ロンバルド・ビカム・キャピタリズム 1
したがって、われわれはいつか機械に支配されると考えなければならない――アラン・チューリング
正統ロンバルドが建国を宣言した当初より取りかかっている、大事業というものがある。
すなわち……。
――人工的な大河の構築。
これである。
古来より、国家が栄えるには、これを支える豊かな水源が必要不可欠であった。
それを得るべく、アスル王は古代の人々が『死の大地』地下深くへ封印したという水源を復活させ、のみならず、船舶の往来も可能とする大河として構築し直すことを計画したのである。
超古代の技術を背景にしているといっても、夢想に等しい一大事業だ。
当然ながら、これを実現するには、実に多くの労働力が必要となる。
最初期は――ハーキン辺境伯領の人々。
奴隷と志願者で構成された彼らが、最初につるはしを振るった。
途中から流入してきたのが、魔物の大発生によって故郷を追われた人々である。
労働意欲は旺盛なれど、生きる地を追われることになった彼らの受け入れ先は、難民自治区に設けられた農業区画や工場であり、軍であり、そして、この大河建設工事だったのだ。
そう、アスル王は魔物や旧ロンバルド王国との戦いが本格化してなお、この一大事業を止めることはなかった。
理由はふたつある。
ひとつは、ようやくにも重機の取り扱いへ慣れてきた労働者を、戦いで失うわけにはいかなかったこと。
そして、当然ながら難民と化した者の全てが、戦いに適正を持つわけではなかったことが挙げられた。
人間には、生まれ持っての適正というものがある。
特に、命のやり取りをする戦場に対するそれは顕著で、戦士階級として生まれ、幼少時から教育を施されたならばともかく、羊として生まれ生きた者が、突然に狼へと変貌することは不可能なのであった。
これは、昨日までの農民を徴兵し戦力として動員してきた旧ロンバルド王国とは、対象的な采配であるといえる。
獣人国やファイン皇国に援軍を頼むほど戦力的に切羽詰まっていてなお、アスル王は民が民として生きることを優先したのだ。
かように……見ようによっては、他の何よりも優先して進められている工事が、今、ひとつの転換期を迎えようとしていた。
それが行われようとしていたのは、工事の着工がされた地域……ハーキン辺境伯領との領境地帯である。
かつて、この地に広がっていたのは不毛な大地であった。
ハーキン辺境伯領の誇る緑豊かな森林地帯が突然に途切れ、水源ひとつなく、生物の生存が困難なほどに気温の高い荒野がひたすらに続いていたのだ。
かつてを知る者が、予備知識なしに今ここを訪れたならば、瞠目するにちがいない。
まず、目にするのは巨大な……あまりにも巨大な、空堀である。
幅は、平均して五十メートル前後……。
深さも、平均して三メートル以上は確保されている。
それが、ハーキン辺境伯領を貫くイルナ河の支流から、ひたすらに伸びているのだ。
これこそが、心血を注いできた工事の成果である。
まだ川としての生命は得ておらず、名前もない……。
しかし、もしこれが河川として機能したならば、それがどれほどの利をもたらすかははた目にも明らかであった。
名もなき未来の河へ寄り添うように存在するのは、ブームタウンの俗称で呼ばれる町である。
四角い木造建築の正面へ、見た目だけは立派な建物の絵が描かれたハリボテを貼りつけた建物が立ち並ぶハリボテの町……。
しかし、そのにぎわいは本物だ。
何しろ、工事に携わる労働者の癒しを一手に引き受けているのがこの町である。
酒も女も大量に集まり、一日に行き交う貨幣の量は、そこいらの商業都市を上回っていた。
だが、今日この工事に携わる人々が集まっているのは、このブームタウンではない。
イルナ河支流との、接続部である。
支流と空堀との境目には、超古代の技術を活用した機械式の……これも巨大な水門が設けられており、もし、これを開いたならば、ひとつの河川として接続されることが予想できた。
ならば、この新たな河は、イルナ河を水源とするのか?
……そうではない。
その答えが、遥か地下から響く振動だ。
「おお……っ!」
「いよいよか……っ!」
まるで、地震が発生したかのような……。
立っているのがやっとといった振動に、集った人々が声を上げる。
この地鳴りが自然現象でないことは、事前にこれを予想していたと思われる彼らの言葉や表情をみれば明らかだ。
それもそうであろう……。
彼らは、これを発生させている存在と日頃から親しく接しているのである。
「――きたぞっ!」
誰かが叫ぶのと、空堀の底部に亀裂が走ったのは同時のことであった。
その亀裂は、またたく間に広がっていき……。
そしてついに、その下から何かが飛び出してきたのである。
『――とうっ!』
最初に姿を現わしたのは、全長にして九メートルはあろうかという鋼鉄の巨人であった。
全身は白を基調としたカラーリングに染め上げられ、今、その右手はドリルと称される長大な回転槍に変じている。
――キートン。
正統ロンバルドが流通させている金貨にもその姿を彫られた、大地の守護神だ。
せっかく、ここまで出来上がった空堀の地下で、一体、彼は何をしていたのか……?
その答えは、やや遅れてやってきた。
キートンが飛び出した穴から、彼の後を追うようにして大量の水が噴出したのである。
「ヒャッハー! 水だ!」
「おお! 本当に出たぞ!」
「バカ! お前、疑ってたのか!?」
「へへ……でもよ、やっぱり目にするまでは半分じゃねえか?
だって、元々は『死の大地』だったんだぜ?」
その光景を見守っていた工事監督のモヒカンや労働者たちが、口々に喜びの声を上げた。
それにしても、噴出した水の量たるや尋常なものではない。
まるで、滝がさかのぼったかのように……。
恐るべき量の地下水が、ひと息に噴き出しているのだ。
さすがはキートンというべきか、石くれなどが水と共に噴き出し、見守っていた人々を直撃するような事態はない。
しかし、吹き上がるまでに土が混ざってしまうことはさすがに防げず、噴火した火山のように噴き出す水は茶色く汚れており、決して美しい光景と呼ぶことはできなかった。
だが、集った人々は汚れた水が噴き出し続ける様に、ある種の神秘性を感じて見入っていたのである。
労働者たちの暮らす住居には、古代の技術を用いたユニットバスが備えられているのだが……。
まるで、その湯船へ水を溜めている時のように、噴き出した水が次第に空堀を満たしていく。
そうやって水が満ちていくと、混ざっていた土は次第に沈殿していき、澄んだ水へと変わっていった。
『ようし! 水門を開けるぜ!』
足裏のバーニアからプラズマ・ジェットを吹かして滞空していたキートンが、そう宣言する。
すると、彼の通信を受けて、イルナ河支流との接続部を守っていた水門がゴゴ……という音と共に開いていった。
かつての時代、キートン自身が地下深くへ封印したこの水脈は、ザンロの大山脈に存在する湖を水源としている。
そこから流れてきた水が、こうして地上に導き出され、今、イルナ河との接続を果たしたのだ。
当然ながら、それが氾濫などをもたらさないことは計算済みである。
「やったぞ!」
「これが第一歩だ!」
「キートン万歳!」
「大地神万歳!」
この先を思えば、まだまだ一合目を登ったに過ぎない。
しかし、労働者たちはいつまでも歓喜の声を上げ続け、この工事の主役であるロボットを讃え続けたのであった。




