ベルクの戦い
トロイアプロジェクトにより、各都市の生活は様変わりしたが……。
基本的にそれは併設された難民居住区においての話であり、ザナクやベッヘ、キオなど元々の都市に関しては、主要施設の一部を電化した程度の変化に留まっている。
これは当然の話であり、そもそもの既存建築物が存在する以上、それらの撤去や改築には諸々の手順が必要となるのだ。
正統ロンバルドに残された余力といえば、せいぜい王自身が焼きそばの屋台を出す程度のものであり、そのようなことにかかずらわることは不可能であった。
また、そもそもの問題として、都市内へ住んでいる人々の古代技術に関する見識が浅いのだから、性急にこれを導入するなどというのは、どだい無理な話なのである。
かつて人類が発生した惑星――地球において、各種の革新的技術が普及するまで相応の時間を要したように……。
このようなものは、徐々に徐々にと、浸透させていくのが本当なのだ。
そのようなわけで、親正統ロンバルドの各都市においては、避難してきた難民ばかりが電化製品の恩恵を受け、元よりその地へ住んでいた者たちは薪に頼った生活をするという、歪な状態が続いていた。
そんな状況下で、唯一の例外といえるのがハーキン辺境伯領の領都ウロネスである。
何しろ、正統ロンバルドの建国以前から密かにアスル王と通じていたベルク・ハーキン辺境伯の治める都であり……。
古代の技術を段階的に導入するだけの時間は、十分に存在した。
今や、ウロネス自慢の港湾施設では、電動式ボートや重油式の漁船が行き交うようになり……。
海中基地を増築する形で設けられた正統ロンバルドの港とやり取りした荷は、フォークリフトなる乗り物で効率的に運搬されている。
また、辺境伯の邸宅や教会施設では、ロウソクではなく電気の明かりが用いられるようになっており、特に教会においては、この明かりを見るためだけに訪れる信者の姿というものも珍しくなかった。
他の都市とちがい、立地の問題もあって発電施設は建設されていないが……。
景観を崩し過ぎぬよう配慮する形で要所に設置されたソーラーパネルや、垂直軸型風力発電機は、着実にウロネスで暮らす人々の生活を変えていたのである。
また、この街で変わったことと言えば、もう一つ……。
エルフとの、積極的な交流がされるようになったのだ。
エルフといえば、森林地帯の一部を自治区として生活している閉鎖的な種族であり、これまで彼らとの交流は、ごく限られたものに限定されてきた。
潮目が変わったのは、やはり――正統ロバルドの建国。
いや、建国されてから明かされた、かつてエルフ自治区を襲ったという魔物の大発生事件である。
その事件を通じ、アスル王は建国王ザギ・ロンバルドと同様、エルフ自治区の長フォルシャと深い友誼を結んだ。
以降、エルフたちは正統ロンバルドへ実質的に組み込まれており……。
表立っての建国宣言がなされると同時に、辺境伯領の人々とも積極的な交流をするようになったのだ。
主な目的は、養鶏場で生産された鶏肉や卵の取り引きである。
昨年の大冷害をきっかけに、この施設は段階を経て自治区内に増設されており、今や、辺境伯領の人々にとって卵のない食生活というものは考えられなくなっていた。
代わりに、エルフたちは漁獲量が大幅に増した海産物を得られるわけで、これは互いに得のできる取り引きなのである。
そのようなわけで、今やウロネスでエルフの姿を見かけることは珍しくなく……。
エルフの長フォルシャが、ベルク辺境伯の邸宅を訪れるのもまた、日常の風景であった。
しかし、この夜……ベルクの執務室で向き合っている二人の様相は、常ならぬものだったのである。
「では、いくぞ……!」
見た目は、若々しき美青年……。
しかして、実際には数百年の年輪を重ねている長フォルシャが、それにふさわしい重々しさを宿す声で問いかけた。
「いつでも……!」
対するベルクの、表情は険しい。
男性でありながら美貌という言葉の良く似合う整った顔が、今は苦悩と疲労に歪んでいた。
ベルクの同意を得た長フォルシャが、決然と口を開く。
「いあ――」
――ブッブー!
