ミドリムシカンパン
難民居住区に設けられたそれは、一見すれば貯水目的のため池にみえる。
だが、水面を覗き込めば、貯められた水は緑色に染まっており、とてもではないが飲用に適するものではないと分かるだろう。
ならば、農業用水として使用するのかといえば、そうではない……。
一見すれば、ただ藻が発生したようにしか見えないこの貯水池……。
しかし、実際に生息しているのは別の生き物であり、それを生育するためにこそ、このプールは建造されたのだ。
――ミドリムシ。
別名でユーグレナとも呼ばれるこの生物を、肉眼で捉えることはできない。
だが、携帯端末に備わった顕微鏡機能を用いれば、その姿を確認することができた。
「すっげー!
こんなちっこいのが寄り集まって、水を緑に染め上げてるんだな!
でも、こういうの森でも見たことがあるぜ?
ひょっとしたら、あれもこのミドリムシってやつなのかな?」
「そうかもしれないし、普通に藻類が繁殖してただけかもしれないぞ?
まあ、いずれ機会があったら調べてみることだ」
イーシャ辺境伯領の領都ザナクに、隣接する形で設けられた難民居住区……。
そこへエンテとクッキングモヒカンを連れ視察に訪れた俺は、興奮しながら携帯端末を覗き込むエルフ娘にそう解説する。
「ヒャア! こいつがすごいのは、このちっこさで動き回ったりコウゴウセイってのをすることばかりじゃないぜ!
何より優れているのは、その栄養だ!
聞いて驚くなよ? こいつはなんと、野菜と動物に含まれる栄養を両方とも、しかもバランスよく豊富に備えてやがるんだ!
まさに完全栄養食! 全ての料理人が夢見る、最高の食材がこいつなのさ!」
興奮しまくし立てるのは、クッキングモヒカンだ。
まあ、こいつがいつも以上にヒャッハーするのも致し方あるまい……。
何しろ、各地へミドリムシ培養プラントを建設したのは、こいつの強い要望を叶えてのものだからな。
「それで作ったのがこのカンパンか……」
携帯端末をしまったエンテが、代わって取り出したミドリムシカンパンの紙箱をしげしげと眺めた。
これを開けると、中には数枚ずつビニール包装されたカンパンが収まっており、見た目は普通のそれと大差が感じられぬ。
「味は……」
そして、その内一枚を取り出し、小さな口でカリリとほおばった。
「……別に変じゃないな。
というか、美味しい。ほんのり甘みがある」
「だろ?
ライ麦使ったカッチカチの黒パンなんかと比べると、雲泥の差があるぞ。」
「ヒャハ!
仮にも王族なのに食ったことあるのか?」
「ああ、子供の頃、後学のためにな……。
水やスープに浸さなきゃ食えないって知らなかったもんで、乳歯が抜けちまった。
で、恥ずかしながらそれ以来は食ってないな。もういいやって思った」
エンテから一枚分けてもらい、俺自身ももぐもぐとそれを食べる。
「うん、やっぱり美味しい!
その上、クッキングモヒカンも言ったように栄養価も抜群だ!
だから……」
そこまで言って、振り返った。
そこにあるのは……うず高く積まれたミドリムシカンパンの紙箱!
「だから、ウケると思ったんだけどなあ……」
プラスチック製パレットに積まれた在庫の山を見て、頭を抱える。
「ヒャア、こればかりは申し訳ねえ……。
完全に、人の心を見誤ってたぜ。
味が良くて栄養があれば、どんなに得体の知れない材料使っても受け入れられると思っちまった」
クッキングモヒカンが、自慢のトサカ頭をかきむしりながらそう詫びた。
「いや、いいんだ……俺もノリノリで進めちまったし。
こうなると、勇み足でミドリムシカップ麺とかの製造に着手しなかったのは幸いだったな。
無駄に製造ラインだけ作る結果になるところだった」
「でも、なんでこんなにウケなかったんだろうな?」
新たな一枚をかじりつつ、エンテが小首をかしげる。
「理由はいくつかある……」
そんな彼女に、俺は人差し指を立てながら説明を始めた。
「まず、一番大きいのはミドリムシがどんな存在なのか、あらかじめテレビで報道しちまったこと。
俺たちは感覚がだいぶマヒしてるけど、普通の人からしたら気味悪くて仕方なかったんだろうな。
肉眼では捉えられないくらい小さくて、いざその姿を見せられると、魔物以上にこの世の生物と思えん」
「あー、まあ、確かになあ……」
先ほど、携帯端末で捉えたミドリムシの姿を思い出したのだろう。
エンテが、微妙な顔をしながら首肯する。
「とはいえ、その点に関しては想像の範疇だった。
むしろ、分かった上で報道したんだ。
正体隠したまま食わせて、後からそれを明かして反発されるより誠実だと思った。
それに――」
「――栄養価値でゴリ押せると思ったのさ。
ヒャハ! だがそこに誤算があった!
よくよく考えたら、一般人は栄養なんてもんを知らねえ!」
俺の言葉を引き継ぎ、クッキングモヒカンが二つ目の理由を述べた。
「俺たちはスクールグラスを通じて学び、多少なりとも栄養学を学んでいる。
脚気やら何やらを防ぐために、様々な栄養を摂取することがどれだけ大事かをな……。
が、多くのロンバルド国民からすれば、食い物なんてのは腹が膨れれば上等なわけだ。
一部の識者は経験から野菜と果物の重要性を認識しているが、本当に一部だな。困ったことに」
「あー、そうなると、普通の人からすればこれは得体の知れない材料から作った味だけはいいカンパンなわけか」
かじりかけのそれを、しげしげと眺めながらエンテがつぶやく。
「それでも食うに困ったら話は別だろうが、幸いにも難民居住区の農業区画は順調に滑り出している。
魔物たちの遺体も有効活用して、肥料の供給も初期の頃と同等になりつつあるしな。
普通の小麦や野菜が手に入るなら、このカンパンは選択肢に入らないわけだ。
それに加えて……」
視線を、領都ザナクの方へ向ける。
イーシャ辺境伯家自慢の城壁に囲われた内側で暮らす人々は、今、どんな感情を抱きながら生活しているのだろうか。
「……感情の問題もある。
難民たちへの不満という、感情がな。
今回、このカンパンは分かりやすいはけ口になったわけだ」
エンテからカンパンを一枚もらい、ガリガリと一口で食べきる。
大事な食い物を粗末にされた怒りは、それで発散したとすることにした。
人々の不満は、そんなものではすまないだろうから。
「ヒャア! 何かイイ方法はねえのか!?」
「ない」
「いつになく、あっさり諦めたな……」
エンテのじとりとした視線を、軽く受け流す。
「そんなものが思いつくなら、俺は全ての争いごとをなくせるさ。
都合よく人々を納得させる方法はない。遺憾ながらな。
まあ、事が片付くまでの間、どうにかなだめすかすのがせいぜいだ」
「じゃあ、この在庫とプラントはどうするんだ?」
「カンパンは保存が効くからな。
抵抗がない者たちで、美味しく頂くとするさ。
これから生産されるミドリムシに関しては、畜産用の飼料に加工しちまうつもりだ。
家畜も家畜で、けっこう大食らいだからな」
腕を組みながら、とりあえずの解決策を口に出す。
まあ、飼い主は嫌がるかもしれないが、最悪の場合、一同を集め俺がこのカンパン食べる姿を直接見せて納得させよう。
ともかく、解決せねばならない問題は目の前の在庫以上に膨大であり……。
ミドリムシにばかりかまけているわけには、いかないのであった。




