男と女と
畑の歴史というものは土の歴史であり、それはすなわち、代々に渡って土の維持改良へ務めてきた一族の歴史でもある。
そして、その歴史の重さこそ、被搾取階級に過ぎない農民へ背骨を与えてくれるのだ。
だが、それはつい先日までの話……。
「本当、バカらしくなってくるよな……」
「んだ。
『テレビ』で正統ロンバルドの畑ってのは見せられてたし、去年の冷害じゃ『米旗隊』がくれた食い物で助かったけどよ。
どっかこう、他人事みたいな……自分にゃ関係ないことのように思えちまっていた」
「それが今じゃ、たった一日で一年分の収穫が得られちまうんだからなあ……」
とある逆疎開先の難民居住区……。
見事な実りで頭を垂れる稲穂を眺めやりながら、その農夫たちはそんなことを言い合っていた。
驚くべきことに、種もみを植えたのは今朝の出来事である。
まるで、時間というものを濃縮したかのように……。
夕刻を迎える前には、あらゆる成長過程を経て収穫可能な状態へ成長してしまったのだ。
全ては、正統ロンバルドから支給された魔法の種……。
そして、その成長を支える液体肥料の力である。
肥料に使われている材料の一部は、倒された魔物の死体であるというのだから、自分たちを故郷から追いやったあやつらに対しても不思議な感情が湧いた。
「そんで、これだけの量を植えて収穫して……。
おらたちは、てんで体を動かさないってんだから、なんだかなあ……」
「なんだおめえ?
村にいた頃は、腰さ痛くてたまらねえっつってたじゃねえか?」
「そうだけどよお。
汗水たらさねえで恵みが得られるってのも、なんかありがたみがねえっていうか……」
「ぜいたくなこと言う奴だなあ。
まあ――」
そこまで言ったところで、農夫の片割れはタブレットなる板切れを取り出し、それを操作し始める。
「――分からんでもねえけどよ」
そうすることで、稲の収穫に動き出したモノ……。
それは人でもなければ、動物でもない……。
――グオオオオオン!
……と、うなり声を上げる四輪の無人車であった。
正面部には、こればかりは自分たちが人力で取り付けた、巨大な牙とも爪とも呼べる部品がうなりを上げており……。
タブレットを操り稲に向かって走行させると、恐るべき勢いでこれを飲み込み、貯蔵槽へと放り込んでいくのだ。
しかも、その過程でもみの脱穀は済まされており、無人車が通り去った後にはわらくずがフンのごとくまき散らされているのである。
「水の量も温度も、あの水門で勝手に管理してくれるし……」
話しながらちらりと目をやったのは、水田栽培の心臓部と言える水門であった。
すっかり馴染み深くなりつつあるキカイで作られたそれは、自ら稲の成長を見守り、その恐るべき成長速度に合わせ水量ばかりか水温までも適切に調整してくれるのだ。
「耕すのも種植えも収穫も、あのトラクタってやつが全部やってくれる……」
「ああ。
俺らがやるのは、せいぜい仕事ごとに部品を取り換えてやることと、こいつを操作してやることだけだな」
話している内に、貯蔵槽が満タンとなり……。
トラクタを、田んぼの傍らへ設置されたコンテナなる巨大な鉄箱の所へ走らせる。
そこで排出の操作をすると、背負うように折り畳まれていた筒が首を上げ、コンテナの中に取り込んでいたもみを排出した。
百数えるか否かという時間で吐き出されたもみの量は、成人男性二十人以上の重さがあるだろう。
「アスル様が作る世ってのはよ……」
「ん? なんだ?」
「おらたちみたいな農民は、ほんの少しいればいい世界なのかなって……」
「だな……」
相棒の言葉に、その農夫がうなずく。
「だから、ガキらにも勉強ってのをさせてるし、女房たちも他の仕事をさせてるんだろ」
「んだなあ……」
そんな会話を交わしながら、タブレットを操り続ける。
収穫量は圧倒的という言葉ですら及ばぬほどであり、作業も楽という言葉では足らぬほど楽……。
しかし、これはどこか、背骨というものが抜かれたかのようなあっけなさであった。
--
トロイアプロジェクトなる試みにより、難民の多くが従事しているのは農産物の増産であるが……。
それと同様に、力を入れられているのが花の栽培である。
花といっても、別に花弁の美しさを観賞しようというわけではない……。
むしろ、それが散ってからが本番であり、用があるのは種子をくるみ込む白いわたであった。
――綿花。
羊毛を主たる繊維素材にしてきたロンバルド王国においては、未知の……そして画期的な植物である。
この綿は他の農作物同様、機械によって収穫されどの難民居住区にも設営されている紡績工場へ運び込まれていく。
そしてそこで、混打綿、梳綿、練条、粗紡、精紡といった各工程を機械により済まされ、布地へと加工されるのだ。
そこから先が、女たちの出番である。
紡績工場へ併設された縫製工場では、整然と机が並べられており……。
その上には、一人一台、餌をついばむ鳥類の頭部がごとき形状をした道具が設置されていた。
発電所からもたらされた力により、恐るべき速度で稼働するそのくちばし……。
これがついばむのは、しかし、鳥の餌ではない。
……布地だ。
くちばしに見えるそれの実態は裁縫用の針であり、それが自ら糸を打ち込み、猛烈な勢いで布地を縫い合わせていくのだ。
――ミシン。
これなる機械の、名前である。
「本っ当、このミシンってやつは驚きだわ。
今日一日で、あたしゃ一年分は服を作ったよ」
「あんた、ぶきっちょなんだからよそ見して自分の指を縫っちまうんじゃないよ?
大体、一年分ってなんの一年分なのさ?
今までずーっと、着たきりでほつれを直しながら生活してきたじゃないか?」
「気分の話だよ! 気分の!
ああ、今は戦う人らの服や下着を作るので忙しいけど、早く子供らの分も作ってやりたいね!」
しゃべりながらも、その手が止まることはない。
もう、繰り返し何度も同じ物を作ってきたものだから、手は半ば無意識に動き、前線の兵へ支給される軍服や下着を仕立て上げていた。
素材に綿を用いたそれは、極めて頑強な作りをしており……。
早く、自分たち一般人も着れるようになりたいと思わされる代物であった。
先んじてこれを導入され、技術指導のために派遣されているハーキン辺境伯領出身の工場長によれば、このまま順調にいけば来月にはそれが可能となるらしい。
「それにしても、まさかあたしらが一人前に金を得られるようになるなんてねえ」
「畑仕事からあぶれた男たちが、最近はうらめしそうに見てきているよ」
「バカだねえ。
だったら、針の使い方を覚えるなり、車の使い方だとか、発電所での働き方を覚えるなりすればいいのに。
変な見栄はってるもんだから、仕分けや出荷の力仕事ばかりやらされるんだよ!」
「ちがいない!」
ミシンが生み出す騒音も、なかなかのものであるが……。
女たちは、それに負けず劣らずのかしましさで作業に従事していく。
これまで、あらゆる現場において脇役に過ぎなかった女という存在……。
それが中心となり、なくてはならぬ品を大量に生み出していく光景は、新しい時代の到来を否が応でも感じさせた。




