紡ぐ文化 下
以前、米の旗を掲げた者たちの手により、ロンバルド王国各地へ配布されていった『テレビ』であるが……。
逆賊と化した第三王子の建国宣言以来、ロンバルド王家直轄領とラフィン侯爵領ではその全てが狩り集められ、民たちの元から取り上げられていた。
言うまでもなく、その放送内容を通じて民たちが扇動されることのなきようにという配慮である。
もっとも、日々を暮らす上で非常に重要な天気予報などが見られなくなった民たちは大いに不満を抱くことになったため、これは失策であったと考えるべきだろう。
そのようなわけで、王家と侯爵家へ多量にかき集められた『テレビ』の数々であるが……。
両家がこれを死蔵したかといえば、実はそうではない。
もちろん、一度に稼働させている数は限りがあるが……。
『テレビ』によってもたらされる賊側の情報は極めて有用かつ貴重であり、両家は専属の者を張りつけてこれをつぶさに観察させると共に、内容の解析へ当たらせていたのである。
で、あるからには、侯爵家当主たるスオムスがごく個人的な目的のために『テレビ』の一台を私室に運び込ませ、余人を交えず一人で鑑賞するなどというのは本来許されることではない。
しかも、運び込ませた『テレビ』は先日放送されたオペラ公演が録画されたものであり、これは軍略などと無関係に個人的な楽しみを得るためそうさせたのではないかと、下々の者らが噂し合うには十分であった。
しかし、そのような陰口を気にするスオムスではない。
何しろ、それはただの事実であるからだ。
薄っぺらい板の中、侯爵領領都の劇場ではかなわぬほど間近な距離で鮮明に映し出される演者たち……。
中でも、小間使いを演じる女優に注がれるスオムスの視線たるや、尋常な熱量ではない。
だが、それも当然のことだ。
「ソフィ……」
美しき歌声を響かせるその女優こそは、彼の血を分けた娘であるのだから……。
彼女の母とスオムスとの馴れ初めに関して、あえて語ることはあるまい。
ただ、紆余曲折の末、彼は実の娘と直接顔を合わせず陰ながら見守る道を選んできた。
ゆえに、その困窮ぶりに関してはよく知っている。
かたくなにスオムスの支援を受けようとしなかったソフィの母が早死にしたのも、貧しさが原因であることは疑う余地もなかった。
そのソフィが、こうして元気な姿を見せ、見事という他にない出来の舞台で歌声を響かせている……。
しかも、それがロンバルド各地で『テレビ』を通じ人々を湧かせているのだと思うと、こみ上げてくるものがあった。
かろうじて涙を流さなかったのは、山賊爵とまで呼ばれた男の胆力によるものだろう。
感激を胸に抱きながら、私室を後にしたスオムス……。
そんな彼にもたらされたのは、賊軍から使者が送られてきたという知らせであった。
道中はどうだったか知らぬが、例の空飛ぶ乗り物は使用せず古式ゆかしい作法にのっとって現れた使者が手にしていたのは、一通の書簡である。
その書簡に目を通し……。
スオムスはすぐさま、書かれた内容について快諾する旨を使者に伝えたのであった。
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目の前で机に置かれたそれを、一見して判断するならば、これは、
――ただの箱。
……と、いうことになるだろう。
辺境伯領領都から呼び寄せた木細工職人の手で高級感漂う仕上げになってはいるが、見た目が高級だろうが貧相だろうが箱は箱である。
ただ、通常のそれと異なるのは側面から小さなハンドルが飛び出していること……。
立ち会ってもらったイヴとソフィに見守られながら、蓋を開く。
蓋は、およそ60度ほどの角度まで開くようになっており、そうすることで真っ先に姿を現わしたのは、中央に突起の備わった回転式の円台である。
箱に収められているのは、それだけではない。
ぱかりと口を開いた蓋の喉元には、水洗式のシャワーヘッドにも似ている曲がりくねった金属管が収納されていた。
箱の側面から飛び出たハンドルを手に取り、これを回す。
――キリキリキリキリ。
……と、どこかきしんだ音と共に内部へ備わった仕掛けに力が蓄積されていった。
「もう十分かと」
「ああ」
イヴの言葉で手を止め、彼女から一枚の円盤を受け取る。
