エグザイル
『これが……主人公の力だあああっ!』
空に映し出された虚像の中……。
ついにデカ盛り焼きそばとやらを平らげた狂気王子が、空となった銀皿を掲げてみせる。
一人で食するには、あまりに……あまりに過剰な量の料理……。
食べ残しを前提とし、闘士たちがどれだけ食べられるかを競い合わせるという、主からの賜り物で遊ぶかのような行為……。
考えようによっては、冒涜的ともいえるその光景が王都にもたらした影響は、実に大きなものだったのである。
港湾部の片隅に存在する、なんの変哲もない酒場……。
かつてここは、実ににぎやかな場所であった。
海に出て、魚を獲る漁師たち……。
あるいは、人足として汗を流す者たち……。
この港湾部で働く荒くれた男たちが、一時の癒しを酒と料理に求め、通っていたのである。
今はもう、当時の面影はない。
何しろ、提供すべき酒も料理もなく、集うべき男たちはその仕事を奪われているのだ。
今、王都フィングが陥っている窮状を象徴するかのごとく、急激にさびれた酒場……。
そこへ、密かに集まった者たちの姿があった。
「よし、集まったか……。
巡回している騎士や兵に、姿を見られていないだろうな?」
男たちの中では、最年長となる人物……。
この港湾部で、人足を取りまとめている親方が、一同を見回しながらそう尋ねる。
「ああ、大丈夫だ。
そもそも、連中だって命じられて街の中をうろついてるだけで、その目は節穴もいいところさ。
俺たち庶民よりはマシなんだろうが、満足に食べれてないのは向こうも同じだからな」
「ああ、空きっ腹で鎧着て槍持って街中歩かされてるんだから、ご苦労なこった」
籠城が始まって以来……。
第一王子の命によって増やされた巡回兵の姿を思い出しながら、皆で笑う。
まさに、今話した通りで、ただでさえ腹をすかしている彼らの歩く姿には覇気というものが一切感じられず、かえって、王都の民は状況の苦しさを認識するばかりなのだ。
「やっぱり、どう考えても旧王国側には先がねえ……」
「ああ、やるしかねえようだな」
集った男たちが、決然とした顔で互いを見やる。
これから挑むのは、人生最大の大博打であり、大冒険であった。
「……この街から脱出して、正統ロンバルドの下に向かう。
まだ、俺たちの力が残っている内にな」
そう宣言した人足の親方は、普段は強面で知られている。
しかし、今は頬もこけており、往時の迫力が見る影もなかった。
「これ以上、ろくに飯も食べられない日々なんて耐えられねえ」
「ああ、向こうに行けば、食い物なんざいくらでもあるはずだ。
何しろ、あんなふざけた勝負を空にデカデカと映すくらいなんだからな」
「ありゃあ、どう考えてもそのことをこちらに知らしめるためだよな。
まあ、最後はなんか仕掛け人の王が大変な目にあってたが」
「そこはほら、狂気王子だから……」
やや脱線し始めた話を軌道修正すべく、親方が軽く咳ばらいをする。
そして、船大工の棟梁にその目を向けた。
「船の手入れに、おこたりはねえな?」
「ああ、予定の手漕ぎ舟は、全部問題ねえ。
何しろ、誰も海に出てねえからな。
見てやる時間は、たっぷりとあった」
「そんな日々とも、もうおさらばさ」
二人の会話をさえぎったのは、年配の漁師である。
「今回、声をかけなかった奴らはどうする?」
「どうするって……連中には悪いが、見捨てるしかねえだろ。
そもそも、秘密を守れる奴じゃねえと、王宮に密告しかねねえし」
「それに、手漕ぎ舟を使って、夜の海へひっそりと漕ぎ出すんだ。
それぞれの手下やその家族を乗せちまえば、それで手一杯だよ。
まさか、帆船でも乗っ取って、港の男全員で逃げ出すわけにはいくまい」
人足の親方や船大工の棟梁にそう言われては、その漁師も引き下がるしかない。
「そうか……そうだ、な」
そう言って、どかりと椅子に腰かけたのであった。
「決行は、いつにする?」
「――明日だ。
こういうのは、早ければ早いほどいい」
親方は、そう言って皆を見回す。
「どうせ、持ち運ばなきゃならんような家財を持ってる奴なんざいねえんだ。
動こうと思えば、いつでも動けるだろう?」
「まあ、そりゃそうだな。
天気の具合を見ても、明日の夜なら問題なく船を出せるだろう」
王宮の命により『テレビ』が没収される前に見た天気予報とやらは、なるほど見事な精度であったが……。
しかし、海に生きる男というものは、ある程度のところまで己の勘でそれを見通せるものである。
熟練した漁師がそう言い切ったのだから、これは信頼を置けた。
「――よし、明日決行する」
話がまとまったところで、親方が手順の確認に入る。
「日が落ちたら、それぞれの手下と家族を従えて港に集合しろ。
その後、用意していた手漕ぎ舟に乗って海に脱出する。
集まる時、決して騎士や兵に見られんようにな」
「問題は、沖に停泊してるデカブツたち……。
正統ロンバルドの船が、俺たちを受け入れてくれるか、だな」
棟梁の言葉に、重苦しい沈黙が立ち込めた。
何しろ、沖合に停泊している二隻へ接近した者など誰もおらず、いざ、そうなった時、どのような対応をされるかは予測がつかないのだ。
「……信じるしか、ねえな」
人足の親方が、腕を組みながらそう告げる。
「どの道、やらなきゃ飢えるしかねえんだ」
その言葉に、一同がうなずいた。
飢えたネズミというものは、わずかにでもエサの匂いがする方へと移動を図るものなのだ。
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結論からいうならば……。
棟梁の懸念は、まったくの杞憂であったということになるだろう。
夜中、密かに港へ集結した逃亡者とその家族たち……。
かき集めた手漕ぎ船で海へ乗り出し、たいまつの明かりを灯しながら接近してきた彼らを、正統ロンバルドの船は手厚く迎え入れた。
そして、騒ぎを察して駆けつけたロンバルド王宮の騎士たちは、海へ向かって行くたいまつの光を港から見守ることしかできなかったのである。
――亡命者現る。
この事件は、神殿の発行する新聞のみならず、再び大空を帆布とした虚像によって大々的に報じられた。
これにより、王都フィングで暮らす人々は、このまま飢えに耐え続けるのとは別の選択肢を考えるようになったのである……。




