ラフィンたる者
――本当の新年。
――主から恵みを賜る季節。
――始まりの季節。
これらは、ロンバルド王国において六月から八月ごろまで示す言葉である。
その理由は他でもなく、この時期が小麦の収穫期にあたるからだ。
この国において、小麦がもたらす影響は実に幅広い。
例をあげれば、貨幣価値の基準がどれだけの小麦を買い求められるかにあるのだから、その影響力がうかがい知れるだろう。
単に、主要作物だからというわけではない……。
ロンバルドにとって、小麦こそが全ての土台であり、礎であるのだ。
そうなると、各地で小麦の収穫が終わるこの時節は、ラフィン侯爵領の領都ミサンにとって気温以上に熱い季節ということになる。
何しろ、この都は東西南北へ至る四大街道が接続された王国一の商業都市であり、収穫期が終わった今は、人も金も物も、とにかく移動を図る時期なのだ。
まして、今年は昨年の冷害が嘘であったかのような、空前の大豊作を各地で迎えていた。
昨年、いざというとき時のために財布の紐を固くしていた人々もそれを緩め、どころか、節制を強制された去年への復讐をするかのように、ちょっとした贅沢を楽しもうとしていたのである。
――機を見るに敏。
そんな気運を嗅ぎ付けた商人たちは、人々の需要を満たし、その上で自らの利益を上げるべく、続々とミサンヘ流れ込んでいた。
目抜き通りには各地から持ち込まれた工芸品や保存食が並び、ロンバルド王国の縮図と呼ぶべき光景が広がり……。
行き交う金貨や銀貨の量ときたら、王国中からかき集めたのではないかと思えるほどである。
冷害の影響を受けた昨年は、少々物寂しい光景も見られたこの都市であるが、今年はそれを払拭しようという熱気に包まれていた。
いや、この街を包むのは、商売の熱気のみではないか……。
――打倒、正統ロンバルド!
きたる戦に向けた意気や、言葉にできぬ不安などもまた、この街を包み込んでいたのである。
その発生源となっているのが、王家からの要請に従い収穫の終わった各地から徴兵されてきた者たちだろう。
――徴兵。
言葉にするのは簡単であるが、昨日までただの一般人だった男たちを兵として仕立て上げるというのは、そう簡単なことではない。
まず、衣食住を整えてやるのが大変だ。
食糧や寝床は当然として、戦の場で振るってもらう槍や日々消耗する靴などに至るまで、その全てを面倒見てやらねばならない。
もしもこれを怠り、手弁当で戦うことなどを強要すれば、戦力たることを期待して集めた者たちは、最も恐るべき敵へと変じることになるだろう。
訓練や編成の問題も存在する。
武器を与えれば、それで兵として生まれ変わるかといえば当然ながらそんなことはない。
槍の扱い方は当然として、指示を受けた際にどのような動きをすればよいかや、軍として行動するにあたっての規律教育など、人が兵として戦うためには相応の教育が必要となるのだ。
また、人間には好き嫌いや相性というものが存在し、例え同じ地域の出身者であったとしても、水利権を巡って争う村同士の者が同じ班に分けられたりしないよう、留意する必要があった。
これら全ての問題を解決するというのは、そんじょそこらの貴族家にできるものではない。
ラフィン侯爵家はそれを託された数少ない貴族家の一つであり、その領都であるここミサンは、交通の便が良いこともあり、周辺地域から徴兵された者たちの集合地となっていたのである。
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「――以上が、徴兵された者たちに関する報告となります」
「うむ」
ミサンの中心部でその威容を誇りし、ラフィン侯爵家居城……。
大領の長にふさわしい豪奢な装飾が施された謁見の間において、当代当主スオムス・ラフィンは配下の言葉へ鷹揚にうなずいた。
「とにかく、食事に関しては不満の出ないよう留意しておけ。
騎士団は都市内の巡回を徹底し、この騒ぎに乗じ不埒なことをする輩が出てこないか、目を光らせるように。
あまり目に余るような行いをする者がいたならば、最悪二、三人は見せしめとして斬り捨てても構わん」
「ははっ!」
――山賊爵。
その異名にふさわしい豪快な決断へ、配下の騎士は内心震えながらも姿勢よく返事する。
「まあ、徴兵された者たちが少ない自由時間の中、はしゃぎたくなる気持ちは分からんでないが、な……。
田舎から出てきたことのない者にとって、この街は刺激が多すぎるだろうよ」
謁見用の、豪華な見た目に反して座り心地はまったく良くない椅子に深く腰かけながら、スオムスはそう漏らした。
急に兵としてかき集められ、郊外に設けられた急ごしらえの兵舎へと押し込められる……。
タコ壺から抜け出れないタコのごとき日々において、わずかな自由を得ればはしゃぎたくもなるだろう。
しかし、この街に秩序をもたらすのがスオムス最大の使命であり、それを思えば、目をつむれる範囲には限界があるのだ。
もっとも……。
正規兵だけで事に臨んでいれば、そのようなことへ腐心する必要はないのだが……。
知らず浮き出てきた詮無き考えを打ち消すように、かぶりを振る。
「閣下、何か……?」
それがいらぬ誤解を与えたのか、眼下の騎士が不安そうな声を漏らした。
「いや、なんでもない。
下がってよし」
そんな己への苦笑を押し殺しながら、スオムスはそう命じたのである。
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その夜……。
執務室でスオムスが開いていたのは、人質として王都フィングへ預けている愛娘、マリア・ラフィンからの手紙であった。
人質といっても、永年に渡り王家へ忠義を尽くしてきたラフィン侯爵家であるから形式的なものであり、マリアに対する縛りは無いに等しい。
住まわせているのも王都に設けた別邸であるし、世話をする家臣らもここミサンから連れて行った者たちであった。
外出制限も手紙の検閲ないため、マリアは王都で見聞きしたことの全てを、手紙という形で父親に伝えていたのである。
言ってしまえば、間諜働きであり、スオムスが娘らの中で最も聡い子であるマリアを人質に選んだのは、これを果たせる能力があると見込んだからであった。
「やはり、王都でも似たようなものか……」
その手紙を読み終え、誰もいない執務室で独り言を漏らす。
徴兵された者たちが続々と集まることで混乱が起こっているのは、ここミサンばかりでなく、王都フィングもまた同様のようであった。
そして、手紙の最後は、「なぜ、王家が徴兵を実施したのか分かりかねる」という、マリアの不信で締められていたのである。
「我らが鍛え抜いた正規兵を信じきれぬ王家への不満は、分からんでもないがな……」
そんな娘の言葉に苦笑いしながら、返信をしたためるため筆を手にした。
まっさらな羊皮紙へ書きつづるのは、ラフィン侯爵家に生まれた者としての心得である。
「我ら、ラフィン侯爵家は王家の槍であり、盾である。
主に疑問を持たず、ただ鋭く、頑強であればいいのだ……」
山賊爵と呼ばれる男の言葉は、まるで自らへ言い聞かせているかのようであった。