最後まで言い終わらぬ内に、二人の脳裏へダメ出しを告げる音が流れた。
これなるは――天の意思!
「……どうやら、慰安という言葉に婦女子を意味する単語を付け加えるのもアウトのようだな」
「当然ながら、しょ――」
――ブッブー!
「……も、ダメでしたしね」
数百歳の年齢差がある美形二人は、天からのダメ出しが混ざる中でそう言葉を交わした。
「しかし、ならば一体なんと呼べばいいのだろうか?
兵たちの士気を維持する上では欠かせない、あー……女の子とイイことする施設や職業の呼び名を!」
机に拳を叩きつけながら、長フォルシャが嘆きの言葉を放つ。
「体制を整えること自体は順調だった!
それもこれも、全てはベルク殿の手腕によるもの……!」
「アスルめには隠していますが、私はそういった組織を諜報に利用してますからね。
その伝手を活かせたのはよかったが、まさか、こんなところでつまづくとは……!」
懐から携帯端末を取り出したベルクが、それを睨みつける。
「すでに、トロイアプロジェクトに選定された各都市で、女の子たちも設備もスタンバイ済み!
あとは、これで営業開始を告げればいつでも男らを受け入れられるのですが……」
「肝心の呼び名が、ことごとく天にダメ出しされるとはな……!」
瞑目し、しばし考え込んだ長フォルシャが、くわと目を見開く。
「ならば、これはどうだ!
洗濯おん――」
――ブッブー!
「……ダメなようだ」
「そもそも、なんで天はここまでそういった言葉を拒むのでしょうか?
我らが戦場はなろう! 結構な作品が、あれやこれやとそういった描写をしているではありませんか!?」
「分からない……。
分からない、が。もしかして天は、自分だけそういったアレコレを避けつつ、しかし、人気は得たいという都合の良いことを考えているのではないだろうか?」
――ピンポンピンポーン!
……どうやら、正解だったらしい。
「さすがは、アスル・ロンバルドというクズ中のクズ! カス・オブ・ザ・カスを主人公にした天だ!
……性根が腐っている」
目を伏せたベルクが、毒づく。
「しかし、状況的にも男にイイことしてもらう設備と体制が必要不可欠!
どうにか、そのニュアンスを残しつつもクリーンな感じのする呼び名を、天に提案しなければ!」
「うーむ、ならばこういうのはどうだ?
こう、女の子を猫に見立てて……!」
どうやら名案の浮かんだらしい長フォルシャが、指を立てながらこう告げた。
「オニャンコポ――」
――ブッブー!
――ブ! ブ! ブブー!
「――ぐわあああああっ!?」
天から放たれたおしおきの雷撃が、偉大なるエルフの長を直撃する!
アスルとちがい出力を上げ過ぎると本当に死んでしまうため、やや手加減はされていたが……それでも、長フォルシャの長髪は見るも無残なアフロへと変じた。
「どうやら、天はその名に対し多大な期待を抱いておられるようですね。理由は不明ですが」
「二〇二二……クラシック……なんだか知らないが、そんな単語が脳裏をよぎった」
全身からブスブスと黒煙を漂わせた長フォルシャが、机に手をつくことでどうにか立った状態を維持しながらそう言い放つ。
「しかし、どうやらこの言葉はオーケーな様子……。
――オニャンコ!」
……しん、とした静寂が室内を包み込む。
どうやら、天はそこまでならスルーするつもりのようだ。
「ならば、これでどうだ……!」
しばしの間を挟み、ベルクが決断的に口を開く。
もしも、おしおきを受けたならば、美形青年キャラのアイデンティティが崩壊する……!
そのリスクを恐れつつも、ベルクが提案したその呼び名は……!
「――ニャンニャン倶楽部!」
――ピンポンピンポーン!
「よし! 通ったぞ!」
「決定だ!
戦いに疲れた男たちが女の子とイイことをする組織及び施設の名は、ニャンニャン倶楽部だ!」
ガッツポーズをするベルクに、長フォルシャが喝采を送る。
こうして、ベルク・ハーキンの知られざる戦いは終わり……。
彼の組織した『ニャンニャン倶楽部』は、各地でその営業を開始したのであった。




