籠城と空腹の日々
ロンバルド王国の王都フィングを覆う城壁は、単なる石の壁というわけではなく、内部に兵たちが居住するための施設を内包しており、それ自体がひとつの城塞と呼べる造りをしている。
また、各所には見張り塔が設けられており、昼夜を問わず、常に兵たちが街の周囲を監視できる体制が築かれていた。
見張りに立つロンバルドの兵に、気の緩みというものは存在しない。
このような単調極まりない任務でこそ練度の差というものが出てくるものであるが、第二王子ケイラーが直々に鍛えた王都の兵は、常に気を張った状態で見張りに当たることができるのだ。
しかし、このところ彼らに漂う雰囲気は、ぴしりとした緊張感ではない。
――当惑。
城壁から見下ろせる光景にどうしていいか分からず、かといって目を逸らすわけにもいかないので、ただただ言葉を失ったまま、視線を向けていたのである。
彼ら、見張りに立つ兵たちの眼下で繰り広げられていたもの……。
それは、ひと言で述べるならば、生活であった。
「ヒャッハー! 飯の時間だぜ!」
「おお、今日の昼飯はなんだったかな!?」
「確か、今日はカレーのはずだぜ!」
「そりゃいい! 何しろうちの昼飯はおかわりし放題だからな!
三杯は固いぜ!」
一応は、城壁を取り囲むように展開している正統ロンバルド兵たち……。
彼らが、わざとらしい大声で語り合いながら、他の者と交代し、築いた陣地の奥へと歩んでいく。
その陣地も、陣幕などで構成される通常ものではない。
簡素なれど、しっかりした造りの長屋が立ち並ぶ光景は、集った兵の数もあってちょっとした町を上回る規模であり……。
その中央部では、煮炊きの煙がもくもくと立ち昇り、朝昼夜と充実した食事を振る舞っているようなのである。
当然、料理には食材というものが必要だ。
それを供給するのは、自走する四輪の車である。
鋼鉄の体が、白を基調とした色合いで染め上げられたあの巨人……。
キートンと呼ばれるあの巨人が、変形した両腕で雑巾がけをするかのごとく敷設した長大な道路を使い、そういった車輌が続々と荷を運んでくるのだ。
積み荷となっているのは、新鮮な食糧の他に、様々な生活の物資であり……。
どうもそれらは、ハーキン辺境伯領や、他の親正統ロンバルド派の領地で生産されているらしかった。
しかも、それらはただ運びこまれているわけではない。
「さあ! よってらっしゃい!
エルフ自治区で取れた新鮮な卵を使った菓子だよ!」
「秋になったとはいえ、まだまだ暑い!
残暑対策に、冷たいアイスクリームはいかがかね!?」
陣地の一画を市場のごとく開放し、訪れた商人たちが露店を開けるようになっているのだ。
さらに、繰り広げられている商売は健全なものばかりではなかった。
陣地の端も端へ、密やかに……というには、いささか以上に目立つ『ニャンニャン倶楽部』という看板が掲げられた建物。
他と違い、明らかに手をかけて建築された館風のそこでは、際どい衣装を着た女性たちが手招きして男たちを迎えており……。
熱くたぎった彼らが入館した後、何をしているのかは容易に想像がついた。
食事は十全……。
しかも、三食のそれで足りぬならば、各地からやって来た商人の露店を覗くこともできる。
さらには、若い男たちにとってなくてはならぬ風俗を扱う店もあり……。
賊軍の……正統ロンバルドの陣地へ集った兵たちにとって、そこは、長きに渡った戦いの疲れを癒やす慰安の地となっていた。
「なあ、おい……」
「ああ……。
賊軍は、果たして戦う気があるのか……?」
見張り塔に立った王都の兵たちは、口々にそのようなことを言い合った。
一応……本当に一応と呼べる規模で王都の前に展開している賊軍の兵たちは、タフボーイを除き例のブラスターライフルという武器で武装している。
彼らが陣取っている位置は、こちらの弓や、あるいは魔術が届かぬ絶妙な距離であり……。
しかし、『テレビ』の映像を見た軍師から話を聞いた者によれば、ブラスターから放たれる光は楽にこちらへ届くはずの距離であった。
にも関わらず、彼らがそれをこちらに向けてくる気配はない。
まるで、警戒するなら好きなだけそうすればいいと言うかのように……。
こちらの一切を無視し、玉遊びや二輪の乗り物へ乗っての早駆けに興じているのだ。
――余裕。
それも、圧倒的な余裕である。
その気になれば、ひと息に王都へ乗り込み雌雄を決せられる……。
だが、あえてそれをせず、こちらが弱っていくのを待っているのが手にとるように分かった。
「なあ、今日の飯ってなんだろうな……?」
ふと、誰かがそのようなことをつぶやく。
「さあな。
……どうせ、麦粥だろ?」
「ああ、それも水で薄めに薄めたやつだ」
答えた者たちが、語る通り……。
このところ、兵たちが常食としているのは薄い麦粥であった。
王都を守護せし者の誇りとして、そのようなことを言うのははばかられるが……。
しかし、そのような食事で力を得られるはずもない。
現に、見張り塔の兵たちは、誰もがやつれた顔をしていたのである。
「まあ、俺たちは食えてるだけマシ、か」
「そうだな……。
王都の民たちには、一日の食事回数を減らしている者も多いらしい」
「一時期は、問屋が襲撃されるんじゃないかって話も、まことしやかにささやかれてたしな」
「あれは、カール殿下が掣肘したから起こらずに済んだんだ。
あのまま買い占めや売り惜しみが続いていたら、我らは守るべき民に槍を向けることとなっていたぞ」
正統ロンバルドが反転攻勢を決意してからの日々……。
それを振り返りながら、語らった。
幸い、小麦の収穫期は過ぎており、第二王子率いる軍勢の糧食として消費した分を踏まえても、王家には相当な備蓄があるはずである。
ゆえに、このような節約の日々を続ければ、長期間に渡る籠城も不可能ではないと思えた。
その事実に、希望を抱けるかどうかは別であるが……。
「せめて、海に出れればまだマシなんだろうけどな」
「諦めろ。
あんなでかい船で見張ってるんだ。
まともに漁をさせるつもりなんて、ないだろうよ」
「そもそも、漁師が怖がって船を出さん」
「なら、釣りならどうかって思うけどな。
みんな同じこと考えて釣り糸垂らすもんだから、魚がすれちまって釣れないらしい」
そんな会話を交わし、最後は全員の溜め息で締める。
ともかく、先の見えない籠城と空腹の日々は、続いていくのだ……。




