新種 前編
かつて、無数の小貴族家が群立していたロンバルド王国中元地帯……。
今はアスル王の逆疎開政策により、交易都市キオへ人々が身を寄せ合っているこの地方には、東西二つの大防衛陣が築かれていた。
ひとつ目、東側に築かれしは、『マミヤ』によって運び込まれた豊富な木材資源を使った、防御柵による防衛陣である。
騎馬兵への防御力を最重要視したこちらの仮想敵は、山賊爵として名高いスオムス・ラフィンが率いる一軍であった。
ただ陣地が築かれただけではなく、訓練を終えたイーシャとバファー両辺境伯家の兵も到着し布陣し終えており、まさに一触即発、開戦の時を待つばかりといった状況である。
一方、ちょうどキオを挟む形で正反対の西側に築かれし防衛陣を一言で表すならば、これは、
――土の壁。
……と、いうことになるだろう。
ただ、土を固めて壁を作ったわけではない。
土嚢を城壁のごとく複雑に組み合わせることで生まれた、鉄壁の防御壁だ。
たかが土と、侮るなかれ。
麻袋へ詰め込み、設置する際は角材で叩くなどしてガチガチに固めたそれは、遠目から見たならば、石造りの城壁と比べてもなんらそん色ない頼もしさである。
耐久性、衝撃吸収力共に折り紙つきであり、さらに、一部が崩れた際にも即座の再構築が可能……。
その上、これはただ均一な壁として積み上げられているのではなく、ところどころにへこみが設けられており、そこからブラスターライフルを突き出すことが可能となっていた。
ただひとつの戦に備えるのではなく、継続的な防御能力をも視野に入れた防衛陣……。
こちらが備えているのは大量発生した魔物であり、すでに、幾度となくその比類なき防御力を証明している。
土嚢壁が連なる各所へ用意された詰め所には、常に予備兵力が駐屯しており……。
土嚢壁そのものへも二十四時間体制で兵が配され、昼夜問わず侵攻を試みる魔物の撃退に当たっているのだ。
こちら方面において、戦いはとうの昔から――日常。
撃滅された魔物の総数は、ロンバルド王国がここ百年に倒してきたそれを遥かに上回るであろう。
しかしながら、いかなる異常事態、緊急事態であっても、それが毎日触れるものであるならば人の気はゆるむ。
人間という生き物が、良くも悪くも順応性に優れていることの証左であるといえよう。
従って、この日土嚢壁の守備を命じられたその兵が大あくびしても、周囲の者たちはそれを咎めなかった。
「ああ、悪い。
昨日、ちょっとばかり寝付きが悪くってな」
「寝付きが悪かった?
お前たち、例のカードゲームでずいぶん盛り上がってたじゃないか?」
咎められはしなかったものの、さすがにばつの悪さを感じたらしい若い兵に対し、やや年かさの同僚がからかうようにそう告げる。
「へへ、なかなかデッキが回らなくてさ。
つい、熱くなっちまった」
「ほどほどにしとけよ。
あくまで、黙認されてるだけなんだからな」
兵たちが駐屯する詰め所においては、食事や入浴の時間はもとより、就寝時間に至るまでも厳密に定められていた。
それでも、夜ふかししたくなるのは人の性というものであり……。
『決闘王オフィシャルカードゲーム』を用いた賭け事は、兵たちの密かな楽しみとして指揮官らも黙認していたのである。
「お前のデッキって何軸だっけ?
闇刻竜?」
「いんや、天翔炎獣さ。
タフで熱いモンスターたちのデッキだぜ。
少なくとも、本物の魔物なんか目じゃないね」
雑談はしながらも、見張りとしての務めはしっかりと果たしながら若い兵がうそぶく。
「何しろ、本物の魔物共はこいつさえあればイチコロなんだから」
そう言って彼がばしりと叩いたのは、自らのブラスターライフルである。
支給された当初、それは真新しい玩具めいた代物であった。
しかし、今はちがう。
そこかしこに細かいキズや汚れが付着したそれは、見るからに使い込まれているのだ。
そのキズと汚れこそ、彼の戦歴そのものであり……。
ただの農民でしかなかった青年に、背骨を与えてくれていた。
「ああ、まったくだ。
単なる農民だったおれたちが、今じゃいっぱしに魔物を退治してみせる……。
時代が移り変わったってのを感じるな」
同じようにブラスターライフルを触りながら、年かさの兵がにやりと笑う。
人間同士の相性を考えた結果、正統ロンバルドにおいては、似たような出自の兵同士で組ませる傾向があり、この班へ配属されているのはハーキン辺境伯領の農村出身者たちだった。
「ちょっとした魔物なら、こいつが出てくる前も、俺ら農民が相手することはあったけどさ」
若い兵が、自らのライフルを眺めやる。
そして、その後、緩やかな弧を描く土嚢壁の先――そこで同じく見張り任務に当たる、別班の者たちを見やった。
「それでも、いざという時は騎士様たちの出番だった。
でも、もうそうじゃない」
「ああ……。
これからは、騎士だの農民だのって時代じゃなくなるんだろうな」
年かさの兵が相槌を打つ。
戦いが日常化した中でも、一切の弛緩を感じさせず、きびきびした動作で見張りをこなす者たち……。
別班の彼らこそは、かつてここ中央部を統治していた小貴族家の当主やその配下たちであった。
自分たちと同じ軍服に身を包み、手にしているのも同様のブラスターライフル……。
もはやそこに、戦士階級と被戦士階級の差は感じられない。
そう考えると、かつては自分たちの尊敬を一身に集めていた彼らの姿が、何やら色あせて感じられた。
そんな会話を交わしていた、その時だ。
――ヴヴヴヴヴッ!
年かさの兵が所持する携帯端末から、危急を知らせる振動音が響いたのである。
「魔物の接近警報!
総員、配置につけ!」
班を構成する兵たちが、さすがに緊張した顔で土嚢壁に張り付く。
各班のまとめ役へ持たされた携帯端末には、カミヤや人工衛星からの偵察情報が常に送られており……。
いざ、魔物が襲来する時には、このような警告を発してくれるのだ。
見張りにつきながら雑談を楽しめるのはそのような理由もあったのである。
「人工衛星からの情報によれば、接近する魔物たちはデータにない新種の模様!
各員、注意されたし!」
年かさの兵が腰から端末を引き抜き、送信されてきたメッセージを読み上げた。
「へ、注意しろって言われてもなあ」
「ああ、こいつがあれば今回も一網打尽さ」
「誰が一番多く仕留めるか、競争だぜ」
先ほど雑談していた若い兵ばかりでなく、班に所属する兵全てが口々にそう言い放つ。
それぞれ、油断なくライフルの調子を確かめており……。
口元に浮かべた笑みからは、この武器に対する絶対的な信頼がうかがえた。
「まあ、注意しろとのお達しなんだ。
せいぜい、気をつけようか」
若い者たちの油断をあえて指摘せず、年かさの兵はそう言うに留める。
彼自信、もはや魔物という存在を羽虫のごとく思っていたのだ。
ただ、邪魔で有害な存在を駆除するだけ……。
魔物の襲来というものは、そのような……実にたやすい作業となっていたのである。




