イヴ
『こちらからも質問します。
あなたはマスターとして登録なさいますか?』
「――イエス!
……イエス、だ。
俺はお前のマスターになるぞ!」
遺物がそんなことをするのかは分からないが……。
ともかく、返事に時間をかけることで見限られてしまってはたまらない。
俺はすかさず、イエスと答えた。
『承知しました。
あなたを新たなマスターとして登録します。
氏名をお教えください、マスター』
「俺の名は、アスル・ロン――」
そこまで言いかけて、口をつぐむ。
バカだな、俺は……。
もしかしたならば、心のどこかでまだ未練を持っているのかもしれない……。
「失礼した。
俺の名は、アスル。
……ただの、アスルだ」
『タダノ・アスル様ですね? 承知しました。
その名でマスター登録を――』
「――いや、待て待て待て!」
慌てながら空中で手を振る俺だが、遺物から――驚くべきことに――笑い声が漏れる。
『こちらも失礼しました。今のは冗談です。
アスル、という名でマスター登録を致します』
冗談とか言うんだ、この遺物……。
超古代文明が無駄なことに技術力を注いじまった事実に戦慄しながら、俺は続く言葉を待つ。
『では、マスター……。
早速ですが、あなたは大変に不潔かつ、不衛生な状態であり、なおかつ、極度の栄養失調状態にあるものと推察できます』
「エイヨウ、という言葉の意味はよく分からんが、不潔な状態なのは確かだな……」
術で宙に浮かびながら、俺は自分の体を見回す。
着たきりの装束はボロボロであり、至る所に汗が染みついている。
……正直、よく今日までの五年間、病気にならず過ごせたものだ。
それもこれも、我が執念のなせる技であろう。
『栄養というのは、食事から摂取する体に必要な力のことです。
まずは、私に乗船し、体を洗浄し、清潔な衣服を身に着け、栄養価の高い食事を取り、体を休める必要があると提案します』
ハキハキとした言葉に、うなずく。
「それが得られるならば、望むところだ。
だが……」
眼下の遺物を見下ろす。
どうやら、やはり船だったらしいそれは、船体をくまなく神秘的な輝きの金属板で覆っており……。
入り口どころか、継ぎ目すら見当たらないのだが……。
『地上に下りてください。
入り口を開きます』
「――おおっ!?」
仮名称『船』がそう言うと、何やら左舷部の一部が展開し、そこからスルスルと階段が伸びてくる。
すごいな、超古代の遺物!
感動と興奮のまま、地上に下りて階段へ足をかける俺!
そして、なんか勝手に階段が動き出したことへ驚き、転げ落ちてしまう俺!
……すごいな、超古代の遺物!
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擬態型魔法生物かと疑うような、不思議な階段を昇った先……。
『船』の内部は、これも見たことのない質感の建材で構成された、密閉空間であった。
巨体に関して異様に狭い……大人二人がすれ違うくらいがやっとな通路。
そこで俺を待ち受けていたのは、驚くほどに綺麗な……女性である。
年の頃は、十代後半であろうか?
腰まで伸びた髪は七色の光を放っており、常に色彩が変じていて本来の色をうかがわせない。
顔立ちは整い過ぎるくらいに整っており、無表情なのも相まって作り物めいた印象を与える。
服装は……なんと言えばいいのだろう?
動植物を使ったものとは明らかに異なる、不思議な光沢の布地……。
それが、人の手によるものとは思えないほど緻密な縫製で婦人服に仕立て上げられ、体へぴっちりと貼りついているのだ。
はっきりと体つきがうかがえてしまうそれは、露出などほとんど無いというのに、見ようによっては扇情的であった。
「お待ちしておりました、マスター」
その唇からつむがれるのは、『船』と同じ声……。
となると、あの声は彼女がなんらかの方法で発していたのだろうか?
「君は……?」
「私は当船――『マミヤ』の自立式有機型端末です」
俺の質問に、表情は変えず……。
ただ髪の色彩のみを無限大に変じさせながら、少女が答える。
答えてくれたのだが……何を言ってるんだか、サッパリ分からん。
「その……ユウキなんちゃらというのは、一体なんなんだ?」
俺の質問に、まるで糸で操られた人形のように独特な動きで、少女が首をかしげる。
しばらくそうした後、ようやくその口が開かれた。
「この船――『マミヤ』の分身だと説明すれば、ご理解いただけるでしょうか?」
「ああ、その説明ならなんとなく分かる……」
分身、分身か……。
つまり、本体となるのはあくまでもこの船であり……。
彼女自身は、その使い魔と呼べる存在なのだろう。
……猫や鳥ならばいざ知らず、生の人間を使い魔に仕立て上げるとは。
やはり、超古代文明の技術は大したものだ。
だが……。
「その子……人間を操っているわけか。
それは少し、その……かわいそうに感じるな」
「人道的な問題に配慮されているのだとしたら、問題はありません。
このボディは人工的に作り上げたものであり、体の作りも普通のホモサピエンスとは全く異なるものです」
「人工的に作り上げた……?
超古代の文明は、ホムンクルスを完成させていたということか!?」
人間の手で、自然ならざる命を作り出す……。
超古代文明の技術は、神の領域にまで達していたということか……。
俺はしきりに感心しながら、ホムンクルス少女へ問いかける。
「それで君は、俺の手助けをしてくれるということか?」
「イエス。
副船長として、あるいは秘書として、あるいはメイドとして、あなたの活動全般を補佐します。
つきましては、船そのものの名称である『マミヤ』と差別化を図るため、この端末に名をお与えください」
「君を名付ける。
そいつが俺の、最初の仕事というわけか……」
「イエス」
少女にうながされ、俺は名前を考えた。
考えて出てきたのは、記憶の奥底にあった名前……。
「……イヴ」
「『イヴ』ですね? 承知しました。
ちなみにですが、由来をおうかがいしてもよろしいですか?」
その言葉に、俺はしばし躊躇し……観念して口を開く。
「死産した妹の名だ」
「承知しました。
妹様の分まで、あなたのお力となります」
これが俺と、イヴの出会いであった。