はびこるモノ 前編
秋を終え、冬を迎え、年を越し、そして初春に至らんとしている今までの間……。
ロンバルド王家直轄領及び、王家に忠誠を誓う諸侯の領土に住まう者たちへ訪れていたのは、張り詰めた平和であった。
単なる平和ではない……。
張り詰めた、平和だ。
かつてない冷害や、薪不足の問題もどうにか乗り越え、迎えつつある豊穣の季節……。
昨年が昨年だったため、いずれの地においても注意深く経過は観察されていたが、幸いにも今年は例年通り……いや、それ以上の収穫が見込めそうであった。
まるで、そう図っているかのように……。
雨量といい気候といい、麦の栽培に最適な状態が保たれているのである。
で、あるならば人々は心湧き立ち、それぞれの仕事に精を出そうというものであったが、これがそうはいかなかった。
このおだやかな生活が、やがてくる大戦に向けた準備期間でしかないことを直感していたからである。
理由は、言うまでもない。
かつて、狂気王子と呼ばれた男……。
第三王子アスルによる、昨年の建国宣言である。
確かに、形式として『死の大地』一帯は彼の所領として下賜されていた。
しかし、それがロンバルド王国からの独立を宣言するとなれば、見て見ぬふりをできるはずもない。
同じようなことを目論む輩が出てこぬよう、王家は威信にかけてこれを叩き潰さねばならないのだ。
封建制が確立したロンバルド王国においては、魔物への自衛を除き民兵が動員されることはないが、大軍が動くにあたって知らぬ存ぜぬで通せるはずもない。
軍費や物資の供出は当然として、もし軍勢が自分たちの住まう地を通ることになったならば、様々に便宜を図らねばならないのである。
そのため、人々はその時を考え戦々恐々としていた。
また、もう一つ彼らの心根を寒からしめている噂がある。
その噂とは、他でもない……。
――流行り病だ。
果たして、それがどういった性質の病気であるか、知る者はいない……。
しかし、どうやらそれは、イーシャ辺境伯領やバファー辺境伯領、並びに中央部の諸諸侯が治める地を中心にまん延しているらしく、それらの地域からは人も物も一切が流入しなくなっているらしい。
そういった情報を持ち込むのは、本来、それら地域への長旅により利益を得ている商人たちである。
検問により締め出され、長く続けてきた商いを封じられた者らが嘆きながら語る言葉には、一定の信ぴょう性が存在していた。
そうなると、もはや戦どころではないようにも思えるのだが、そこのところはどうなっているのか……?
また、流行り病とはどんなものなのか? 自分たちの生活圏に入り込んでくることはないのか?
知りたくとも、知る術はない。
もし、かつてのように『テレビ』が存在していれば、正統ロンバルドがそれらを伝えてくれていたかもしれない。
だが、かの国を賊と断じる為政者らにより、様々な物事を伝えてくれるあの板は根こそぎ回収されていた。
一体、自分たちはどうすればいいのか……。
真実を何も知らぬ者たちは、ただ漠然とした不安を抱えながら暮らしていたのである。
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民たちが戦いの予感に怯えている一方……。
王都フィングに存在するロンバルド城内には、すでに戦端を開いていると言って過言ではない者たちが存在した。
他でもない……。
テレビからもたらされた情報を分析し、対賊軍用の戦術構築を命じられた軍師たちだ。
テレビが映し出す内容には、教育的、娯楽的な内容も多分に含まれるが……。
それらもつぶさに観察すれば、見えてくるものがある。
代表的なのは財政のいびつさで、建国から一年も経ってないかの国は十分な税制度を築くことができておらず、その点においてはさぞかし苦心しているであろうことが、報道内容の端々からうかがえた。
そんな軍師たちが、今、最も頭を悩ませている問題……。
それは『マミヤ』なる超古代の遺物がもたらした、賊軍の武装であった。
それが明らかになったのは、対魔物の戦況を報道する番組である。
おそらくは、自陣営に属する民たちを高揚させる目的が大であろうが……。
もしかしたならば、あえてこれを晒すことでこちら側をけん制する目論見もあるのかもしれない。
ともかく、明らかとなった賊軍の武装で代表的なのは、ブラスターライフルだ。
光の線とか光の矢と称するべきものを撃ち放つこの武器は、見るからに習熟がたやすそうであり、弓や魔法では到底及ばぬ射程と精度、殺傷力を実現させている。
しかも、それが一つや二つではなく、志願した民兵に至るまで不足なく行き渡っているようなのだ。
これに対するというのは、ありていにいえば悪夢である。
盾――これが役に立つとしてだが――を構えたとして、果たしてどれだけの兵が、自軍の攻撃が届く範囲まで歩めるだろうか?
いまだ圧倒的優位である数の利を活かし、前衛を務めた者たちの屍を踏み越えれば、あるいはそれも可能かもしれぬ……。
しかし、軍隊というものが許容できる損害には限界があるのだ。
もし、魔物の発生が決戦の日まで続いてくれていれば、人魔による挟撃の形となり、勝算というものは極めて大きくなるが……。
だが、それは……。
「殿下たちのお怒りを買ってでも……。
我らが斬られたとしても、これは戦いを踏みとどまるべきではないだろうか?」
テレビを設置された、軍議の間……。
招集された軍師の一人が、ぽつりとそう口にした。
それは、誰もが考えていたこと……。
しかし、口にすることははばかられていたことだ。
「お主、それは……」
「言いたいことは分かる。
どこまでも主の命に従い、これを助けるのが我らの役目だと。
しかし、これは……。
王国軍と賊軍、どちらが勝ったとしても失うものが大きすぎる……。
それだけではない……。
もし、魔物が発生し続けた場合、勝利を得たとしてそれにどう対処するというのか?
人魔挟撃の形となり勝利した場合、賊軍によって守られている民たちが死することになるのだぞ?」
こういったものは、一度口にしてしまえば止まらないものである。
その若い軍師は、軍議の間に集う一同を見回した。
「民たちを思えば、やはり、どう考えても話し合いによる解決を進言すべき――」
「――まあまあ、待ちたまえ」
言葉を制したのは、年かさの……しかし、取り柄といえば重ねた年輪くらいで、献策もごくごく平凡な男である。
その男が、若い軍師と同じように一同を見回した。
「すでに、陛下は決断を下されている。
そちらの彼がおっしゃったように、それへ従うのが我らの本分ではないかね?
――どうかな?」
「だから、それは!」
若き軍師がいきり立とうとしたが、それがぴたりと止まる。
年かさの軍師が向けた、目……。
そこに宿った不可思議な光を見ていると、興奮していた心がまたたく間に静まっていったのである。
「重ねて言おう。
……どうかな? どうだ?」
眼差しだけではない……。
その言葉は、耳だけではなく皮膚からも浸透していき、己の心を掌握していった。
いや、掌握というのは正しくない……。
彼は、ごくごく当たり前のことを言っているだけなのだから……。
それに対し、つまらぬ反抗心を抱いた己こそ恥じるべきなのである。
そうだ。何を迷っていた。
今すべきは、賊軍を打ち倒すこと、ただそれだけなのだ。
周囲を見回せば、他の軍師たちも同じように思っているようであり……。
「いや、つまらぬことを言ってしまった。
どうか許されよ」
若き軍師は謝罪し、職務へ戻るのであった。。




