兄の遺せし物
「なるほど、やはり王都は今、そのようなことになっていましたか」
『ええ、まったく、嘆かわしいことです』
傾けた頭と肩で固定した携帯端末を通じ、ホルン教皇猊下と語り合った俺は、王都フィングで予想通りの光景が展開されているらしいことを知るに至っていた。
『いかがでしょうかな?
教会として、適正な価格、適正な数量で売ることを呼びかけてみようかと思いますが?』
「それをして頂けると、こちら側としても助かります。
そのようなことになった原因は、生活必需品の安定した商路構築のため、市場を寡占的にしていたことにあるでしょうから。
掣肘する存在がなければ、このような事態に対し買い占めと売り惜しみも起ころうというものです。
ただ、すぐに行動を起こすのは止めておいた方がいいでしょう」
『と、いうと?』
「我が父と兄が、かかる事態を静観するはずもありませんからね。
こちらから動かずとも、向こうの方で調整を入れる可能性が高いのです」
『なるほど』
――ジュー……。
――ジュワア!
目の前で鳴り響く、食欲をそそる音……。
そして、香り立つソースの焦げる匂いにうなずきながら、そのような会話を交わす。
『ところで、アスル陛下……。
さっきから、気になっていることがあるのですが?』
「なんでしょうか?」
両手でたくみにコテを扱いながら、そう返した。
コツは、両サイドの下からコテを入れ、すくい上げるように混ぜてやることだ。
さすれば、自然とソースが全体に混ざり合う。
ああ……熱い。
油断すると、したたった汗が鉄板に落ちてしまいそうだ。
『……何か、ジュージューという音や、金具を使っている音が漏れ聞こえるのですが、一体、何をしておられるのですか?』
「はっはっは! これは異なことを!
そんなの、決まっているではありませんか!」
――完成だ!
大量に出来上がったそれを、素早く鉄板の端……あえて火を入れていない部分にまとめてやる。
そして、取り出したプラパックに一食分ずつ入れてやると、仕上げにかつお節、青ノリ、紅ショウガを乗せた。
「はいよ!
熱々の内に食べておくんな!」
蓋をして輪ゴムで止めたそれと割り箸を渡しながら、笑顔でそう告げる。
――と、通話中なんだった。
「あ、失礼しました。
何をしているのかというと、焼きそばを作ってます」
『なんで!?』
ホルン教皇のツッコミが、携帯端末から響き渡る。
「なんでと言われましても……他の奴には任せられないから?
僕が一番上手く焼きそばを作れるんだ!」
『いや、上手いとか下手とかではなく!
……いえ、陛下のことですから、何か深い考えがあるのでしょう。
では、お忙しそうなので私はこれで』
「はい、先ほどの件に関してはよろしくお願いします」
なんだか勝手に納得してくれたホルン教皇との通話を終え、携帯端末を仕舞う。
さあ! 焼きそばを求めている待ち人はまだまだ多い!
腕によりをかけて作らねば!
「焼きそばのお兄ちゃん、どうもありがとう!」
「こんな美味しいものを、タダで振る舞ってくれるなんて……。
ないとは思うが、アスル陛下に会ったら代わりに礼を言っておくれよ」
「あっはっは!
俺がそのアスル王だよー!」
「またまた冗談を」
焼きそばを受け取る人たちと、そのような会話を交わしながらジャンジャン調理し、パックに詰める。
俺がなぜ、このようなことをしているか……。
ホルン教皇の言葉じゃないが、それには深い訳があった。いや、焼きそばは他の奴に任せるのが我慢ならないから、自分でやってるだけだけど。
あの日……。
王都フィング攻囲戦を決断した俺は、一気呵成で王都に――攻め入らなかった。
『マミヤ』を使ったり、あるいは、タフボーイと化すや否や特に練習もなくバイクを乗りこなしたアホ共の機動力を用いれば、即座に王都へ乗り込むことはそう難しくない。
それをあえてしない理由は、ふたつある。
ひとつは、王都で待ち構えるだろう旧ロンバルド王国軍にプレッシャーをかけること。
あえて時を置くことで、フィング内部の状況をガッタガタにかき回し、士気の低下や、上手くいけば離反者が出ることを狙っていた。
その際、問題となるのは民に被害が出すぎることだが、いざとなればホルン教皇を通じ、調整する腹積もりである。
そして、もうひとつの理由は、民の懐柔だ。こちらの方が、理由としては大きいかな。
ビューンと通り過ぎて、「はい勝ちましたよー。今日から君たちは正統ロンバルドの民で、俺が王ね」といっても、民からすれば受け入れがたい。
兵たちにはあえて隊列を作らせ、サイが歩むようにじっくりと街道を進ませる。
その上で、行く先々でこうして食料や料理を振る舞うことにより、正統ロンバルドの力と豊かさを知らしめていくのだ。
すでに、この戦いは勝ったものとして進行している。
ゆえに、事が終わった後、スムーズに統治ができるよう種を蒔いているということだ。
料理と同じだな。
何事も、仕込みが大事だ。
「アスルよ、刻んでおいた野菜がきれたぞ」
焼きそば屋台における盟友――ゴルフェラニが、どうやってるのか蹄でコテを操りながらそう告げる。
彼は焼きそば作りにおける我が師匠であり、唯一、これの調理を任すことができる馬材であった。
今回は相手する人数が多いので、鉄板二つ並べてのダブル体制だったのだが……迂闊だったな。
あらかじめ刻んでおいた野菜が、尽きてしまった。仕込みの大切さを語ったばかりなのに、この不始末である。
「マスター、とりあえず野菜は用意しました」
イヴがそう告げながら、キャベツやら人参やら玉ねぎやらが満載されたダンボール箱を、どかんと折り畳み式の机に置いた。
「でかした!
後は俺に任せろ!」
そう言いながら、都合よく腰に差していた刃物を引き抜く。
「ヒャッハア!」
そして、それを縦横無尽に振るい、次から次へと野菜を下処理していった!
この刃物すっごいよ! ちょっと大きくて使うのにコツがいるけど、切れ味がパない!
多分、王国一の名工とかが手がけたんだと思う。
「マスター、それを使っていいのですか?」
「うむ、我もそれはどうかと思うぞ?」
手持ち無沙汰なイヴと、調理中のゴルフェラニが口々にそう尋ねる。
「え?
いいって、いいって!
あるもんは使わなきゃ!」
「マスターがそう言うならば」
「まあ、あえて止めはすまい」
「? ああ!」
不思議なことを言う二人に首をかしげながら、俺は野菜を刻み続けるのであった。
いやあ、本当によく切れるな!
――兄上の剣!




