桜の花 2
あれは確か、俺と第二王子が遠駆けをした帰りだったかな……。
良い馬が二頭も手に入ったもんだから、兄弟二人、夢中になって王都近くの草原を駆け……。
それで帰城した際、出迎えた兄上の妻――エーデルがこう言ったのだ。
「あの辺りには、今時分ならば花々が咲き乱れていることでしょう?
さぞかし、美しかったにちがいありませんね」
これに対し、馬上の兄上と俺は口々にこう言い放った。
「ふうむ……こやつの足を確かめるのに夢中で、まったく気づかなかったわ。
アスル、お前はどうだ?」
「兄上、俺も同じです。
いや、さすがは兄上! 良い馬を見い出された!
まだ二歳でこれだけ長く足を使えるのですから、将来が楽しみでなりませぬ!」
「はっはっは!
こやつらそのものもそうだが、いずれは作らせるその子も楽しみなものだな!」
「いかにも!」
そんな風に馬上で笑い合う俺たちを見て、義姉上はあきれた顔をしたものである。
「まあ、それでは、あなたもアスル様も、せっかく咲いた花々に目もくれなかったということですか?」
「まあ、そう言うなエーデルよ。
俺は生粋の武辺者で、アスルは俺に次ぐ武才に加え、学問にも魔術にも秀でている。
花に目をやる暇などないのだ」
「それに見たところで、名前も分かりませんしね」
「まあ、そういうことだな」
俺たちの言葉に、義姉上は深いため息をつき、こう言ったものだ。
「あなた……それに、アスル様も……。
よいですか? 花の名前は知らなくてもいいのです。
ですが、どうか……その美しさだけは、理解できる人でいてください」
その言葉に、馬上の俺たちは互いを見やった。
そして、自分たちの不明を深く恥じ入り……下馬し、二人して義姉上に詫びいったのである。
懐かしい記憶だ。
あの言葉をくれた義姉上はもうこの世にいないけど、深く記憶に根付いている。
そして、あの出来事がなければ、今、この瞬間の感動は、ここまで深いものでなかったかもしれない。
「すごいな……」
見上げれば、視界を埋め尽くすほど見事に咲き誇った薄桃色の花弁……。
それらを見やりながら、ありきたりな言葉を漏らしてしまう。
しかし、それも致し方のないことだ。
人間が紡ぐ言葉程度でこの美しさを表すなど、どだい無理な話なのである。
「かつて、この地には歴代獣王の墓所が存在し、時の王によって盛んに桜が植樹されました。
残念ながら、ファイン皇国によって墓所は破壊されてしまいましたが……」
俺の隣で、少々のかげりを宿しながらウルカが淡々と告げた。
「桜のみはそれをまのがれ、今日においても美しい花を咲かせてくれているのです」
しかし、次の瞬間には明るいほほ笑みを見せ、咲き誇る花々を見やったのである。
周囲を見れば、あちこちへ陣幕が張られており……。
再建された獣王家の家臣たちが、酒宴の準備へいそしんでいた。
彼らの出自は様々で、風林火へ参加していた者もいるし、長く隠れ潜みながら力を蓄えていた者もいるし、才を見い出され登用された者もいるという。
いずれにしても、共通しているのは明るい顔をしていること……。
その瞳は、未来への希望で輝いていた。あと、めっちゃしっぽ振ってる。
「しかし、そうなると、ここには君のご先祖様方の魂がおられるわけか」
墓所跡……というより、公園の由来を聞いた俺は、桜の下にたたずむ我が妻を見やった。
おそらく、今日この日のために仕立てたのだろう……。
重ねられた何枚もの着物は、一つ一つが非常に凝った染色をされており……美の神髄というものを、凝縮したかのようなスゴ味がある。
まとめ上げられた銀色の髪には、これも見事な装飾のかんざしがいくつも挿されており、ロンバルド王家の王冠にも劣らない威容が宿っていた。
対して、お化粧は年頃の少女にふさわしく薄めのもの……。
これは明らかに、他との調和よりも俺の好みを優先してくれた結果であり、そのことが何やらとてつもなく嬉しく感じられる。
そんな彼女に対し、以前、メタルアスルで着用した束帯姿の俺は、顔を引き締めながらこう語った。
「ならば、君の夫として恥ずかしいところを見せないよう気をつけないとな」
「まあ、アスル様ったら……」
俺の言葉を受けたウルカが、クスクスと笑う。
キツネの特性を備えた獣耳と尾がゆらゆら揺れているのは、彼女の感情を表しているにちがいない。
「そのようなことを、言ってくださる方の妻となれたこと……。
きっと、父祖の霊も喜んでくれています」
「だとしたら、光栄の至りだ」
桜が舞う空の下……。
そんな風に語り合っている俺たちへ、声をかける者の姿があった。
「アスル様、ウルカ様……。
皆様方、準備整ってございます」
裃姿でうやうやしくかしずくのは、オオカミの特質を備えた老齢の侍……。
ツンデレ系バーチャル狼耳美少女ホーバンちゃんの、中の人である。
またの名を、侍大将バンホーといった。
「おお、みんな似合っているぞ!」
そんな彼に案内されて参上した一団を見て、そのように声をかける。
「なあなあ、兄ちゃん。
本当に、おらたちもこの格好しなきゃだめなのか?」
一団の先頭に立つジャンが、落ち着かなげに裃をいじりながらそう言った。
彼の背後には、同じく裃姿のロンバルド騎士たちや報道チームが居並んでおり……。
サシャを始めとする女性陣も、ウルカが直々に選んだ着物で着飾っている。
「必要だ。絶対に必要だ。
こちらから、獣人国の文化へ歩み寄る姿勢を見せるためにはな。
それに、重ねて言うが男前だぞ。ジャン。
サシャも、よく似合っている」
俺の言葉に、赤毛の姉弟がそれぞれに照れたようなしぐさをみせた。
まあ、獣人国風の装いといっても、騎士連中には愛用の騎士剣を腰に差してもらっているので、ちょいと珍妙なことにはなっているがな。
「さて……我が妻の祖国たる獣人国がすでに解放されていること、諸君らにとっては寝耳に水の事態であったと思う。
それもこれも、いずれきたる日に備えた我が深謀遠慮によるもの……。
当面、このことは秘したままであるため、諸君らが今日この日にここを訪れたことは、記録に残れど、明らかとなることはない。
だが! 諸君らが、ロンバルドを代表して獣人らと交流する先駆けであることに、変わりはない!
今回の行事、単なる酒宴と思わず、戦と思って臨まれよ!」
視線をその騎士連中に向け、そう言い放った。
――ははっ!
すると、慣れぬ装いに動きづらさを感じさせつつも、騎士たちが姿勢を正す。
うん。さすがは選び抜いた者たちだ。スキがない。
これならば、問題もないことだろう。
「では、ウルカ……。
行こうか」
男が女を先導するのは、ロンバルドにおいても獣人国においても同じ……。
舞い散る花の下、俺は愛する妻を伴い、人生初の花見へと臨んだのである。




