イヴツー
魔物が大発生するようになって以来、ようやくにも形が整いつつあった軍隊を各地へ分散させ、その対処に当たらせている正統ロンバルドであるが……。
では、最も絶望的な戦いに身を投じているのは何者であろうかと問われれば、それは『マミヤ』内の緊急対策本部に詰めている事務方を置いて他にないだろう。
何しろ――増援の見込みがない。
傘下に収まった貴族家の兵が、装備の慣熟訓練を終え合流するようになり、兵力は徐々にだが余裕を持ちつつある。
しかし、事務処理となるとそうはいかない。
極端な話、安全装置の解除法と引き金の引き方さえ分かれば数合わせになる歩兵と異なり、正統ロンバルドで行っている会計処理には表計算ソフト……ひいてはパソコンの使い方を覚えることが必須であった。
これを習得することが、難しい。
何しろ、これまでは羽ペンと羊皮紙で仕事をしてきた人々なのだ。
試しに、各貴族家で勘定に携わる者を何名か選抜し、教えを施してはみたが……。
「マウスを動かして」
と伝えれば、大真面目にデバイスを手に取り、これを右に振ったり左に振ったりする有様なのである。
これは逆説的に、納屋衆から選抜された自分たち若手の優秀さと頭の柔らかさを示してはいたが……。
それで、人手が増えるわけでもない。
かくして、緊急対策本部の者たちは二十四時間体制で『マミヤ』の第二会議室に詰め、三食をカップ麺で済ませながら激務に従事する日々を送ってきたのだが……。
潮目が変わったのは、つい先日のことである。
他でもない……超大型の新人が配属されたのだ。
――イヴツー。
アスル王がどこからともなく連れて来た彼女は、その名通りイヴと出自が近しい存在であるらしい。
その事務処理能力は、文字通り――百人力。
足首まで伸ばされた彼女の髪は普段、色素というものが抜け落ちたかのように白一色であるのだが……。
これを一瞬、イヴのように様々な色彩へ変化させると、自分たちが数時間がかりで行う会計処理が一瞬で終了してしまうのだ。
初日は、処理結果が表示されたノートパソコンを見て全員で歓喜し、これを抱きかかえたまま気絶するように眠ってしまったものである。
同様のことはイヴでも可能なわけだが、生憎と彼女は非常に多忙であり……。
同様の力を持つ存在がもう一人増えたというのは、正統ロンバルドの後方支援業務において大きな戦力強化であると言えよう。
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「なあ、イヴツーなんだが……。
少し、働き過ぎじゃないか?」
『マミヤ』内に存在する自室……総指令室の役割を果たすようになって久しいそこで、普段よりもだいぶ数の減った書類をめくりながら、俺は傍らのイヴにそう尋ねた。
「イエスであり、ノーです。
彼女は大変精力的に仕事をこなしていますが、肉体的な限界は越えていません」
「仕事が楽しくて仕方ない時期のあるあるってやつか……。
まあ、楽しんでくれているなら止めるのもどうかと思うけどな。
今は、何をやってくれているんだ?」
「先日の呪沼境破壊で得られたデータを基に、カミヤたちの新兵装を調整してくれています」
事務処理をしてくれるだけでも、俺や緊急対策本部の人間は大助かりであるのだが……。
それに加え、古代のテクノロジーに関する知識がなければできない業務を率先してこなしてくれているらしい。
あの後……。
いつも通り死から復活した俺は、名もなき有機型端末にイヴツーという名前を与えた。我ながら単純なネーミングセンスである。
本来ならばあちらが先輩なので、イヴワンとかイヴゼロと呼んでもいいのだが、本人が辞退したのと語感の問題でそう決めたのだ。
「まあ、数千歳レベルで年齢差はあるわけだけど、お前の同型なんだからよく面倒を見てやって――」
部屋の自動ドアが開かれたのは、そんなことを言おうとしていた時であった。
