決戦 16
時に伝説として語り継がれる最強の魔獣――竜。
それと騎乗した戦士が対峙する光景というのは、まるで神話の一節に登場する光景のようであった。
唯一、吟遊詩人たちが歌うそれらと異なるのは、覇王が一切の武器を持たぬ徒手空拳であるということだろう。
しかし、剣も槍も持たぬその背には、なんらの不安も感じることがない。
この覇王に、表道具など不要!
鍛え抜いた拳の冴えこそ、最強にして最大の武器であるのが見ただけで伝わってくるのだ。
おそらく、この場において誰よりもそれを感じているのは、最初の獲物として選ばれた竜種であろう。
「ルゥ……オォ……」
低くうなり声を発しながら、竜種が息を吸い込む。
それは、竜種最大の攻撃を行う際に見られる予備行動……。
牙も爪も十分届き得る間合いの相手に、あえてこれを使用するのは、脅威を認めたからに他ならなかった。
「ふうん……」
対する覇王はといえば、余裕の笑みを浮かべており……。
あえて、これを防ぐための攻撃を差し入れるようなことはしない。
全力を受けきった上で、それを凌駕し、叩き伏せる。
まさしく、王たるにふさわしい制圧の態度といえよう。
だが、その態度が竜種の怒りをますます激化させた。
「――――――――――ッ!」
怒りの咆哮と共に、全力の炎が吐き出される。
超至近距離から放たれたそれは、またたく間に覇王とその愛馬を包み込み、これを一瞬で焼き尽くしたかに思われた。
……が。
「効かぬ」
ただ、そのひと言と共に……。
炎が、たちまちの内に霧散して果てる。
覇王が身に宿したおののくべき気力により、竜種最大の攻撃はかき消されたのだ。
「グゥ……オォ……!?」
指ひとつ動かすことなく最大の攻撃が無効化されたという事実に、竜種がひるむ。
それを見た覇王が、ゆっくりと口を開いた。
「うぬごときの攻撃、アンチのレスほどにも感じぬわ」
――アンチのレス!
言葉の意味は分からないが、なんだかすごくダメージを受けそうな単語である。
「別に嫌いなら嫌いだっていい。
でも、それをわざわざ本人の見えるようなところに晒さず、せめて、アンチだけが集う場所に書き込むくらいの優しさはあってもいいのではないか?」
同時に、覇王の愛馬がそう言いながら――どうやって発声しているのだろう――一歩、竜種に向けて歩み出す。
まず間違いなく、自身とはなんの関係もない文句を言われた竜種がとった行動は、ひとつであった。
「――オォッ!」
その大木じみた前脚を持ち上げ、覇王を愛馬ごと押しつぶさんと振り下ろしたのである。
巨体から繰り出される動作ゆえに、遠目ではゆるりとした動きにも見えるだろう……。
しかし、実際の速度たるや尋常ではなく、射程範囲からこれを逃れることはほぼ不可能だ。
いかにすさまじい気力と人間離れした巨体を有していようと、肉体の巨大さにおいては竜種の方が遥かに上……。
そこから生じる筋力差にモノをいわせ、力づくで覇王を叩きつぶそうという算段である。
常識的に考えれば、決してくつがえることのない力差……。
だが、一切の常識が通用しないからこそ、覇王は覇王なのである。
「――むうん!」
まるで、幼子の拳を受け止めるかのように……。
覇王が無造作に突き出した手のひらで、竜種のそれを受け止めた。
受け止めて、それで終わりである。
もし、覇王がこれを力づくに受け止めていたならば……。
その衝撃が騎乗する愛馬にまで達し、彼の立つ地面を陥没せしめていたにちがいない。
しかし、それはない。
竜種という、最大最強の魔獣が力任せに振るった一撃を受け止めたというのに……。
生じたはずの力全てが、いかなる術理によってか完全に打ち消されているのだ。
「おお、主よ! これは!」
ペラッペラとよくしゃべる愛馬が、背に乗った覇王へ向けて驚きの声を放つ。
それを受けて、覇王はニヤリと笑いながらこう答えた。
「もはや、剛の拳で敵を圧するのみが我ではない……。
アイドルとしての活動を経て、激流と同化する柔の拳すらも我がものとしたのだ!
