徴兵 前編
天に座す太陽は、近頃ますますその輝きを強めているようであり……今年の夏は、例年通りの暑さになるだろうことを予感させる。
そうなると、野良仕事というものは過酷さを増すものであるが……これに従事する農夫らの顔からは、疲れというものが感じられなかった。
いや、それどころではない……。
その村で暮らす誰も彼もが明るい笑みを浮かべており、生きる喜びというものに満ち溢れているのだ。
それも、そのはずだろう……。
彼らの眼前に広がるのは、黄金の原と称すべき光景だったのである。
丹念込めて世話してきた畑には、所狭しと収穫を待つ小麦が生えており……。
初夏の風に揺らされた穂先はいかにも実り豊かであり、自身の重みで頭を垂れているほどであった。
――豊作。
……それも、村に住まう老人たちが、人生で見たことがないとうなるほどの豊作である。
昨年……同じ時期の小麦畑がどうだったかといえば、これは無残のひと言であった。
それもこれも、建国以来とも称される大規模な冷害に見舞われたからであり、人々は肌寒さ以上の寒気を心中で感じたものだ。
『米』の旗を持つ者たちが食糧を強力に配布してくれなければ、どれほどの餓死者が出たものか知れたものではなく、この豊作に繋げるための種もみを確保することもままならなかったにちがいない。
それが転じて、今年はこれだ。
正直な話をすれば、正統ロンバルドの建国宣言がされて以来、村に住む大人たちの心中はおだやかなものではなかった。
なぜならば、彼らが暮らす土地を治める領主は、王家に対して厚き忠誠を誓っており……正統ロンバルドとの敵対姿勢を貫くことは明白だったからである。
事実、『テレビ』で建国宣言を見てから数日も経たない内に騎士らが派遣され、様々な情報を伝えてくれるあの便利な板は接収されてしまったのだ。
――もう、天気予報を見ることはできないのか!?
――いや、それどころじゃない。正統ロンバルドの配給はもう、受けられないってことだぞ。
――もし、また飢饉になったりしたらどうなるんだ!?
『テレビ』の失われた集会所で顔を突き合わせ語り合っても、しょせんは農村の男たち……何か妙案が出てくるはずもない。
結局、ご領主様――ひいてはロンバルド王家に逆らえるはずもなく、例年通りの畑仕事へ従事してきたわけであるが……。
結果としては、全てが杞憂であったといえるだろう。
思えば、昨年の秋頃から今日に至るまで……天の運行全てが噛み合っていた。
空気の暖かさも冷たさも、雨の量も頻度も、何もかもが小麦を育てるのに最適なものであり……。
まるで、昨年の惨状を見かねた主が、今年はそれを取り返せるようにはからってくれたかのようである。
――いや、まるでじゃない。
――まさしく、主がそのようにしてくださったのだ!
子供たちは嬉しそうに父親を手伝い、女たちは、収穫後に自分たちが行う脱穀の準備に余念がない。
今年は、正統ロンバルドとの戦いに備え、例年よりやや重い税を課すとあらかじめ通達されているが……。
これだけの豊作ならば、それを吸収してなお余りあることだろう。
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王都フィングが誇る大聖堂といえば、宗教上の総本山であり、王都を生きる人々にとっては欠かせぬ憩いの場でもある。
信仰心厚きロンバルドの王国民にとって、暇を見て祈りを捧げに来るのはごく日常的な光景であり、ここで顔を合わせた知り合いやたまたま意気投合した者と語り合うのもまた、ありふれた日常なのだ。
しかし、このところは例年にも増して足を運ぶ者の数が多い。
小麦の収穫という、あらゆる王国民にとって関心深い出来事が近づいているのもあるが……。
それ以上に、近づきつつある戦乱を察知した人々が主へすがりにきているのが大きいだろう。
そのようなわけで、大聖堂前の広場は信徒たちや、捧げものを扱う屋台で今日も賑わっているわけであるが……。
そんな光景を大聖堂の自室から見下ろしつつ、ロンバルドの教皇ホルンは溜め息を吐き出していた。
「本当なのかね? それは……」
「騎士の中でも、それなりの地位にある者が懺悔したとのことですので、間違いないかと……」
背後から彼に答えたのは、ワシのごとき風貌をした聖職者――ロイル枢機卿である。
「懺悔の内容を漏らすなど、聖職者として褒められたことではない……褒められたことではないが……。
しかし、これはよく話してくれたと、その神官に伝えておいてくれ」
教皇の言葉に、腹心たる枢機卿は無言のままうなずいてみせた。
そして、このようなことを尋ねたのである。
「猊下……教会としては、何か動きを取りますかな?」
「いや、その必要はあるまい。
と、いうよりも、我らとしては動きようがない」
自身の体重よりも重いのではないかという、教皇にのみ許されたローブ……。
今は普段以上の重量をそれに感じながら、枢機卿の言葉に答えた。
「王家は丁重に扱ってくれているが……。
しょせん、我らはこの王都という鳥カゴに収まった鳥。
いかなる動きも、取りようがない。
その代わり、こちらから王家に何をすることもないが」
正統ロンバルドの建国宣言以来……。
王家と教会とは、冷戦とでも呼ぶべき関係を維持し続けている。
互いに、直接的な関与をすることはない。
しかして、魔物が大発生した時のような例外を除けば、繋ぎを取り合うこともない。
無関心という名の、冷たい対立関係が続いているのだ。
「それに、我ら教会は新旧どちらのロンバルドが勝ったとして、その立場を保証されているのだからな。
あえて、どちらかに肩入れすることはできぬよ」
流れるように語ってみせたが、相手とて海千山千の聖職者……。
それが、自分の本心でないことは察しているだろう。
「ですが、猊下個人のお考えとしては……?」
この問いかけこそが、その証拠であった。
ロイルとは、教皇選挙に勝ち抜いた時から一種の共犯関係が続いている。
ならば、この程度の本音は漏らしてもいいだろう。
「当然ながら、正統ロンバルドに傾いているさ。
見るがいい、眼下で信徒たちが手にし聖書を!
あれを売ったことで、教会が得た利益といったら……!」
現在、教会は正統ロンバルドから持ち込まれた印刷機を使い、聖書を大量に生産し続けている。
敬虔なる信徒たちは、これをこぞって買い求め……。
激動の情勢にありながら……いや、むしろそれに後押しされる形で、莫大な利益を教会にもたらしているのだ。
「それに、魔物の大発生に際し、王家はなんの動きも取らなかった。
本来ならば、正統ロンバルド以上にこれを救わねばならぬ立場でありながら、だ……」
「それに加え、今回のこれですからな……」
自分の言葉に、ロイル枢機卿が忌々しげにそう吐き出す。
つまるところ、この男も今回の件は腹に据えかねており……。
他に愚痴を吐ける人物も存在せず、自分へ呼び水を与えてきたのだろう。
「まったくだ……」
それに乗りかかる形で、またも大きく溜め息を吐き出す。
いやしくも、最高位の聖職者があまり溜め息ばかり吐くものではないが……。
こればかりは、仕方があるまい。
なぜならば……。
「まさか、徴兵を行おうとはな……」
王家は、ロンバルド13世の南征以来となるそれを行おうとしているのだから……。