「進言。
人型モジュールらの兵装調整が完了したので、修羅と呼ばれている一団の訓練に参加したく思います」
入室と同時、間髪を入れずにそう言ったのはまさに話題の人物――イヴツーである。
ここへ来て以来、彼女は呪沼境で着ていた水着同然の皮装束ではなく、『マミヤ』製の制服姿となっていた。
聞いたところによると、彼女自身は、沼地もろとも吹き飛ばされた施設で『調整』されることにより、食事などなくとも健康体を維持していたらしいのだが……。
古代人の手落ちなのか、それともそういう思想を抱いていた集団なのか……装備類はそうもいかず、自身で現地調達&自作していたらしい。
あんな魔物が生息する中を、そんな装備で生き抜いてきた彼女であり、その戦闘力は――高い。
軽く手合わせしたが、俺やバンホーと同等くらいはあるだろう。
だから、反対する理由はないのだが……。
「あいつらも、いつも同じ相手とばっかりじゃマンネリだろうしな。
君が混ざってくれるなら、いい刺激になるだろう。
ただ、その……なんだ……」
「何か問題でも?」
言い淀む俺に対し、そこはイヴと同様ずけずけと問いかけてくる。
「いや、無理をしてないか……。
あるいは、ちゃんと馴染めているのかが心配になってな。
何しろ、呪沼境の破壊は君の意見を聞かず、ただ俺が気にくわなかったからという理由で敢行したから……」
「理解。
ですが、問題ありません」
そんな俺に対し、イヴツーはぴしりと姿勢を正しながらそう断じた。
「確かに、自分は製造された理由の第一義を失いました。
ですが、そもそも自分たち有機型端末は人類及びその改良種へ奉仕することが根源的使命です。
今、自分の力が求められているという状況には、人間が言う充足を感じています」
「そうか……ならばいいのだが」
「推察。
まだ何か、気になるところがあるのでは?」
背もたれに体重を預けた俺に対し、イヴツーが鋭く指摘する。
まあ、今聞く必要があることでもないが……せっかくだから聞いておくか。
「いや、君はイヴのように『マミヤ』とリンクしないのかと思ってな。
その髪、リンク状態だと光るんだろ?」
彼女の長い白髪を見ながら、そう尋ねた。
そんな俺の疑問に答えたのは、対照的に髪をピカピカ光らせている傍らのイヴである。
「その件に関しては、私が説明しましょう。
マスターと『マミヤ』を橋渡しするため製造された私と異なり、彼女は独立型としての色を強く調整されているため、本人がそれを望まなかったのです」
「肯定。
リンクそのものは可能でありますし、一部の事務処理時には行っていますが、恒常的なそれは不要と判断しました。
人間的に述べるならば、しっくりこないということになります」
イヴの言葉を引き継ぎ、イヴツーがそう答えた。
「そうか……ともかく、俺たちの仕事を大幅に減らしてくれたのは助かるよ」
「イエス。
おかげで私も、オーガの新曲制作に集中できます」
「古代人のカバー曲じゃないのは誰が用意してるんだろうと思ってたけど、お前が作ってたのか……。
俺が助かると言っているのは、そういうことじゃない」
そう言いながら、机に置かれた紙片の一枚を手に取る。
そこに印刷されているのは、カミヤによる航空偵察写真……。
ただの写真ではなく、奴がスキャンした様々なデータも添えられていた。
「何しろ、これから戦争だからな」
データの内訳は、旧ロンバルド王国内における小麦の予想収穫量である。
現在、正統ロンバルド側は、季節もへったくれもなくジャンジャン農作物を生産しているが……。
当然ながらあちらはそうでなく、季節と天候の移ろいに農業を支配されていた。
そして、間もなく……小麦の収穫期を迎える。
それが意味するものは、ただ一つ。
人類史において――おそらくは俺の知らぬ古代史においても――主要作物の収穫後というのは、戦端を開くに絶好の時期なのだ。




