ベルク・ハーキン
「この報告――誠か?」
領都ウロネスの郊外……。
富裕層の邸宅ばかりが集まる一角にあってなお、他を圧倒する大きさを誇る屋敷の中……。
亡き父から受け継いだ執務室で羊皮紙を持ち上げながら、ベルク・ハーキンは報告者たる騎士にそうたずねた。
「残念ながら……誠かと」
執務机越しに膝をついた騎士の声は苦渋に満ちており、自身、この報告を真実として受け止めたくないのがありありと伝わってくる。
「そう、か……」
ギシリ、と音を立て……。
背もたれに体重を預ける。
辺境伯家数代に渡って当主の重さを受け続けてきた椅子は、当代当主の重みをもしっかりと受け止めてみせたが、生憎と彼が抱え込んだ問題への解決策までは提示してくれる気配がなかった。
「……分かった。
茶を出させるので、しばし控えておいてくれ。
私はその間に、考えをまとめる」
「――ははっ!」
騎士が首を垂れると同時に、呼び鈴を鳴らして侍女を呼び出す。
侍女に案内された騎士が執務室を出ると、重苦しい静寂が室内を満たした。
「どうしたものか、な……」
天井を見上げながら、独り言を漏らす。
年頃は二十代半ば……。
いまだ妻をめとっていないこともあって、舞踏会に出席するたび婦女子からの視線を集める端麗な顔が、今は苦々しげに歪められていた。
やらねばならぬこと……やるべきことは明白である。
しかし、これは……。
「戦力が、足りぬ」
その時……。
ふわりとした夜風が背後から吹き込み、ベルクの髪を撫でた。
同時に、なつかしい声が他に誰もいない室内へ響き渡る。
「何か困りごとか?
せっかくの色男が、台無しだぞ?」
それは、もう聞くはずのなかった声……。
事によれば、すでに現世を離れているであろう者の声……。
だが、その声が聞こえたことに、不思議と疑問は持たなかった。
なんとなれば……。
こういった窮地にこそ駆けつけ、助け合う……。
それこそが、友というものだからである。
「アスル・ロンバルド」
だから背後を振り向くことなく、彼の名をつぶやいた。
「外れだ。
今の俺は、ロンバルド姓を名乗れる身分ではない」
苦笑を漏らしながら放たれた言葉を受け、立ち上がり、ついに背後を振り向く。
果たしてそこでは……。
五年前より少しばかり精悍になったが、根っこのところは変わらないであろう友が、窓辺を椅子にしこちらを見やっているのであった。
……余談だが、ここは三階である。
警備の目をアッサリかいくぐったところも含め、隠れた腕の良さは変わらぬようだ。
「そうだったな、狂気王子殿?」
棚に歩み寄り、そこからワインと二つばかりの銀杯を取り出す。
銀杯にワインを注いでやると、懐かしき友は遠慮なくその一つを持ち上げた。
「残念ながら、それも外れだ。
俺は自身が狂気王子でないことを、証明することに成功した」
そのまま銀杯を傾け……実に美味そうにこれを飲み干す。
その姿には、一つの大望を果たした男の自信というものが満ち溢れており、極めて馬鹿げているはずの言葉が真実であることを直感させた。
「驚いたな。
貴様の誇大妄想、誠であったか」
同じようにワインを舐めながら、憎まれ口を叩いてやる。
そうは言ったが、心のどこかで納得している自分がいることに気づいた。
ハーキン辺境伯領の北方に広がる、『死の大地』……。
そこに、古代文明の恐るべき遺物が眠っている……。
理性は、それを狂気王子のたわ言と否定していた。
しかし、アスルの人となりと学識の深さをよく知る身としては、それが真実であるに違いないとどこかで思っていたのであろう……。
「どれだけ馬鹿げた発想であろうと、他の可能性を入念につぶして残ったのがそれであるならば、真実であること疑う余地もない……。
父上たちは、分かってくれなかったが、な」
勝手にお代わりを注ぎながら、アスルが少しだけ寂しそうなほほえみを浮かべる。
それで、ベルクは察してしまった。
この友は、王家に戻る気がないということを……。
「予想される遺物の力、五年前に貴様から聞かされていたが……。
その様子では、想像以上のものであったということか?」
「想像以上のものと言ってお前が考えたそれより、数百歩は上を行く代物だったと言っておこう」
「おいおい、本当にか……」
いつの間にか自分の銀杯を乾かしてしまったのは、友との懐かしき会話のためか、はたまたその内容が驚くべきものであったからか……。
空となった己の杯に、友がワインを注いでくれた。
「ここまで話せば、お前なら察しているだろう?
俺が成果を手にし戻れば、それがために国は割れる」
「だからといって、その成果を捨て去る気もない?」
「ああ、俺にはあれの力を、民のために役立てる義務がある」
友が注いてくれた酒を口にし、溜め息をこぼす。
「だから、独立勢力として台頭する――というよりは、新たな国を興す、か?
五年前に話してくれた予想より、さらにすさまじい力を持つという遺物なら、『死の大地』でそれを成すことも不可能ではないと?」
「さすがだ。話が早い」
友の顔を、じっと見据える。
だが、すでに二杯目を飲み干しつつある友からは酔いの色を感じることができず……。
代わりに、狂気王子の烙印を押されたとは到底思えぬ理性の輝きが、その瞳に宿っていた。
「となると、必要なのはそれを構成する人間……。
貴様、それを買い求めにここまで来たか?」
「ご明察。
我が友は察しが良くて助かるよ」
「まあ、察しの良い友としては手を貸してやるにやぶさかではない。
貴様のことだから、対価と今後のことにも抜かりはないのだろう?」
「ああ、ひとまずの対価として十分なものを用意してある。
今後についても、ハーキン辺境伯領がますます発展することを約束しよう」
先祖伝来の執務机を椅子代わりにした友が、不敵な笑みを浮かべてみせる。
――この男は、やる。
言ったことは全て実現する。
そのために、王家を裏切り自分を助けろ。
……それを果たしたならば、十分な分け前にありつけさせると言っているのだ。
ならば、答えは一つしかない……。
「その話、乗った」
「おう、頼む」
国家の一大事とは思えぬ、気安い会話でそれを決める。
案外、歴史の分岐点というものは、このような簡単さで決められるものなのかもしれなかった。
「奴隷を、そうだな……百はきついが、五十人ばかりならすぐさま用意できるはずだ。
ちょうど、生きのいい奴らを仕入れた商人がいてな」
「ほう、都合が良いな。
が、まあ、歴史をかえりみても勝ち戦とはそういうものか」
銀杯を傾けながら、友が上機嫌にそう話す。
「で、対価についてだが……」
「宝石でいいか?」
「いや、働きで払ってもらいたい」
その言葉に、友が酒を飲む手をぴたりと止めた。
「さしずめ、それが困りごとに関わっているわけか?」
「察しが良い男の友は、やはり察しが良くて助かるな」
何やらしてやったような嬉しさを感じ、自分も銀杯を傾ける。
「貴様が発見した恐るべき遺物の力を使えば、私が抱えた難題も解決できるやもしれぬ」
「ま、お前の嫁さん探し以外ならどうにかなるだろうさ」
「抜かせ、独身男」
「生憎、俺は既婚者だ」
「本当にか? 遺物の発見より驚いたぞ」
いつの間にか結婚したらしい友を、祝福したい気持ちはやまやまだが……。
気を引き締めて、抱えた難題について口にする。
「俺が抱えている難題……。
それは、エルフの自治区を襲った魔物の大発生だ」
「……おだやかじゃないね」
言葉と裏腹に、友は笑っていた。




