決戦 11
――『テレビ』。
かつて、『米』の旗を掲げる者たちの手によって各地へもたらされ、ここ王領においては、王城へ狩り集められることになった情報を伝える板である。
正統ロンバルドを名乗る賊軍は、そのような状況でも律儀に最新の情勢を伝え続けており……。
先日はラフィン公爵家率いる諸侯連合による中央部での戦いが終わり、そして、今まさにこの瞬間では、第二王子ケイラー率いる一軍が辺境伯領で一大決戦に臨んでいることが、正確に伝えられていた。
遠き地で起こっていることを、間も置かず共有することができる……。
それがこの板の力であり、『テレビ』に触れる権利を持つ者たちは、王都の地にありながら最前線で働いているかのごとき空気をまとっていた。
そして、それは侍女などにも伝染し、今は王城全体が戦時下の空気に包まれていたのである。
そのような状況下にあって、第一王子カールの娘コルナ・ロンバルドが、いつもと変わらず庭園の花を愛でている姿というのは、一種異様なものであるといえた。
「どうしても、この季節というのは悪い虫が現れるものですね」
咲き誇った花々の茎を見やりながら、コルナがぽつりとそうつぶやく。
視線の先では、花の蜜をすすり成長を妨げる小さな虫が張り付いていた。
「生類である以上は、必ずこれを糧とする生物がいるものです」
ラフィン公爵家から王都に送られた娘――マリア・ラフィンは、そんな王女にありきたりな世の摂理を告げる。
果たして、自分の何がそんなに気に入ったのか……。
あるいは、手元に置いて様子を見ているのか……。
コルナは、何かにつけてはマリアを呼び出し、こうして庭の散策などに連れ歩いていた。
「確かに、何かを食す者は、同時に何かから食されるものでもあります……。
ですが、こうして手をかけた自分の庭園が害されるというのは、どうにも腹立たしいものがありますね」
コルナが、憂いを帯びた顔で答える。
その姿もまた、美しい……。
自分よりわずかに年下の少女でありながら、花々を見ながら悩ましげにしている姿からは、深い年輪とそこから生まれる美が感じられてならないのだ。
その美しき姫君が、ふとこちらに視線を向ける。
「このような時、マリア様ならばいかがいたしまして?」
「わたくしが、ですか……?」
聞かれて、言い淀む。
庭仕事にも植物の習性にも疎いマリアであるから、聞かれたところで良い案など出てくるはずもなかった。
「はしたないとは思いますが、ひとつひとつ、つまみ上げてよそへ移すなどでしょうか……?」
だから、しばし考えた末に出てきたのは、そんなありきたりに過ぎる答えだったのである。
「ふふっ……。
確かに、それが最も直接的で、効果的な方法ではありますね。
ですが、残念ながら花に巣食う害虫はあまりにも数が多く、その全てへ対処するには時間も手も足りません」
「浅学、恥じ入るばかりです……」
マリアの言葉を気にせず、コルナはふと空中に手を差し伸べた。
果たして、何をしているのか……?
その答えは、しばらく待つと訪れたのである。
「それは……」
「てんとう虫ですね。
ふふ、かわいらしいこと」
まるで、導かれるように……。
一匹の小さな虫が、コルナの指先へ止まる。
それは、もしかしたら――いや、明らかにコルナの意思を反映した動きであり……。
魔術師が使うという使い魔の術を想起させたが、しかし、幼き姫君の体からは魔力の気配など微塵も感じられなかったのである。
――望めば、全ての命は意のままに。
指先に止まった虫を見つめるコルナの姿はそう言わんばかりであり、祖父たるロンバルド18世よりも遥かに王としての……支配者としての迫力を感じることができた。
「この小さく、かわいらしい虫はこれで結構、食いしん坊でもあります」
赤と黒……まだらに彩られた小さな虫が、またも、そうせよと命じられたかのように指先から飛び立つ。
羽を震わせ、飛びついたのは先ほど害虫が取り付いていた花の茎……。
そこに降り立ったてんとう虫は、おお……害虫を捕食し始めたのである。
この世界において、どこでも行われているありきたりな弱肉強食の光景……。
そこに存在する、問答無用の残酷さにマリアは背筋を震わせてしまう。
「その捕食対象は、このような害虫……。
同じような大きさをした虫でありながら、花々にとっては正反対の存在なのですね」
そんなマリアのことは気にせず、コルナは捕食するてんとう虫を眺め続けた。
「よしよし、よくお食べなさい。
そうして、花に巣食う害虫を駆逐してしまうのです」
幼き美姫が語りかけているのは、目の前にいる小さな虫というより……。
どこか遠くにいる、ナニモノかたちのように思えた。
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――殲滅せよ!
――この世界に害なす者たちを、殲滅せよ!
――蹂躙し、なぶり、食らい尽くすのだ!
……彼らの脳裏に流れた意思を言語化するならば、そのような内容になるだろう。
それは、本能すら超えた優先順位にある唯一絶対の意思……。
かつては、地上に生くるトカゲに過ぎなかった自分たちを、最強の捕食者として生まれ変わらせた存在からの命令であった。
「――――――――――ッ!」
空の青と雲の白に彩られた世界で、咆哮を轟かせる。
「――――――――――ッ!」
「――――――――――ッ!」
それはたちまち他の個体にも伝播し、大空へ無数の咆哮が響き渡ることとなった。
もし、尋常な生物がこれを聞いていたならば、その迫力と恐怖で心臓を止めていたにちがいない。
翼を羽ばたかせ、一心不乱に目的地へ向かう。
明らかに自重を浮かせる浮力も揚力も得られぬ形状の両翼は、まとった不思議な力で、いかなる鳥類も及ばぬ程の速度を生み出していた。
「ルゥ……オォ……!」
やがて、群れを成す内の一体が、眼下に目標とすべき生物たち発見する。
そこにいたのは、小さく、弱く、そして小賢しい生き物たち……。
この世界に選ばれておらず、また、招かれてすらいないというのに、我が物顔で地上の支配者を気取る者たちであった。
彼らはどうも、いかなる理由によってか互いに争い合っている様子であったが……。
――関係ない!
――その全てを食らい、引き裂くまで!
その牙に……そして爪に、無限の力が宿っていく。
瞳に宿るのは、暗く、凶暴な炎。
それは、捕食者が被捕食者に向けるものとは明らかに性質がちがっており……。
ただ、破壊だけを求めていた。
空腹を満たす多幸感も、獲物を仕留めた達成感も必要はない。
自分たちはただ、与えられたこの衝動に従うだけなのだ。




