扇動 上
かつて、この王都フィングは、人も物も盛んに行き交う物流の街であり、同時に商業の街でもあった。
政治と宗教の中心が同時に存在するだけでなく、港湾部まで備えているのだから、これは必然であるといえよう。
朝も昼も、ひっきりなしに人が出入りしており……。
繁忙期においては、朝一番に城門から出る手続きをしても、結局、順番が回ってくるのが翌日ということは当たり前だったのである。
現在、この街にそのような賑わいは存在しない。
代わりに街を包み込んでいるのは、なんともいえない圧迫感であり、ひもじさであった。
そもそも、街を包囲する正統ロンバルドによって、生業という生業が封じられ、第一王子の政策によって食事も命を繋ぐギリギリのところまで削られているのだ。
このような状況にあっては、一切の元気を失ったとしても、致し方がないことであろう。
いや、人々はただ、活力を失っているばかりではなかったか……。
空きっ腹で力は入らずとも、体を突き動かすものはある。
希望を見い出せない中で、燃え上がるものがある。
この日、ある商家に集ったのは、そのような情動に駆られし者たちだったのであった。
「皆、よく集まってくれた」
商家の主が、集った面々を見てそう告げる。
かつては、王都でもそれと知られた大店の一室は十分な広さがあり、集まったのはそうそうたる顔ぶれであった。
まず、中心となっているのは、この王都で商いを営む者たちであったが……。
その他にも、職人たちを束ねる棟梁や地主、果ては裏社会の人間を統べし顔役など、実に様々な……それでいて、多くの人間へ影響を与えうる人間が集っていたのである。
ただ一人、異彩を放つのが商家の主人へ影法師のようによりそう人物であった。
フードを被り、ローブで全身を覆った姿からは、性別を判ずることさえもできない。
――怪しい。
まさしく、うさん臭さが二本足で立っているような人物なのである。
「あー、始める前に、ひとついいだろうか?」
集まった人間の一人が、挙手した。
そして、こほんと咳払いし、こう言ったのである。
「この場に集まった御仁……普段から付き合いのある者もいれば、初顔合わせの者もいるが、ともかく、名前くらいは知っている。
しかし、そちらの……その……なんと呼べばいいのか知らんが、その方は一体何者なんだ?」
――言った!
聞きたくて聞きたくて、たまらなかったこと。
しかし、場の雰囲気的にそれを口に出すのがはばかられることを聞いた勇者に、誰もが心中で感謝を伝えた。
果たして、商家の主が告げる答えは……!
「え?
……うお!? 誰!?」
――お前も知らないのかよ!
――つーか、招かれてる人物じゃないんかい!
振り向き、フードを被った人物へ驚く主に、皆が心中でつっこんだ。
しかし、そうなれば、捨て置くわけにはいかない。
「まさか、王宮の送り込んだ間者か?」
裏社会に生きる男が、そう言いながらずいと前に歩み出る。
その懐には、物騒な物をしまい込んでいるにちがいないが……。
そのような物に頼らなくとも、生半可な使い手ならば押さえ込めるという自信が感じられた。
「大人しくしろ……!
どこから入り込んだのか……。
いや、そもそもどうやってこの会合を知ったのか……。
あらいざらい、吐かせてくれるわ!」
そう言いながら、男が不審な人物に向けて歩み寄る。
「………………」
怪人物はそれに対し、無言を貫いていたが……。
「あっ!」
「逃げる気か!?」
「逃げられると思うか!?」
突如、背中を向けたのであった。
果たして、謎の人物はこの場から逃走を図ろうとしているのか?
……その答えは、否である。
なぜならば、怪人物はそのまま駆け去ろうとするのではなく、裏社会の男へ向けて尻を突き出したからだ。
「ゴー! ゴー!
アスル君ケツからマシンガン!」
そして、初めて謎の人物が口を開いた。
すると……おお……これはどうしたことか?
なんと! 怪人物の尻から、二本ばかりの筒が突き出してきたではないか!?
そして、それは正統ロンバルドの兵らが装備した武器の先端部と、酷似しているのだ。
ならば、その機能は似たようなものであるにちがいなく……。
――バラララララッ!
筒の先からは、恐るべき勢いで何かが撃ち放たれたのである。
話に聞くあの武器とのちがいは、放たれたのが奇怪な光条ではなく、実態を有した弾であるということだろう。
「うおおおおっ!?」
こんなものをばら撒かれては、たまらない。
足元に無数の着弾を受けた裏社会の男が、踊り狂うように足を動かす。
おそらく、これはわざと狙いを外しているのだろうが、だとすれば、尻を向けた体勢とは思えぬ正確さだ。
……そもそも、尻ではなく別の場所に仕込めばいいのではないかというツッコミは、野暮であろう。
大体、つっこもうにも、集った者たちはあまりにあんまりな状況へ言葉を失い、立ち尽くすばかりなのだ。
当たれば、確実に死ぬであろう凶器を向けられた男たちが、身動きをすることもかなわず立ち尽くす。
それを受けて、ようやく謎の人物が振り向いた。
「落ち着いてくれ。
私は怪しい者ではない」
――嘘だ!
――絶対に嘘だ!
みんなの心がひとつとなる。
見た目だけならばまだしも、ケツに謎の凶器を仕込んだ人間? が怪しくないはずはなかった。
「そして、安心するがいい……。
私は、王宮の間者でもない」
――でしょうね。
またもや、心がひとつになる。
こんな人間? を飼ってる狂気の王国に生まれた覚えなどなかった。
そして、狂気といえば、気が触れていることでお馴染みの王が統べし軍は、すぐ近くに展開しているのである。
「ま、まさか、あなた様は……」
「ふっふっふ……。
かつて、王都を出る前はこの店で服を仕立ててもらったこともある。
よもや、俺の顔を忘れはすまい」
不敵に笑いながら、謎のアスル・ロンバルドがフードを脱いだ。
果たして、そこから出てきたのは、かつての狂気王子――ではない!
無貌だ!
本来、顔面に備わるべきあらゆる器官が欠乏した、のっぺらな顔がそこにあったのだ!
「アイエエ……」
あまりの恐怖に、男たちが恐れおののく。
ただちに失禁しなかったのは、さすが王都の顔役たちというべきであろう。
「あ、設定し忘れてた」
のっぺら男がそう言うと、顔面に目や鼻が生み出され、最近、上空へ投影される虚像で見慣れた顔――アスル王のそれが生み出される。
ハッキリいって、この光景も――コワイ!
「さて、単刀直入に言おう。
このままでは、お前たちの計画……失敗するだろう」
そう告げた後、ようやく顔の生じたアスル王がにやりと笑う。
その笑みは、最高の狂気に満ちたものとして感じられた。
「ゆえに、この俺がお前たちへ、策と、大いなる力を授けようではないか」
そう聞いた男たちは、ただちに両手で尻を押さえる。
彼らは皆、ノーマルであった。




