを私ではなく、俺と言うのだな」


「ああ……」


 それは、なんてことのない気づきの話。

 兄弟の間で交わす、ちょっとした雑談だ。


「格好つけていたのですよ。

 そのためのお手本が、身近にいたから……」


「ふ、ふふ……。

 私は、良いお手本だったか……?」


 最後の質問。

 それに対し、答えを迷う必要などない。

 俺は、死に際の兄が聞き逃さないよう、一言一句、はっきりと告げたのである。


「はい。

 素晴らしい兄でした」


「そうか……。

 アスル……」


 かさかさの……緑色に染まってしまった皮膚を動かし、兄がどうにか表情を作った。

 もう、あれからずいぶんと時が流れている。

 お互い、大人となってしまっている。

 しかし、その表情は、ありし日のそれと寸分たがわぬものであったのだ。


「ありがとう」


 その言葉を聞き終え……。

 もう一人の兄から力を借りて、尊厳を保ったまま終わらせる。

 それが兄の……カール・ロンバルドの最期であった。

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