指し手 5
トロイアプロジェクトが施行されて以来、親正統ロンバルドの各都市では様々な革新的店舗が出店されるようになっていたが……。
甘味処もまた、その一つといえるだろう。
――甘味。
果実の類であるならば、いざ知らず……。
砂糖を使ったそれとなると、一般庶民には高嶺の花と呼ぶのもはばかられる代物であった。
だが、現在、逆疎開先に選ばれた各都市の難民居住区では種々様々な果物に加え、砂糖も力を入れて生産されており……。
今となっては、子供の小遣いでも砂糖を使った菓子が買えるまでに至っているのだ。
アスルが砂糖の生産に力を入れているのは、前線を支える兵たちへ供給する嗜好品の原材料とするためであり、一般市民たちはそのおこぼれへ預かった形といえるだろう。
そのようなわけで、ここ、イーシャ辺境伯領の領都ザナクにもいくつかの甘味処が出店を果たしていたが……。
エンテとイヴが小休止先に選んだのは、目抜き通りの一画に存在する中流階級向けの店であった。
「おお、きたきた!」
運ばれてきたドーナツを見て、ぽんと手を打つ。
女子が甘いものを好むのは、人間もエルフも同じ……。
ドーナツを目にしたエンテの耳は、ぴこぴこと激しく上下していた。
「推理力を発揮するためには、糖分が必要不可欠。
ここでしっかり補給して、後の捜査に備えましょう」
一方、イヴの方はいつも通り無感情な顔をしているが……。
心なしか、常よりも激しく髪が発光しているように見えた。
「うん、前にサシャたちがテレビで取り上げてたけど、予想以上に美味いな!
確か、豆乳を使ってるんだっけ?」
「イエス。
親正統ロンバルド派の貴族領に存在する牛は絶対数が足らないため、一部の高級店以外では豆乳やマーガリンなどを使った菓子が提供されています。
ちなみに、メニューの提案はクッキングモヒカンによるものです」
「あいつ、色々やってるんだなあ……。
さておき、うちの里に養鶏場を作った時みたく、一気に牛を増やすことはできないのか?
もっとこう、それこそクッキングモヒカンが作ったお菓子みたいに、生クリームとかたくさん乗ってるとみんな嬉しいと思うだけど」
「培養により牛を増産することは可能ですが、それはあえてマスターがストップしています。
理由は二つ。
一つは単純に、生き物を飼育するのは習熟が必要であること」
「ああ、バタリーケージを使った養鶏場でも、ちゃんと運用できるようになるまでは色々苦労があったってうちの親も言ってたもんな」
ドーナツをかじり、以前に父……長フォルシャから聞いた話を思い出す。
そんなエルフ娘に対し、自身もドーナツを食べながらイヴは理由の二つ目を告げた。
「理由のもう一つは、既存の牛飼いたちが不利益をこうむらないようにするためです。
いわば、この状況は彼らにとって利益を得るための商機。
それを『マミヤ』の力で安易に取り上げるのは、経済・雇用両面から愚策であるとのことです」
「言われてみれば、そうか。
アスルのやつも、あれで結構考えているんだなあ……」
十代の旺盛な食欲でドーナツを平らげ、感心しながらそうつぶやく。
そんなエンテに対し、同じくドーナツを平らげたイヴが静かに尋ねた。
「それで、エンテ様。
この後は、どのように調査を進めましょうか?」
「んー、とにかく地道な聞き込みだな。
浮浪者たちは駄目だったけど、例えばゴミを運び込んでる人たちに気づいたことはないか聞いてみたり……。
他には、ここだけじゃなく他の街で起きた事件も調べたいしな」
そんな風に答えながら、お茶の入ったカップへ口をつける。
「――大変だ!」
「――人が死んでいるらしいぞ!」
表から大声が響いてきたのは、そんな時であり……。
エンテは思わず、口に含んだお茶を噴き出してしまった。
--
大急ぎで勘定を済ませ、店を出る。
すると、どこぞの裏路地へ至る道に人だかりができており……。
一目で、そこが事件現場だと判断できた。
「どいてくれ! 正統ロンバルドの者だ!」
密集している人たちにそう言い放ち、どうにか体を押し込んでいく。
「正統ロンバルドだって?」
「いや、確かにけったいな格好しているぞ」
「それにエルフ様だ! よく見たら、テレビに出てた子だぞ!」
「テレビで見たイヴさんもいるぞ。この髪を見間違えるはずがねえ!」
「みんな、道を開けよう!」
こうしてみると、バカな子供役として教育番組にイヴと出演してきた意味もあったのか……。
それとも、同胞であるエルフらの医療活動が功を奏したのか、ともかく道を開けてもらうことができた。
「――ここが現場か!?」
イヴと共に、昼なお薄暗い裏路地の片隅に出る。
すると、そこには一人の男が倒れ伏しており……。
その周囲を、何人かの者たちが取り囲んでいた。
取り囲んでいる者の大半はザナクの市民であるが、物乞いらしき老人も一人混ざっている。
「ちょっとごめんよ! どういう経緯か、説明してくれ!」
倒れ伏している男に、息はない……。
一見してそう見て取り、周囲の者たちへ問いかけた。
「わ、わしが遺体を見つけたんじゃ……」
すると、物乞いらしき老人がおずおずと前へ進み出る。
「わしは、この辺りで乞食をしているんじゃが、もよおしてしまっての……。
用を足そうとここへ来たら、この男が死んでおったんじゃ」
なるほど、物乞いであるならばどこかで便所を借りるというわけにもいくまい。
彼の言葉に、嘘はないと思えた。
「死因は絞殺ですね。
何か、細いひも状のもので首を絞められています。
これならば、さほど時間をかけずに殺害できるかと」
いつの間にか遺体の傍らへしゃがみ込んでいたイヴが、頭髪の色彩を激しく変化させながら断言する。
おそらくは、『マミヤ』と通じて診断したのだろう。
「誰か、被害者を知っている人はいないのか?」
「お、俺だ……」
今度は、別の男が前に進み出た。
「俺とこいつは、同じ村出身で……。
今日も、食糧を収めに来たところだったんだ。
そしたら、こいつが小便したいって言いだして……。
俺たち、街じゃ便所とか借りづらくてさ」
「それじゃあ、被害者は難民なのか……。
あんたは、その間にどうしてたんだ?」
「裏路地の入口辺りで、荷車と一緒に待ってたよ。
そしたら、そこの爺さんが上げた悲鳴を聞いてさ」
「ああ、言われてみれば荷車もあったな」
群がる人々に気を取られてしまったが、確かに空の荷車も捨て置かれていたと思う。
戻ればすぐに分かることだし、これも言葉のまま受け取ってよいだろう。
「今回もまた、凶器らしきものはありませんね」
周囲を見回したイヴが、そうつぶやく。
確か、ひも状のもので絞殺したのだったか……。
なるほど、そのような物は見当たらない。
「……めえが」
被害者の相棒だという男がわなわなと肩を震わせたのは、その時だ。
「――てめえが殺したんだろう!」
すると、次の瞬間……男は物乞いへ掴みかかったのである。




