籠城戦
――エルフ。
千年に及ぶという長寿と、一定の年齢から決して老いぬ不老の能力を持つ森の住人達である。
大陸各地の森林を棲み処にしていることから弓の技に秀でており、また、外見的特徴である短剣のごとく尖った耳は、魔力の操作を補助する力があり……魔術との親和性も高い。
長寿の代償か、他の種族と比べ極めて繁殖能力が低いという難点も抱えているが……。
総じて強力な戦闘力を有する種族であり、それを背景に彼らは大陸各地の森で自治地区を築いてきたのである。
自治地区を領土に含む国家とは、不干渉とはいかずとも……半ば鎖国じみた関係を築いてきた。
外部からの影響は最小限に……。
自分たちはあるがまま、森と共に生きる……。
それこそが、エルフたるの矜持であるのだ。
それが今、もろくも瓦解しようとしている。
他でもない……魔物の大発生という天災によって、だ。
ロンバルド王国はハーキン辺境伯領に存在するエルフの自治地区……そこは今、迫りくる魔物どもによって風前の灯火となっていた。
すでに森林地帯各所へ存在する小集落は放棄され、逃げ延びたエルフの全ては中央部に存在する最も大きな集落……いわば、エルフらの都と呼ぶべき場所へ集結している。
エルフとて、大発生の脅威へ対策を講じてこなかったわけではない。
現に、この集落は周囲をえりすぐりの木材で組み上げた防御壁で囲んでおり、しかも壁の上では等間隔に術巧者らが配置され、防御の魔術を展開していたのである。
その防御力たるや――絶大なり。
集落は防御壁ごと青白い魔力の壁によって包まれており、しかも、ときおりバチバチと稲光をひらめかせるそれは、うかつに近づいた魔物が触れるや否やこれを高熱によって黒焦げ死体へ変じさせるのだ。
驚くべきは、これほどの大魔術をわずか二十数人ほどで成立させている点であろう。
もしも、人の身で同じことをなそうとするならば……。
ロンバルド王国軍に所属する平均的な魔術師が、この十倍は必要となるはずである。
極薄にして鉄壁たる魔術の壁を前に、おびただしい数で包囲した魔物たちが攻めあぐね静観する他にない……。
これこそまさに、エルフという種族のすさまじさを表した光景であった。
……そしてこれは、同時に戦況がジリ貧であることをも表してもいたのである。
集落へ籠城するエルフの数は、およそ500。
当然ながら、その全てが戦闘要員というわけではない。
防御の魔術へ加われる実力者は、およそ300ほどになるだろう。
人口比からすれば瞠目すべき数であったが、それがなぐさめになるわけもない……。
いかなエルフといえど、これほどの大魔術を維持するには全精力を注ぎ込む必要があり……。
結果、魔物の大発生から今に至るまでで……すでに250人ほどが魔力を枯渇させ、後方に控えていたのだ。
肉体的な疲労がそうであるように、消耗した魔力もそう簡単に回復するものではない。
むしろ、術を行使する意志さえあれば文字通り限界まで絞り尽くせることから、より消耗は深刻であった。
大発生を確認してからこれまで、すでに三つの夜を越えているが……。
四つ目の夜を越えることは、あるまい……。
それが籠城するエルフたちの、口には出さぬ確信であった。
ゆえに、このエルフ自治区を治める者――フォルシャは一つの決断を迫られていたのである。
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「父上! こうなれば打って出るべきだ!」
人間で言うならば、玉座の間に当たるだろうか……。
集落で最も大きい布張りの住居の中、フォルシャは愛娘にそう詰め寄られていた。
「エンテ……それは、命を捨てることと同義だ」
御歳――およそ八百歳。
すでに数えることをやめてしまっているため、おおよそでしか年齢を計れぬエルフの中のエルフが、死地にあるとは思えぬ涼やかな声でそう諭す。
人間で言うならば二十代前半――白金の髪を長く伸ばした美青年の言葉は、怒りの色などはらんでおらぬというのに、何者も逆らえぬ迫力を宿している。
ただ一人――実の娘である、エンテを除いては。
「このままこもっていたところで、結果は同じだ!」
大きく手を振りながら力説するエンテの姿は、一般的なエルフの少女とはかけ離れたものである。
父から受け継いだ白金の髪は、動きを阻害せぬよう首の辺りで整えられており……。
上半身には魔物の皮を固くなめした防具を装着し、下には男児のごとく丈が短いズボンをはいていた。
それがため、健康的な肌が惜しげもなく晒されており……エルフどころか、森の外においても、眉をしかめられかねない格好だ。
猫科の幼獣がごとき愛くるしい造作の顔は、しかし、今は怒りに歪み実の父親を睨み据えている……。
「兵たちは次々と魔力を使い果たし、回復が追い付いていない……!
だったら、万全の状態で戦える者がいる内に打って出て、華々しく戦い……散るべきだ!
それがエルフの誇りってもんだろ!?
父上! オレに兵を預けてくれ! 少しでも多く、魔物を道連れにしてやる!
上手くいけば、女子供が逃げるための活路だって――」
「――切り開けるものか。
そもそも、エンテよ……お前とて、守られるべき女子供であることは変わらぬ」
「誰よりも上手く弓を使える!
誰よりも巧みに魔術を操れる!
オレは立派な大人だ!」
「齢十三の小娘が、よく言う……。
お前など、この集落はおろか、森の外においても幼子扱いされる子供に過ぎぬ」
静かに娘の視線と言葉を受けるフォルシャに、エンテがぐぬぬと歯ぎしりをしてみせた。
フォルシャほどのエルフにしてみせれば、それこそ幼獣の威嚇でしかない。
エルフの長はそっと目を閉じ、愛する娘へ静かに語り出す。
「よいか、エンテ……。
私はこの地に住まうエルフの長として、少しでも助かる確率の高い道を選び続ける。
お前の進言した策は、策に見えて策ではない……。
押し寄せる恐怖につぶされ、ありもしない希望へすがる愚か者の考えよ。
覚えておくがいい……。
追い込まれたネズミを殺すのは、絶望ではない――希望なのだ」
「くっ……!?」
このように断じられては、返す言葉もない。
否、エンテにも分かっているのだ……。
敬愛する父の言葉が、全て事実であることを……。
「だ、だが!
父上はこのまま籠城していて、助かる見込みがあると思っているのかよ!?」
「まだ魔物が群れ集う前の段階で有志を募り、辺境伯へ使いとして出している。
人間の若者ながら、あれは見所のある人物……。
我らを助けるため、最大限の努力をしてくれるはずだ。
なんとなれば、魔物らの目を引き付けているここが落ちれば、次は人間たちの番なのだからな」
「それが間に合うっていう、保証があるのかよ……!」
「ない。
だが、これが唯一の助かる道だ」
細身の青年にしか見えぬエルフの長が、大樹のごとくどっしりとあぐらをかきながらそう断言する。
その姿に反発を覚え、なおもエンテが言い募ろうとしたその時だ。
「ほ、報告します!
上空に――未知の存在が接近!」
慌てて駆けこんできた兵が、そう言い放ったのである。