――黒い円盤。
そう称する他にないそれは、中央に小さな穴が開けられており、表面部は微細な溝が無数に刻まれていた。
中央の穴は、回転式円台の突起とぴったり合う大きさに調整されており……。
俺はそこに、そっと円盤をはめ込む。
続いて手に取るのは、箱の奥に備わった金属管だ。
これは蛇口のように動かせる仕組みとなっており、曲がりくねった管の一部から小さな鉄針が突き出ていた。
「じゃあ……いくぞ」
緊張しながら、箱の隅に存在するつまみをいじる。
すると、先ほど蓄えた力を使い回転式の円台が……その上に乗せられた円盤がするすると回転し出し……。
俺は息を呑みながら、慎重に金属管の鉄針を円盤の上へ落とした。
「……」
「……」
「……」
重苦しい沈黙が、王庁舎ビルの執務室に立ち込める。
そのまま、待つ。
「……」
「……」
「……」
……重苦しい沈黙が、王庁舎ビルの執務室に立ち込めた。
「マスター、外側は五分ほどの余白部になっているため、もう少し内側へ針を落としていただけると」
「……サーセン」
イヴにつっこまれ、もう一回針を落とし直す。
すると、金属管の先端部――シャワーヘッドにも似たそれから、美しい歌声と演奏とが鳴り響き始めた。
「これは……見た目があまりにも簡素なので、いっそのこと『テレビ』で自分の姿を見るよりも不思議な感じがします」
歌声の主――ソフィが、驚きの表情を浮かべながら箱を眺める。
「実際、テレビなどに比べると驚くほど簡素な仕組みをしているからな。
この――蓄音機は」
聞き入りたい気持ちをぐっとこらえ、演奏を停止させながらこいつの名をつぶやく。
――蓄音機。
『マミヤ』のデータを基に再現した、正統ロンバルドの新たな商材である。
「動力はゼンマイ式というのを採用しているので、今見たようにいつでもどこでも演奏させることができる。
それに合わせて、持ち運びや運搬もしやすい箱型の形状を選んだ。
これならば、人々にも受け入れやすいはずだ」
電力を使用せず動いてくれるというのは、非常に重要なポイントだ。
将来的にはロンバルド王国を統一し、発電施設と送電網を整える腹積もりの俺であるが、それは当然ながら大仕事であり時間がかかる。
その間にも使用できるこの道具は、販売面から考えても、人々へ音楽文化を根付かせる意味でも、極めて有用であった。
何事も、進んだ技術を用いるのが一番というわけではないということだな。
「スオムスにも了承を取り付けたし、こいつとレコードを少しずつロンバルド王国やワム女史率いる皇国軍へ流していく……。
きっと、いい値がつくはずだ。
そして、レコードに関しては作った枚数に応じて君たち楽団へ報酬が支払われる。
こいつは、いい商売になるだろうな」
そこまで言ってから、俺はニヤリと笑みを浮かべてみせた。
「しかも、俺はテレビを使い大々的にこいつの宣伝をするつもりだ!
そうすることで、人々の購買意欲を煽って煽って煽りまくる!
我ながら天才的な発想だ! これを応用すれば、テレビ放送を通じいくらでも利益を出すことができる!
すごいぞ俺! うわっはっはっは!」
ついでに、同盟を結んだ各領から音楽家も募集しよう。
きっとみんな、喜んで手を上げてくれるはずだ。
うんうん、夢が膨らんできたぜ!
「ああ、コマーシャルですね」
悦に入る俺へ、いつも通り平静な声音でそう言ったのはイヴだ。
「……え? もうあったの? その発想」
「イエス」
ぴたりと哄笑を止めた俺に、イヴは発光型情報処理頭髪をきらめかせながら無情な事実を告げ始める。
「まだネットを用いた個別配信が盛んでなかった黎明期、マスメディアはその手法を用いて多大な利益を生んでいたと記録されています」
「言ってえええええ! そういうお得な情報!」
俺たちの漫談を、ソフィが苦笑いしながら見守っていた。
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まあ、自分の発想がとうの昔に存在したのはちと残念だが……。
これは正統ロンバルドにとっても、人類にとっても偉大な一歩であろう。
これで救えるのは音楽に従事する者たちだけであるが、とにもかくにも、困窮する芸術家たちを救う取っ掛かりができたのだから……。




