コルナ・ロンバルド
それらは、奥深い森の中や、険しい山中……あるいは、複雑に入り組んだ洞窟の中といった、人間と呼ばれる生物たちの立ち入らぬ場所で起きた出来事である。
そういった場所に生活圏を持つ生き物たち……その一部に、明らかな異変が生じていた。
本来、群れを成して生きるはずの種がそこを離れ……。
また、爬虫類や昆虫類といった、この時期は冬眠している生物たちの一部が、のそのそと地上へ這い出てきたのである。
異変が起きた生物たちに共通しているのは、生気の無さだ。
呼吸はしている。
体温もある。
しかし、その眼差しやまとった空気から、本能や意思の働きを感じ取ることはできず、まるで、操り糸か何かに操られているかのようなぎくしゃくとした動きをしているのだ。
いや、おかしいのはそればかりではない……。
異変が起きた生物たちには、大なり小なり……不可思議な力が宿っていた。
人間たちが魔力と名付けた力は、徐々に徐々に大きくなっていき……異変が起きた生物たちの体を、変化させていく。
骨はさらに太く丈夫になり、時には骨格の形状すらも変化し……。
筋肉はより強くしなやかなものとなり、毛皮を持つ者たちはその強度と厚みが飛躍的に増していった……。
しかも、そういった変化は個体として起こるばかりではない。
時には、異変の起きた生物同士が寄り添い合い、その身を重ね合い……おお……これはなんということか……。
まるで、粘土同士をくっ付けたかのように、別の生物同士が一つに合わさっていくのだ。
そうして新たに生まれた個体は、元となった生物同士の長所を色濃く受け継いでおり……もはや、既存の生物とは隔絶した見た目をしていた。
そうして、新たな姿を得た者たち……。
彼らに共通するのは――殺意である。
飢えを満たすための闘争本能ではない……。
ただ、殺し、破壊し、蹂躙し尽くしたいという、強い願望に支配されているのだ。
人間と呼ばれる生物たちは、彼らのことを魔物と呼んでいた……。
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コルナ・ロンバルドといえば、第一王子カール唯一の娘であり、このまま男児が生まれなかった場合、婿を迎えこの国を導く立場にある。
したがって、まだ九歳に過ぎぬ彼女にもまた、茶会を始めとする様々な催しに参加する責務が生じていた。
とはいえ、しょせんは九歳の小娘であり……。
大人がそこに求める腹の探り合いや情報の交換などとは、まだまだ無縁のはずである。
「……申し訳ありません、コルナ様。
少し、難しい話に移ってしまいましたわね」
だから、この日の茶会で席を同じくしていたマリア・ラフィンは、逆賊と手を結んだ貴族家の話題で盛り上がりすぎてしまったことを、そう詫びたのであった。
十三歳のマリアを始め、この茶会に集まった子女たちはいずれもコルナより頭一つ上の年齢である。
その年代特有の特徴として、大人たちの世界に抱く好奇心は強く……ラフィン侯爵家の姫君であるマリアには様々な質問がぶつけられ、それに答える形でついつい話が弾んでしまったのだ。
この場において最も貴く、うやまわねばならぬ存在なのがコルナであることを考えると、少しばかり軽率な行動であった。
「いえ、マリア様のお話……他の皆様方と同様、コルナも大変楽しく聞かせて頂きました。
さすがは、王国交通の要衝を任されたラフィン侯爵家のご息女であらせられますわ。
人と物が行き交えば、自然と噂話も集まる……。
どこの家が王家に忠実で、どこが変化を望んでいるか……理解する助けとなりました」
しかし、姫君から返されたのは、意外な言葉だったのである。
世辞で言っているわけではない……。
真実、心からそう思っての発言であることが、マリアには察せられた。
なんとなれば、口に出す言の葉一つ一つが実に歯切れよく……その瞳に宿した理性の光もまた、九歳という年齢からかけ離れたものであったからだ。
「新年を迎えて久しく、コルナも今年で十歳となります。
カールの娘として生まれた立場を考えれば、いつまでも政の世界が分からないでは務まりませんわ。
ぜひ、皆様のお話をもっと拝聴して、お勉強させて頂ければと思います」
「まあ……!」
「ご立派ですわ、コルナ様……!」
同席した娘たちは、口々にコルナ姫の決意を褒め称えたが……。
この場においてマリアのみは、背筋がぞっとするのを感じていた。
マリア・ラフィンはラフィン侯爵家当主スオムスの末子であり、ロンバルド王家とは親戚関係にある貴族中の貴族だ。
よって、コルナともこれまで少なからぬ交流があった。
その経験を踏まえれば……。
――あまりに、人が変わりすぎている。
……そう感じざるを得ないのだ。
確かに、三日も経てば別人のように成長してみせるのが、この年頃である……。
しかし、成長というのはそれまで歩んできた人生の延長線上にあるものであり、王都フィングの外も知らず蝶よ花よと育てられてきたコルナが突然、このようなことを言いだすのには違和感しかなかった。
「ラフィン侯爵家は、ブタ騒動の一件を通じて少なからず逆賊側と交流がおありでしたわよね?」
そのように話を振られ、心臓を射抜かれたような気分になる。
それは、王家に対する事実上の人質としてこの王都にいる立場が原因では、ないだろう。
コルナの、瞳……。
そこに宿っているのは、もはや理性の光などという生やさしいものではない。
己の心中全てを、見透かすような……。
どこかこの世離れした怪しさと、迫力が宿っていたのだ。
このような眼差しは、山賊爵の異名を持つ父スオムスにすらできるものではない。
「ええと、その……」
「ああ、ごめんなさい。
そのことについて、責めているとも受け取れる言い回しになってしまいました。
その件に関しては、冬を迎えようというのに十分な薪の支援をできなかった王家にこそ非があります。
それより、その限定的な交易を通じて得られた相手方の話に興味がありますの」
またも、このような言い回しだ。
とてもではないが、九歳の小娘にできる話し方ではない。
しかし、しかしである。
そうやって話をねだるコルナの姿は――美しい。
自分より頭一つ年下の少女でありながら、全てを捧げたくなるような……危うい美が感じられてならないのだ。
もとより、立場を考えれば拒めるものではなく……。
マリアばかりでなく、この茶会に集った貴族子女たちは、自分の知る噂話や貴族家の内情というものを、洗いざらい話す結果となったのである。
そのいずれをも、コルナは興味深げに聞いていた……。




