桜の花 4
はるか上空に浮かぶそれを、一目見て形容するならば、これは、
――船舶のよう。
……と、いうことになる。
鉄とも銀とも異なる、神秘的な金属で形作られた船体は両舷部を翼のように緩く湾曲させており、一種の美術品めいた美しさが感じられた。
ガレー船のような櫂も、帆船のようなマストも存在しない船に浮遊力と推進力を与えているのは、船体底部から発される不思議な光である。
飛翔するというよりは、空の上を滑るように……。
実になめらかな動きで、大空を闊歩しているのだ。
――『マミヤ』。
正統ロンバルドの王アスルが旧『死の大地』より発見した、超古代の遺物である。
それが上空を航行するというのは、魔物が大発生するようになって以来、トロイアプロジェクトへ選ばれた都市にとっては見慣れた光景であった。
『マミヤ』が訪れる主な目的は、輸送である。
現在、正統ロンバルド派に属する貴族家の所領は大半が魔物の支配圏となっており、真っ当な方法で行き来ができる状態ではない。
そのため、現地ではどうしても賄えない品々を『マミヤ』で直接輸送し、戦線と人々の生活を維持しているのだ。
しかし、この日……『マミヤ』がイーシャ辺境伯領の領都ザナクを訪れたのは、輸送の他にもう一つの目的が存在した。
――ハナミ。
アスル王の妻ウルカが故国における伝統行事を、再現すべく訪れていたのである。
『テレビ』などを通じ概要を聞いた時、人々は半信半疑となったものだ。
ハナミというものは、サクラなる木に咲いた花々を見ながら、酒や料理を楽しむ行事だという……。
では、その木どころか芽さえないロンバルドの地において、どうやってそれを再現しようというのか……。
その答えは――虚像であった。
見るがいい……ザナク各所に存在する広場にて花咲く、サクラの木々を。
その下に立てば、薄桃色の花弁が天を覆い……ひらひらと舞い散る花びらが、長き魔物との戦いで疲れ切った心を慰めてくれるのだ。
だが、その木にも花びらにも、直接手を触れることはかなわない。
幹に触れれば手は飲み込まれ、舞い落ちた花びらをすくおうとすれば、それは手のひらを素通りしてしまうのだ。
全ては、『マミヤ』本体と、そこから遣わされた宙に浮かぶ球体の仕事である。
それらが、実物そのものとしか思えないサクラの虚像を街中に出現させ、一瞬で幻想的な風景を生み出しているのだ。
全ては、幻……。
しかし、あまりにも美しすぎる――幻。
その美しさに、ザナクとその難民居住区に住まう人々は魅せられた。
ここぞとばかりに安値で卸された酒や、手製の料理を手に幻のサクラへと集う。
後は、飲めや歌えやの大騒ぎである。
魔物が大発生するようになって以来、人々の心をむしばんでいた鬱屈した気持ち……。
それを発散するのに、これは絶好の機会であった。
逆に言うならば、多くの人々は負の感情を持て余しつつも、それを解消する機会に恵まれていなかったのである。
そういった光景が繰り広げられたのは、兵舎においても同じ……。
即時出撃可能な体制を維持するため、一般の人々に比べれば様々な制限はあったが……。
くる日もくる日も魔物と戦い続け、または治安維持や訓練にあたっていた彼らにとって、幻想的なサクラの美しさは良い清涼剤となっていた。
そして、この虚像を用いたハナミが行われたのは、ザナクのみではない……。
バファー辺境伯家の領都ベッヘ……。
あるいは、中央部の交易都市キオ……。
『マミヤ』は、トロイアプロジェクトに選定された各都市を訪れ、同じようにハナミを開催していったのである。
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『マミヤ』の空間プロジェクター技術によって投影された、本物そっくりなサクラの下……。
そこで繰り広げられている光景はといえば、獣人国で見たそれのロンバルド版であると言えばおおよそ間違いはない。
もっとも、獣人王家主催だったあの時とちがい、こちらでハナミを楽しんでいるのは市井の人々だから、どんちゃん騒ぎっぷりでは比較にならないけどな。
それにしても……。
「いいもんだな。
こうやって、浮かれ騒ぐ人々を見るっていうのは」
野外での宴会に興じる人々を見やりながら、俺はしみじみとそう語った。
「急にどうした?」
隣に立つ巨馬――ゴルフェラニが、俺の方を見やりながらいぶかしげに尋ねる。
「いや、やはり王としてはさ。
人々が幸せそうにしているのを見るのが、何よりの喜びというか……。
彼らの浮かれ騒ぐ姿が、咲き誇るサクラよりも尊く美しいものに感じられるんだ。
まあ、今は魔物が発生し続けている最中……。
立体映像に過ぎないこのサクラと同じく、うたかたのものだとは分かってるけどさ」
「なるほどな……。
貴様にしては、なかなかいいことを言うではないか。
存分にその喜びを堪能するがいい」
「ああ、堪能するさ。堪能しているさ。
――だけどな!」
そこで俺は、カン! と手にしたコテを鉄板に打ち付けた。
「別に俺は、焼きそばを作りながら堪能したいわけじゃないんだ!」
「ガタガタぬかしてないで手を動かせ!
貴様の言う、尊く美しい者たちが腹を空かせて列を作っているぞ」
ジュウジュウと音を立てる鉄板の前……。
俺と共に焼きそばを調理するゴルフェラニが、どうやってるのか蹄で器用にコテを操りながらそう言い放った。
「はいこちら、三人前あがりましたー!
坊や、落とさないように気を付けて運んでくんな!
……ねえ、おかしくない? なんで俺、王様なのに焼きそば作ってそれを売ってんの?」
お客さんに対してはとびきりの笑顔を向けつつ、身内に対しては毒づく。
「マスター、もぐもぐ。
その質問には、もぐもぐ。
私が答えましょう。もぐもぐ」
背後のイヴが、焼きそば(売り物)を食べながらそう言い放つ。てめーは食ってる暇があったら手伝え!
「もぐもぐ。マスターの他に暇な人間が、もぐもぐ。
いなかった、もぐもぐ。からです。もぐもぐ」
「いちいち、もぐもぐと言うんじゃない! 文字数稼ぎみたいになっちまうだろ!
つーか、別に俺は暇じゃないんですけど! なんなら、正統ロンバルドで一番忙しくしてるまであるんですけど!
商売人たちはどうした!? こういう時こそ稼げよ!」
「貴様の望み通りハナミを楽しんでくれているようだぞ?」
「さっき、ソアン様も焼きそばを買って行かれました。もぐもぐ」
調理中のゴルフェラニと、口に青のりを付けたイヴが口々に答える。
「ちくしょう! ロンバルド人はこういう時、オンオフをきっちりつけるから! ちくしょう!」
「いいから焼きそばを作れ! そして売れ!
そもそも、出店の一つもないではつまらんと貴様が言ったのだろうが!」
「マスター、目玉焼きのトッピングを提案します。もぐもぐ」
「あー、もう! 分かったよ! 作って売って目玉焼きも焼いてやらあ!
――はい、お姉さん! こちら五人前ね!」
そのようなわけで……。
人々がハナミを楽しんでいる最中、俺は一生分の焼きそばを作ることになったのであった。




