幸福な奴隷 4
それからというもの……。
俺は暇を作ってはメタルアスルでアラドさんの寝所へ赴き、世間話に花を咲かせていた。
――片や、巨大帝国の皇帝。
――片や、その国を混乱に陥れ息子を死に追いやった張本人。
本来ならば決して相容れないはずの二人であるが、どうも互いに波長が合ったらしく、俺たちは世代違いの友人として接していた。
語り手となるのは主にアラドさんの方で、俺はもっぱら聞き手側だ。
話の内容はといえば、ここの戦場ではこういった点で苦労したとか、この政策にはこういう狙いがあったが上手くいかなかったとか、そういう経験談の数々で……。
枯れ木のごとき体とは相反する分厚い逸話群は、彼の軽妙な語り口もあっていずれも面白く、同じ為政者として参考になるものばかりである。
とはいえ、中には遠征先で食べたご当地料理の感想や、これまで抱いてきた女性たちに関するわい談もあって……どこか悟ったところのあるこの老人も、一人の人間なのだなあと思わされたものだ。
そんな風に真面目な話やくだらない話で盛り上がる俺たちであるが、何しろ状況が状況だ。
時には、血なまぐさい話をしなければならない時もある。
「第二皇子メイラー殿下ですが、今日、皇都付近の村に潜んでいたところを第七皇子ムルク殿下が放った騎士に発見され、弁明の余地なく討たれたそうです」
「そうか……となると、第三皇子を殺めたのはムルクだろうねえ……。
メイラーには、そんな気概がないもの。
それに、モルトとメイラーがいなくなってしまえば、この皇都にいる王族で最も席次が上なのは彼だ」
きっかけを作った俺が言えた立場ではないが……。
アラドさんは、子供たちの暗闘についてどこか他人事のように語った。
その様子を見て、俺は聞きたかったことを聞いてみることにしたのである。
「陛下、失礼に当たるかもしれませんが……。
この国に関して、私が感じていることを語ってもよろしいですか?」
「もちろんだとも。
いや、この立場だと耳障りの良い言葉しかもらえなくてね。
歯に衣着せる必要はないから、遠慮なく話して欲しい」
「では……」
意を決して、口を開く。
「このファインという国は、あまりに急速に拡大し過ぎたがゆえに、内憂を多く抱えてしまったのだと思います。
皇族たちによる継承争い……。
各地で圧政を敷かれていた被支配者たちの反乱……。
両者共に、私がきっかけを作ったわけではありますが……遅かれ早かれ、同じ事態に陥っていたと思います。
賢明な陛下ならば、どこかで歯止めをきかせることができたのでは?」
「それはつまり、我が子たちに対してきちんと後継者を指名し、侵略した各地の者たちに対しては、融和政策を打ち出すべきだったということかい?
ああ、子供の数を絞れという話は聞かないよ? 酒と女は私の活力だったからね」
冗談めかして笑うアラドさんへ、俺は努めて真面目な顔でうなずく。
すると彼は、ふむと息をつきながらそっと寝台の脇を示した。
そこに置かれていたのは、冷めきった料理の数々や水差しである。
「そこの、水差しと銀杯を取ってくれるかい?
ああ、銀杯の方は持っていてもらっていいかな?」
彼に請われ、言われるがままに水差しを渡す。
するとアラドさんは、水差しを傾け……中身を自分の手にかけ始めたのである。
洗われた手の下には俺がグラスを保持していたので、こぼれた水が彼の寝台を濡らすことはなかった。
「……こんなところでいいかな。
どうだろう? 君? その水を飲むことができるかい?」
俺が手にした銀杯を指し示しながら、偉大な皇帝がそう問いかける。
それを受けて、俺はそっとかぶりを振った。
「飲めませんね」
「そうだ。
元は清らかな水であったが、汚れてしまった。
もう飲むことはできない」
「この国も同じであると?」
水差しと銀杯を元に戻しながら、そう問いかける。
――そのおっしゃりようは、あまりに無責任ではないか?
言外に込めた俺の非難を、アラドさんはさらりと受け流した。
「小さな泉を拡張し、大きくしていけばその過程で様々なものが流入してくる。
それは虫であるかもしれない。
魚であるかもしれない。
あるいは、カエルや水場を求めた鳥類であるかもしれない。
当然ながら、水草なども生えてくるだろう」
「結果、その泉からは清らかさが失われた?」
「代わりに、豊かな生命が育まれるようになった。
せいぜい小魚を養うのが限界であった泉は、いつしか肥え太った魚たちが暮らせるようになった。
それがファイン皇国だ」
そこまで言うと、アラドさんはじっと俺の瞳を覗き込んできた。
「初め、全ては管理者の思うがままだった。
泉にどんな生き物を住ませるか、どんな形へ拡張するか……何もかも思いのまま決められた。
だが、泉が大きくなるにつれ、そこに暮らす生き物たちは自分の意思を示すようになった。
もっとこの棲み処を大きくしろ、もっと大量の餌が得られるようにしろと訴え……もはや管理者にも、それをはねのけることはできない
管理者は、自分が育てた泉の奴隷と化した」
「………………」
その言葉に、俺は沈黙で返す。
ウルカたちと出会ったあの日、俺が語った推測と同じだ。
もはやファイン皇国というのは、そのものが独自の意思を持った一つの生き物であり……。
元首であるはずのアラドさんにも、その手綱を操ることはできなくなってしまったのだ。
「そしてかつての泉は巨大湖と化し、その水はもう飲み水として適さなくなったのさ」
おどけた様子で話してみせるその心中は、果たしていかなるものなのか……。
いつの日か分かる日が来るかもしれないし、来ないかもしれなかった。
「私は稀代の英傑であるかもしれない……。
君は、古代文明の継承者であるかもしれない……。
しかし、いずれもただの人間であり、できる範囲には限界がある。
ただ、選ぶことはできる」
「選べる、というと?」
「幸福な奴隷となるか、そうでないかだ。
私は幸福な奴隷となった。
そのことに後悔はなく……満足する終わり方ができた。
君はどうするかな?」
「私は……」
答えることができない。
そんな俺を、ファイン皇国の皇帝は……大陸で最も多くの人間に酷使された幸福な奴隷は、静かに見守り続けたのである。
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数日後……。
いつも通りメタルアスルを怪鳥に変化させた俺は、しかし、アラドさんの寝所へ立ち入ることはなかった。
なぜなら、スキャンしたところいつもの生体反応はそこに存在せず……。
代わりに、複数の人間が入れ替わり立ち代わりそこを訪れていたからである。
――ああ、そうか。
――あの人が死んだんだな。
涙はない。
メタルアスルにそういった機能がないからでもあるし、そこまで深い仲でもないからだった。
ただ、またしても尊敬できる人を失ったのだという空虚感が心を支配し……。
俺はしばしの間、上空を旋回し続けたのである。




