幸福な奴隷 2
最近は、時間の感覚というものも曖昧になってきたが……。
バルコニーへ至る分厚いカーテンがびしりと閉ざされ、室内を余すことなく照らせるよういくつもの燭台が灯されているのを見るに、夜間……それも深夜であるらしい。
「やれやれ、今度はどのくらい眠っていたのかな……」
人目があっては落ち着いて眠れぬと、自らの希望で医者や侍女の付き添いを排した部屋で、そのようなことをつぶやく。
若い頃は、腹の減り具合で時間の移ろいを正確に察せられたものだが……。
食というものが極限まで細くなった現在では、それもかなわぬ。
ふと、寝台のそばを見やれば軽食や果物、それに水差しが置かれていたが……。
どうにも手を付ける気がしないので、ただ眺めるだけに留める。
「果物の出来を見る限り、どうやら深刻な不作を脱することはかなったようだな。
やれやれ、私の立場でそのようなことを推測するしかないとは……」
ただ、果実のみずみずしさから国の現状だけは目ざとく察知していた。
軽食類から目を離し、室内を見回す。
まず目を引くのは、壁にかけられた巨大な肖像画……。
ファイン王国の建国王、ルスカを描いたものである。
次いで視線を奪うのは、その周囲を彩る宝飾品や刀剣の数々……。
いずれも見事と言うしかない造りであり、一つ一つが屋敷を……下手をすれば、城を建てるに値するだけの値打ちであろうと推察できた。
これらは、ファイン王国がファイン皇国へと変じる過程で収集された品々である。
その方法など、語るまでもない。
――収奪。
侵略に次ぐ侵略によって、かき集められたのだ。
言ってしまえば、自分という人間の半生を物語る物証であると言えるだろう。
そう、このファイン皇国初代皇帝――アラド・ファインの半生を……。
寝台のそばに置かれた、姿見を見やる。
ドワーフ細工のそれは、市場で見かけられるものとは比べ物にならないほどはっきりとこちらの姿を映し出してくれた。
寝台で半身を起こす、醜い老人の姿を……。
薄い夜着を着た体には肉というものが見当たらず、わずかに覗き見える胸元は肋骨がくっきりと浮き上がっている。
かつては艶やかな黒色だった髪は、ぼさぼさの白髪へと変じて腰の辺りまで伸びており……。
顔色からは、死相というものがありありと見て取れた。
唯一、若かりし頃と変わらぬのは、両の瞳に宿った力強い光のみであろう。
そんな風に鏡へ映った己の姿を見ていると、ふと、冷たい風が頬を撫でていった。
ゆったりとした動きで、そちらを見やる。
先ほどまでは、カーテンがびしりと閉ざされていたバルコニーへ至る窓……。
そこが、大きく開け放たれていた。
いや、ただ開け放たれているだけではない。
窓を開けた向こう――バルコニーには、闖入者が存在していたのだ。
「鳥……?
いや、大きすぎるし、こんな夜中に鳥というのも妙な話だ。
そもそも、翼の先に手がついた鳥などいるはずがない。
かといって、魔物でもない」
そやつの姿を見て、あごに手を当てながらそうつぶやく。
そう、闖入者は人間ほどもある巨大な怪鳥の姿をしていた。
ただし、両翼の先は人間と同じ五指が備わっていたが……。
おそらくは、それを使って窓を開けたにちがいない。
「まあいい。刺激というものに飢えていたところだ。
君、もし名乗れるのなら名乗ってごらんよ」
「では、お言葉に甘えて……。
と、その前に姿を変えさせて頂こう」
皇帝アラドの言葉に、奇妙な怪鳥は流ちょうな言葉で返してみせたのである。
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――ゴーゴー! アスル君メタモルフォーゼ!
メタルアスル七つの秘密を代表する機能であるが、これは何も、操縦者そっくりの姿に変じるだけが能というわけではない。
全身を構成する流体型ナノマシンの総量は変わらないため、極端に大きくなったり小さくなったりはできないが……。
それ以外の制約はほぼなく、動物だろうと無機物だろうと自在に姿を変えることができるのだ。
俺は今回、その機能を駆使して怪鳥へと変じ、上空から『ゴーゴー! アスル君スキャン!』を使用。
親愛なる皇帝陛下の寝所を突き止めるに至ったのである。
で、その皇帝陛下を前に、グニグニと俺の体がアスル・ロンバルドのそれへと変じていったわけであるが……。
それを見て、彼がひと言。
「うわ、キモ……」
……あらかじめ俺の姿になってから窓を開ければ良かった。
気を取り直し、着慣れた『マミヤ』製制服の姿となった俺は、寝台の皇帝にうやうやしくお辞儀をしてみせる。
「キモかったのは申し訳ない。
お初にお目にかかる。
――正統ロンバルドの国王、アスル・ロンバルドです」
「名乗られた以上は、こちらも名乗らねば無作法というものだね。
ファイン皇国皇帝アラドです。よろしく。
正統ロンバルドという国名は聞き覚えがないが、察するに、ロンバルド王国で内乱でも起きたのかい?」
「いかにも。
旧ロンバルドの第三王子として生まれた私が、『死の大地』に興した新興国です」
「ほおう、あの『死の大地』に……」
皇帝アラドが、面白そうに笑みを浮かべてみせた。
「私は余命わずかです」と紙に書いて貼っ付けるよりも分かりやすく死にかけな爺さんであるが、そうしている姿は少年のようで……。
ただそれだけで、俺はなんだかこの人のことが好きになっていた。
「こんな死にぞこないに嘘をついたところでどうしようもないし、君の言っていることはきっと真実なのだろう。
いや、様々なものを見てきたつもりではあるが、まだまだこの世は面白いもので溢れているね。
君の意思を伝えている、その人形も含めて」
「お気づきになりましたか」
その言葉を、さほど意外にも思わずニヤリと笑ってみせる。
この爺さんなら、そのくらいは一見して見破るだろうと思えたからだ。
「こんな体になってしまうと、命の重さを敏感に感じられてね。
そのお人形からは、生命の流れというものが感じられないのさ」
「ご慧眼ですな」
肩をすくめる俺に、皇帝が続けてこう言い放った。
「それで、今我が国を混乱させている黒幕……。
それは君なのかい? アスル・ロンバルド殿」
「ふ、ふふ……」
皇帝の言葉に、肩を震わせて笑う。
ちょっとした好奇心で会いに来てみたわけであるが……。
どうやら、なかなか楽しいお話ができそうだ。




