ただいま
空腹の時に飲む温かいスープというものは、何物にも代えがたいものだ。
それは、夜明けを迎えた今、王都各地で展開されている光景を見ても明らかだろう。
陣地で調理され、寸胴ごと運びこまれたクッキングモヒカン特製のスープは、焚き火で温め直され、王都の市民に配られていた。
同時に運び込まれた焼き立てのパンと合わせて、忘れられない思い出の味となるにちがいない。
「ああ、兵たちの食事は、とりあえずレーションでいい。
今は、市民のためにジャンジャンおかわりを作ってやってくれ。
何しろ、みんなお腹が空いてる」
兄上が残した軍馬にまたがり、配給現場を見て回りながら、携帯端末越しにそう指示を飛ばす。
『ヒャハ!
そういうことなら、任せておきやがれ!
王都の市民全員、俺様の腕で腹一杯にしてやるぜー!』
俺の指示を受け取った調理部隊総責任者――クッキングモヒカンが、力強い返事を返してくれる。
色んな意味で問題のある人物だが、料理の腕前だけは本物だ。
長いこと空腹に苦しんできた王都の民へ、栄養満点で消化の良い食事を提供してくれることだろう。
本当をいうと、すっかり焼きそばキャラになってきたこの俺も鉄板を引っ張り出したいところだが、さすがにそんなことやってる場合じゃないからな。
「しかし、わずかひと晩で市街の制圧がかなうとはな……。
もう少し、抵抗があるものと思っていたが」
俺と同様、軍馬にまたがっているベルクが、久々のまともな食事に涙する人々を眺めながらそう告げる。
その顔は、いささか拍子抜けしているかのようだった。
「肯定。
何しろ、敵軍は城から増援を出すこともせず、撤退する兵を可能な限り収容してしまうと、固く門扉を閉ざしましたからな」
「イエス。
泥沼の乱戦に持ち込まれていれば、こちらの兵及び民間人にも、相応の犠牲が出ていたと思われます。
なぜ、敵はそれしなかったのでしょうか?」
やっぱり馬上の人となっているイヴツーと、実は乗馬できないので、その後ろに相乗りさせてもらっているイヴも会話に加わる。
いつも通り無機質な顔のイヴだが、同じ有機型端末のお腹へ回した腕には、かなりの力が込められていた。
うん、慣れないと怖いよな。馬の背に乗るの。
対して、俺は腐っても王子。幼き頃より基礎教養として馬術の手ほどきを受け、馬好きな兄貴に付き合って早駆けなんかもしていた身だ。
我ながら見事な手綱さばきで馬首をめぐらしながら、彼女の疑問へ答える。
「まず、市民らがいたっていうのが大きいだろうな。
こちらにとって守るべき対象である彼らだが、それは向こうにとっても同じだ。泥沼の乱戦はできない。
従って、いたずらに兵を失い、民を傷つける選択は避け、最後の決戦に備え戦力を温存したと考えられる」
先頭で馬を操り、慣れ親しんだ街の中を迷うことなく進む。
やがて、懐かしき目抜き通りに達すると、ベルクが自身の馬を少し急がせ、並走してきた。
「しかし、そのために城外へ出ていた騎士や兵は、少なからず失われることになった。
なあ、アスルよ?
私はどうも、そのあたりが気になって仕方がないのだ。
現在、国王陛下に代わって指揮を執っているのはカール殿下という話だが……。
あの方は、こうも思い切りがよかっただろうか?
こうもたやすく兵を切り捨てられるほど、冷酷だっただろうか?
これでは、まる人が変わったようだ」
そして、こう問いかけてくる。
自分で説明してて違和感のある部分だっただけに、俺はうなずく他なかった。
「そこなんだよな……。
俺が知る兄上なら、こうもサッとした采配にはならないだろう。
とはいえ、城勤めの軍師たちだって有能だ。
だから、最終的に同じ動きはする。するはずだが……。
もう少し、過程は混乱したものとなったはずだ」
あの日……。
久方ぶりにこの目で見た兄上――カール・ロンバルドの姿を思い出しながら、そう話す。
向こうは城壁の上で、距離はあったが……。
あれは、人相が変わり過ぎだ。
カール・ロンバルドといえば、美男子の中の美男子。プリンス・オブ・プリンスと呼ぶべき人物である。
だが、あの姿は……。
心中に抱いた激情が顔にまで現れたかのようであり、美男子というにはいささか野性味があり過ぎた。
爛々と輝いた両目には、一種の狂気すら感じられたものである。
彼が見せた采配や行動にしても、そうだ。
兄上は、良く言えば慎重派、悪く言えば少々おっとりしたところのある人物で、今回の即決に過ぎる決断や、先日の演説などが行える人ではないはずだった。
ないはずだった、が……。
「しかし、実際にこれをやってみせてるんだ。
人相も含めて、人が変わったという他にないだろう」
「肯定。
父親が倒れたことや、肉親の死、状況の悪さなどが心身をむしばみ、基本的な人格すら変えてしまったのだろうと推測されます」
「イエス。
重責を担う国家指導者が、時に信じられないような変貌を果たすことは、過去の歴史を見ても珍しいことではありません」
後方からついてくる無表情ガールたちが、口々に俺の意見を指示する。
肉親の死、か……。
俺は、腰から下げたケイラーの剣をそっと撫でた。
「まあ、カールの変貌ぶりについて、これ以上論じたところで仕方がないか。
兄上は変わった。
そして、そうなる引き金を引いたのは間違いなくこの俺であり、後はそうしてしまった責任を取るだけなのだ」
別に、責任を取れば許されるもんでもないけどな。
そんな風に語り合いながら目抜き通りを進むと、いよいよ目指していた場所が目前に迫る。
この巡察によって、見るべきものは見た。
ならば、やるべきことを果たすのみ。
その場所は、王都のどこからでも姿を見ることができるほど大きく、そして古い。
こうして間近に迫ってくると、この国の……俺の体に流れる血の歴史というものを、否が応でも感じることができた。
そう、こここそは終着点。
巡察の終着点、というだけではない……。
あの日、『死の大地』地下で『マミヤ』を発見したその時からの、終着点である。
人生というものが一冊の本だとした場合、第何章かはここで終わるのだ。
「……ただいま」
誰にも聞かれないように、ぼそりとそうつぶやく。
――ロンバルド城。
目抜き通りの終着付近――ロンバルド城からの弓矢や魔術が届かぬぎりぎりの地点では、先んじた俺の手勢と、ホルン教皇率いる神官団とが展開を終えていた。




