指し手 6
「てめえが! てめえがあっ!」
男はそう叫びながら物乞いの襟元を掴み、これを壁に押し付けようとする。
こうなれば、物乞いの老人にとってはたまったものではない。
何しろ、男は若く、元居た村ではなんらかの肉体労働へ従事していたのが明らかな風体であり……。
しかも、古代文明の恩恵に預かり、今では毎日十分な食事を取れているのだ。
怒りに燃える男にとって、物乞いの体重など枯れ木も同然であり、たちまちの内に老人は壁に押し付けられた。
しかも、男はただそうしただけではない。
「こいつと同じようにしてやる!」
叫びながら、老人の襟首を両腕で押さえつけたのだ。
現場に駆け付けた周囲の者たちは、ただおろおろとしながら様子を見守っているだけであり、これはもうエンテがどうにかするしかなかった。
「おい、やめろ!」
素早く右手をかざし、魔術を発動させる。
「――うっ!?」
エルフの手から放たれた見えざる力の糸は、またたく間に男の自由を奪い去り……。
男は、操り人形のようにぎくしゃくとした動きで老人から手を離し、一歩、二歩と後ずさった。
「――ゲホッ! ゴホッ!」
膝をついた物乞いが、喉を押さえながら激しく咳込む。
あと少し、手を出すのが遅かったならば、首の骨でも折れていたかもしれぬ。
「少し落ち着け」
「う……く……」
エルフといえば魔術に明るい種族であり、エンテはその中でも、若年でありながら天才ともてはやされるほどの巧者である。
そこいらの凡夫が抵抗などできるはずもなく、男はエンテの意に従い、強制的にその場へひざまずかされた。
ただし、目と口だけは自由を残してある。
「一体、急にどうしたんだ?
なんでこの爺さんへ襲いかかった?」
エンテに問いかけられ、男は自由な目でいまだ咳込んでいる物乞いをぎろりと睨みつけた。
「他に考えられねえ! あいつが用を足しに行ってから、ここへ入って行ったのはそこのジジイだけだ!」
「だからって、短絡的すぎるだろう……」
男の言葉に、少々のあきれを込めてそうつぶやく。
「イエス。エンテ様の意見に賛同します。
確かに、背後からの絞殺であれば、ある程度の体格差は考慮の外となります。
が、それを置いてもそちらのご老人はあまりに痩せ細っており、とても犯行を実行に移せるとは思いません。
そもそも、暴力へ訴えかける前に凶器を所持していないか調べるべきです」
「そうだよ。
それに、なんでこの爺さんがあんたの友達を殺さなきゃいけないんだ?」
イヴの言葉に同調しながら尋ねると、男は怒りのこもった視線を物乞いに向けながら、とつとつと語り始めた。
「それは……こいつら物乞いや浮浪者が、こないだの事件を俺たち難民がやったって言いがかりをつけてくるからだ。
知っているぞ! 俺たちの住んでるプレハブ小屋の周りに、夜中ゴミをまき散らしたりしてるってな!
それだけじゃねえ! 街へ食糧を納めに来る時、城門のそばで徒党を組んで睨みつけてきやがって!」
「そうなのか?」
「……それこそ、言いがかりじゃ」
エンテが問いかけると、ようやく息の整った物乞いはそう言ってぷいと顔をそむける。
……どうやら、事実であるばかりか、この老人も一枚噛んでいるようだ。
「それに……」
「ん?」
と、その物乞いが、お返しとばかりに強烈な怒りのこもった視線を魔術で捕らえられた男に向ける。
「そいつら難民がわしらの仲間を殺したのは、疑う余地もない!
それをなんだ!? 人に言いがかりをつけて! 首まで絞めてきよって!
どうせ、そこで野垂れ死んでいるそいつもお前ら難民の間でいざこざがあって殺されたんだろう!?
探せば、きっとそこら辺に犯人がおるはずだ!
難民の犯人がな!」
「――てめえ!」
男が身動きできぬと思って、言いたい放題だ。
この状況には、小娘でしかないエンテは頭を抱える他にない。
「はあ、なんだかなあ……。
――ん?」
そんな混乱した状況の中でそれに気づけたのは、エンテが森を駆け巡り、その恵みを得ることで暮らしてきたエルフの戦士であるからだろう。
ただ、気づいたことはおくびにも出さず……。
代わりに、精神のみを張り詰めさせる。
「――なんの騒ぎだ!?」
この街を守る騎士たちが駆けつけたのは、その時であった。
「イヴ、このおっさんは騎士たちに預けといてくれ。
状況の説明も頼む」
「了解しました。
しかし、エンテ様はどうなさるのですか?」
「オレは……」
そこで初めて、それに対し視線を向ける。
視線を向けた先にあったのは、どこぞの商店とおもしき建物の屋根だ。
そう、なんの変哲もない屋根……。
だが――いる!
「――逃がすものか!」
魔術も発動し、すぐさまその屋根へ飛び乗った。
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エルフ少女が見せた突然の行動に、眼下の者たちは驚いていたが……。
そのようなことは気にせず、油断なく周囲を見回す。
やはり――いる!
先ほどまで感じていたのは、稚気とも呼べる意思……。
それが今は、怯えの色へと変じてどこぞに潜んでいた。
そう――潜んでいる。
なんの変哲も、飾り気もない屋根の上……。
ごくごく単純な造りをしたここへ、確かに隠れ潜んでいるのだ。
目で見たところで、不審な点など見つけられない。
しかし、エルフ自治区きっての天才少女は、第六感じみた勘働きで這いずり逃げようとするその動きを知覚していた。
「――そこだ!」
懐から素早くブラスターを抜き放ち、引き金を引く。
――ピュン!
という、どこか気の抜けた音と共に一条の光線が放たれ……。
「……手応えあったぜ」
エンテは、確かにそれが目標へ着弾したことを感じた。
そして、それを裏付けるように、バタバタという……何かの苦しみもがく音が周囲へ響き渡ったのだ。
油断なくブラスターを構えたまま、それへ近づく。
なんの変哲もない、屋根の一部……。
それが今は、度の合っていない眼鏡を通して見たかのように、歪んでいた。
しかも、その中央にはブラスター特有の焼け焦げた弾痕が生じているのだ。
屋根の一部にしか見えなかったそれは、次第にネズミ色の……本来の色を取り戻していき……。
やがて、ぐったりと力尽き、息絶えた。
これなる生物を、どのように形容すればいいのか……。
ぶよぶよの皮だけで一枚の布を作ったかのような、そういった形態をしている。
筋肉も、感覚器の類も見受けることはできぬ。
あまりに異様で、異形の生物であった。
だが、醜い骸と成り果てた今の姿を見て、これなる魔物の脅威を判じてはならない。
この魔物は、今そうしていたように、周囲の景色へ巧みに溶け込み、あるいは自由自在にその形状を変化させ、何も知らず通りかかった人間をあなどれぬ力で葬り去るのだ。
これなる魔物にかかれば、撲殺も惨殺も、そして絞殺も……選び放題であろう。
そう、エンテはこの魔物を知っていた。
だから、ブラスターを懐へ仕舞うと同時に、その名をつぶやいたのである。
「擬態型魔法生物……」
……と。




