煽る者 前編
ロンバルド王国が誇れる点の一つに、識字率の高さというものがある。
ロンバルド14世以降、当代に至るまで王家は長く善政を敷いており……。
太平の世が続いたことから人々の生活が向上し、様々な文化活動へ興じる余裕が生まれたためだ。
また、アスル・ロンバルドの師ビルクのような人物が、学問の普及に務めていたというのも大きいだろう。
そのようなわけで、王都ラフィンを始めとした大都市に住まう人々の識字率は実に七割を超えており、貸本屋は安定した利益が見込める商売として知られていた。
かように読書好きな国民性であるから、大聖堂前の広場でそれが配られた時には、大挙して押し寄せたのである。
「こちらは新しい話を聞くことのできる紙! 新聞だよ!」
「こちら、教会から無償でお渡しさせて頂きます!」
「戦がどう推移しているのか、詳しく書かれているよ!」
大聖堂に務める神官たちが、声を張り上げながら配布しているもの……。
それは、一枚の紙片であった。
ただの紙片ではない。
紙面の四分の一ほどは詳細な……実際の光景そのものを切り取ったかのような絵画によって占められており、残りの部分はずらりと細かい文字が並んでいるのである。
「俺にも一枚くれ!」
「あたしにも一枚ください!」
「はい! はい! 押さないでください!
たくさん用意してありますからね!」
もはや、配っているというよりはそこら中に投げ放っているという方が正しいか……。
広場に集った王都の民たちは、宙に舞う紙片を掴み取ってはその中身に目を通していく。
果たして、そこに書かれていたのは……神官たちが口にしていた通り、王国中央部の平原で繰り広げられたという戦いに関する詳細だったのである。
「侯爵連合軍、負けたのか」
「圧倒的寡兵……っていうのは、兵士の数で負けてるってことか?」
「ああ、侯爵側の方が数はずっと多いのに、ついに賊軍側の守りを突破できなかったんだってよ」
細かな文字が踊り狂う中、ひと際目を引くのはデカデカと書かれた大事であった。
そこには、こう書かれている。
――正統ロンバルド側、敵軍を粉砕せり。
……と。
そして、紙面の多くを占めている精密な絵画は、それを証明するかのような光景を描き出していたのだ。
「この、柵越しに打ってるものが、古代で使われてたっていう武器なのか?」
「妙な光を出してるようにしか見えないが、こんなので人や魔物が殺せるのかね?」
「実際、殺せているんじゃないか?
これ、子供が見たりするかもしれないから、当たってるところは描いてないんだろうけどさ」
「描くというか、『テレビ』みたいにそのままの光景を切り取って紙に移してるみたいだな」
各々、新聞なる紙に目を通しながら感想を言い合う。
――新旧ロンバルドの激突。
これなるは、市井を生きる一市民にとっても関心の深い出来事である。
遠き地で起こったその様子を、翌日にはこうして……しかも、分かりやすい絵図付きで提供してもらう。
それは、彼らにとって全く未知の、そして非常に刺激的な体験であった。
「教皇猊下は、正統ロンバルドからもたらされた情報を基に、今後も定期的に新聞を発行し、無償で配布するとおっしゃられています」
「大きく世が乱れている今だからこそ、正しい情報を得て行動されてください」
そう告げる神官たちへ、人々は感謝の念と共に頭を下げる。
敬虔なる神の使徒が配るものに偽りの内容が含まれる可能性など、誰の頭にも浮かんですらいないのであった。
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「まあ、全部……とは言わないが、肝心なところは大ウソなんだけどな」
『マミヤ』内に存在する会議室……。
様々な機能を内包する円卓に着いた俺は、手にした紙片をパンと弾きながらそうつぶやいた。
「じゃあ、やっぱり……」
不安そうな顔でこちらを見やる弟弟子――ジャンに、ああとうなずく。
「中央部防衛陣を巡る戦いは、向こうの勝ちだ。
こちらはヌイグ指揮の下、キオまで下がっているところだ」
円卓を操作し、現在の戦力図を表示させながら説明する。
今回、ここに呼び寄せた面子――サシャ、ジャン、ソフィを始めとする報道チームは、その言葉に沈痛そうな表情を浮かべた。
特にソフィの顔色は悪い。
この戦いにおける敵軍の指揮官が彼女の父スオムスであることを考えると、それも当然であろう。
「とはいえ、事実をありのまま向こうに教えてやる必要はない。
だから、肝心な部分――どちらが勝ったのかだけはウソついた新聞の原稿データを教皇猊下に渡し、明日には配布してもらう予定だ。
この欺瞞は、いずれ必ず役に立つ日がくる」
俺が手にした紙片――新聞と同じものを、明日にも王都の市民たちは読んでいるはずだ。
こういった時のため、教会にはあらかじめ十分以上の紙とインクを融通しておいたのである。
「それに、この敗戦はそこまで重く受け止める必要がないんだ。
なぜなら――」
「――あらかじめ、こうなることを見込んでいたから、ですね?」
「その通りだ」
聡明なる妹弟子、サシャの言葉にうなずく。
「どういうことです?」
いまいち要領を得ないといった顔のチーフやエルフ女、モヒカンといった報道チーム残りの面子を代表し、ソフィがそう問いかけてきた。
俺はサシャに目くばせし、話してごらんとうながす。
「そもそも、今回の戦いはあまりにこちら側の兵が足りませんでした。
いくら、強固な陣地を構築し、ライフルやボムを使おうとも、それでは勝てるわけがありません」
「だから、被害が出始めたらさっさと逃げたってことか?」
「そう、兵を預けたヌイグにはあらかじめそう言いつけておいた。
つまり、この戦いにおける目的は守りきることではなく、敵の戦力を削って嫌がらせすることに最初からシフトしていたわけだ」
付け足すと、ヌイグに兵を託したのは、奴が辺境伯というそれにふさわしい地位を有するだけでなく、年齢的に枯れたところがあるからだ。
余分な欲を出さず、さっさとケツまくってくれるからな。
「というわけで、人工衛星から得た情報によれば、スオムス軍は再編成やら何やらでしばらく身動きできない状態だ。
軍隊っていうのは巨人。巨人の傷を癒すには時間と手間がかかる」
スオムス軍、という言葉には、言外に指揮官であるスオムスが健在であるというニュアンスを込めてある。
ろくに交流のない父親とはいえ、ソフィが少しだけほっとした顔をした。
「そして、同様のことはこれから起こるハーキン辺境伯領の防衛戦でもやるつもりだ」
他の地域とちがい、ハーキン辺境伯領は魔物による直接的な被害を受けていない。
しかし、他地域でのそれを助けるため、やはり兵の数は手薄となっていた。
俺の兄、ケイラーが指揮する王国最強軍を真っ正面から相手にするのは愚策であろう。
「で、それにあたって問題となるのが、戦況を人々にどう伝えるかなわけだ」
ひとまずの情報共有は終わり……。
俺は、ここでの本題を切り出したのである。




