奇妙な上客
――人より木材。
ハーキン辺境伯領が領都ウロネスの様相を端的に言い表すならば、このようになるだろう。
北部全体が死の大地に面している辺境伯領の特徴は、なんと言っても、領内の八割ほどを覆う恵み豊かな森林地帯だ。
一部はエルフらによる自治地区と化しているとはいえ、それでも、各所に点在する森林がもたらす恩恵は数多い。
中でも、辺境伯家が代々にかけて育んできた林業及び木材業は、ロンバルド王国随一の規模を誇っていた。
各森林で伐採された木材は、辺境伯領を東西に二分するイルナ河によって、領都ウロネスまで運ばれる……。
ウロネスは海に面した港町であり、ここに集められた木材は、海運によって国内へ流通していくのだ。
そのような街であるから、必然、ウロネスの男女構成比は歪な形となる。
男が八に、女が二……。
更に付け足すならば、この街へ住む者で、生まれも育ちも生粋のウロネスっ子という者はかなり少ない。
多くは、辺境伯領の各地から……。
時には、他領からも……。
仕事を求めてやって来た男たちが、住民の大半を占めているのだ。
それがために整備された大通りでは、日中、加工された木材が通行人を押しのけながら運搬され……。
港湾部を始めとする各所の集積所では、赤銅色の肌を晒した男たちが汗水たらしながらこれを担ぎ、運び込む……。
労働者たちの港町……それこそが、ハーキン辺境伯領が領都ウロネスなのだ。
いや、ひとくくりに労働者と言ってしまっては、語弊があるか……。
過酷な労働へ従事する男たちの中にも、身分の差というものは存在するのだから……。
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「いらっしゃいませ」
――カラン、コロン。
……というベルの音を聞いた店主は、すぐさま愛想のよい声を振りまいた。
店内を見回せば、服、服、服……。
となれば、ここが服屋であることは語るまでもない。
特徴的なのは、それら衣服の全てが女性用に仕立てられたものであり、また、どれもこれも上等な……富裕層向きの品であることだろう。
ウロネスにおいては数少ない、高級婦人服の専門店……それがこの店なのであった。
「彼女に合う服をみつくろいたい。
そのまま着て帰るので、すぐに着れる物を頼む」
客は、男女の二人連れ。
一人は二十代半ばから後半の青年であり、いかにも頑丈そうな、旅に向いた格好をしている。
もう一人の女は、これは――見たこともないほどの美少女だ。
腰まで伸びた髪は、黒一色であり……。
顔立ちはいかなる彫刻家でも掘ることがかなわないだろうと確信できるほど、完璧に整っている。
難点があるとすれば、感情の揺らめきといったものが一切感じられぬその無表情であるが……それが逆に、神秘性を少女に付与していた。
少女は全身をマントで覆い隠しており、その下をうかがうことはできない。
果たして、いかなる身分の人間であるのか……なんとも興味を注がれる人物であった。
だが、そこは高級店でならしているこの店だ。
時には訳ありの客を迎えることもあるわけで……くだらない詮索はせず、すぐさま商談へ興じることにする。
「かしこまりました……。
すぐに用意できる品ですと、このようなところになります」
店内の長机に、いくつかの衣服を並べていく。
並べられた服はそれぞれ、露出が多いもの、そのまま夜会に出席できそうなドレス仕立てのもの、令嬢が好みそうなフリル仕立てのものなど、特徴を有しており……。
品揃えの良さを、存分に示していた。
「イヴ、この中だとどんなのがいい?」
露出が多いものやドレス仕立てのものをサッと脇に置いた青年が、傍らの美少女にそうたずねる。
どうやら、商売女というわけでもなく、勝負の場へ参じるための装いを求めているわけでもないらしい。
「マスターの判断にお任せします」
「それが一番困るんだがな……。
あと、マスターはやめてくれ。
ここでは、アスルさんだ」
「了解しました。アスルさん」
アスルと呼ばれた青年が、苦笑いしながら残る候補を眺める。
――アスル。
その名前を聞いて思い出すのは、数年ほど前……王家を追放された狂気王子であった。
確か、名目として辺境伯領の北部に広がる『死の大地』を領土として下賜され、そこに姿を消したまま――今では死んだものと判断されているとか。
あまり表に出てこない人物だったので腕前は定かではないが、魔術の心得もあったらしく、ひょっとしたなら今でもあの過酷な地で生き抜いている可能性はあるとのことだった。
まあ、関係はあるまい。
アスルというのはそもそも、王国史に名を残す高名な騎士の名であり、そこから名を取った人物は枚挙にいとまがないのだ。
「君? 見立てを頼んでもいいか?」
アスルと呼ばれた青年は、残る候補を眺めたまま考え込んでいたが……やがて観念し、店主に話を振り出す。
「どうも、俺はこういったものが苦手でな。
懐は暖かいので、ここに並べてない品でも、値は気にせず選んでくれていい」
青年はそう言いながら、長机の隅にいくつか油紙の包みを置く。
うながされて確認してみると……中身は、小粒ながらなかなか見事な加工が施された宝石であった。
これなら、店にある最上の品とも釣り合うであろう。
見た目は、ただの旅人といった風体であるが……。
この青年、もしかしたらなかなかの立場を持つ御仁なのであろうか?
「これはこれは……。
そういうことでしたら、遠慮なく選ばせていただきます。
何か、好みや要望などはございますか?」
だが、先と同じく、正体の詮索はしない。
もしかしたら、今後もごひいきにしてくれる可能性がある上客であり……。
そういった事を置いても、これほどの美少女に衣服をみつくろえるというのは……この商売をやっていた甲斐ある、というものなのだ。
「そうだな……さっきよけたような品は除くとして。
あとは、全て君に任せよう。
この店に来るのは初めてだが、君の見立てが良いことは友人からよくよく聞いているんでな」
「それはそれは、光栄なことです。
では、私もはりきって選ばねばなりませぬな!」
これもまた、この商売をやってきた醍醐味。
友人というのが誰かは知らぬが、自分の目を褒められて悪い気がするはずもない。
この日一番の気合を入れて、少女に似合うであろう装束をみつくろう。
どうやら、それはアスルという青年を大変満足させてくれたようで……。
帰り際、彼は追加で宝石を渡してくれたのだ。
実に気持ちの良い客であり、また、満足のできる取り引きであった。