――しかも!」
そう言った、次の瞬間である。
まるで、手や枝を素早く振った時のように……。
覇王と愛馬の姿が、幾重にも分裂して見えた。
そして、騎乗した覇王は分身を伴ったまま、まるで流れるような動きで竜種の背面へと移動してみせたのだ。
姿が幾重にもぶれているのならば、素早い動きで残像を作ったようにも思える……。
しかし、覇王にも騎乗する愛馬にも生物が動く際に生じる肉の力みというものは一切なく、そのような単純な原理で生じた現象でないことは明らかであった。
何事が起きたか分からず、振り向くことすらできずにいる竜種に対し、覇王がおごそかに告げる。
「――度重なるアンチのレスや、限定グッズが現地会場のみの販売だったことに関するクレームを目にすることで、哀しみを背負うこともできたわ!」
――アンチのレスへ異常なほどこだわる!
――そして、よく分からないが別の販売方法にも対応すべきではないか!?
脳裏に浮かび上がった一連のツッコミを、しかし、誰も口にすることはできない。
それを口にすることで、イカれた世界へようこそしてしまうことを誰もが恐れていたのである。
「オ……オォ……!」
最大の武器である吐息はかき消され、ならばと繰り出した肉弾戦による一撃は、たやすく受け止められた。
しかも、相手は自分と全く関わりのないことでなんか哀しみを背負って、すごくスイーッと背後に回り込んでくる!
かかる事態に対して、竜種が取った行動は――逃走であった。
「おお!」
「竜種が、飛び去っていくぞ!」
竜と覇王の戦いを見ていた兵たちの間から、驚きの声が上がる。
通常、魔物というものは決して後退することがない。
各地に築かれた防衛線を襲っては、最後の一匹になるまでブラスターで返り討ちにあっていたことからも明らかなように、自己の生存という生物最大の本能が抜け落ちているからだ。
まして、最大最強の種族である竜種が逃走するなどというのは、これまでの出現例をつづったいかなる叙事詩にも存在しない出来事であった。
果たして、何が魔物をそうまで駆り立てているのかは何者にも分からないが……。
覇王という存在は、魔物の根源的行動原理すらくつがえすほどに規格外なのだ。
その証拠に、見るがいい……。
「――むうん!」
覇王の右手に収束していく、なんかよく分からない圧倒的なパワーを!
明らかに魔術とは原理の異なるそれは、「ゴゴゴゴゴ」というどこから出ているのか不明な音と共に、ますます充実し膨れ上がっているのだ!
「――かあっ!」
そして、それが解き放たれる。
放たれたそれは、純粋な力の奔流となって背を向け飛び去ろうとした竜種を飲み込み……。
「――ギョワッ!?」
王者たる種族の断末魔とは思えぬほど情けない声と共に、その竜は完全に消滅した。
――オオ!
――オオオオオッ!」
あまりにあっけない竜の最期……。
そして、あまりに圧倒的な覇王の力に、兵たちが歓声を上げる。
「皆の者! これより他の竜を皆殺しにするぞ!
――ついてくるがいい!」
そんな彼らに、馬上から覇王がそう呼びかけた。
まさしく、この者こそが真に仕えるべき絶対の王……。
頭ではなく、心ですらなく、本能からそれを察したロンバルド人たちの取った行動はといえば、ただひとつである。
――ヒャッハー!
全員が即座に余分な髪を剃り落とし、同時に残ったそれをまとめ上げてトサカのごとく固めた。
そして、服をびりびりと破って半裸になると、どこからともなく取り出した肩パッドを装着したのである!
「――ゆくぞ!」
――ヒャッハー!
覇王の一軍と化した者たちが、怪鳥のごとき叫びを上げながら進軍していく……。
その様は、さながら世の末であり……。
また、この地へ飛来した竜種たちにとっても、終わりを意味する光景であった。




