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紡ぐ文化 上

 そんなこんなで、我々の予想に反し、すっごく普通の女性だったソフィ嬢であるが……。

 一つだけ、普通ではないところが存在した。

 彼女に付き従う形で同行した者たちである。


 (おおやけ)にできる存在ではないとはいえ、侯爵家当主の隠し子であるのだから、護衛を兼ねた付き人の一人や二人はいるものと心得てはいたが……。


「まさか、五十人からなる大所帯でここまでやって来るとはな……」


「これだけの大所帯で押しかける形になったことは、誠に申し訳なく思っております……」


 王庁舎ビル最上階に存在する俺の執務室……。

 そこに用意したティーテーブルで、俺とソフィ嬢は向き合っていた。

 テーブルに乗せられているのはクッキングモヒカンが贖罪(しょくざい)の意味を込めて用意した菓子の数々であるが、行儀が良いというより遠慮しているのだろう……彼女は、出された茶にすら手を付けていない。


「いや、責めているわけではない。

 スオムスが君に持たせた金は、五十人どころか百人でも二、三年は食わせていけるだけの額だ。

 ただ、あまりに人数が多かったので少しばかり驚いただけさ。

 ――さ、遠慮はいらないから食べなさい」


 言いながら、俺もチョコレートなる食材を使ったケーキを一口食べてみせる。

 ワム女史率いる皇国軍や獣人国を支援せねばならぬこともあり、砂糖を始めとした嗜好品の生産はごく少数に抑えているが……いずれは大規模な農場を作ろうと、そう決意させられるほどの美味であった。


「――美味しい!」


 それが証拠に、俺と同じく一口それを味わったソフィ嬢の顔がぱあっと輝く。

 甘味というものには、女性の緊張を解く魔力が宿っているな。


「それにしても……」


 一応は貴族令嬢であるのだから、がっついた姿を見せるのははばかられるのだろう……。

 ばくばくと食べるような真似はせず、一口一口をゆっくりと味わう彼女の姿を見ながら、俺は素直な感想を口に出した。


「君の作法は、いかにもぎこちない……というかこれがぶっつけ本番という感じだな。

 正式な教育を受けたわけではなく、聞きかじった通りに振る舞っているというところだろう?

 一体、これまではどんな暮らしをしていたんだい?」


 一応は王族の俺であり、礼儀作法といったものは幼いころから叩き込まれている。

 その目で見てみると、彼女が貴族的な教育を受けていないのは明らかだった。

 そもそも、まとっている空気からして一般庶民でございという感じだからな。

 そういうのは、一見すれば判別できるものだ。


「お恥ずかしい限りで……」


「いや、さっきも言ったが別に責めようというわけではないんだ。

 ただ、少しばかり興味が湧いただけ……世間話の(たぐい)だよ。

 茶の席でもあることだし、な。

 さ、隠し立てするようなことでもなければ話してごらん?」


「では、お話いたしますと……。

 私の母は歌手で、私自身、侯爵様とは面識らしい面識もなく、楽団の一員として暮らしてきたのです」


「ほう?」


 それを聞いて、少しばかり彼女を見る目が変わる。

 なるほど、そう言われれば発音といい滑舌(かつぜつ)といいいかにも耳心地の良い声色(こわいろ)であり……。

 こうしている今この瞬間の姿勢も、武芸の心得があるというわけでもないだろうにしゃんとして見栄えが良い。

 侯爵領で盛んな音楽から考えると、彼女の正体もおのずと浮かび上がってきた。


「――オペラか」


「亡き母の跡を継いで、今は私が楽団の主演を務めています」


「と、なると……。

 今は俺の配下が宿泊地に案内しているお連れたちは、劇団の仲間といったところかな?」


 思えば、彼女の連れは全員が妙に大荷物だったからな。

 中身が楽器だの衣装だのといった、オペラ公演に必要不可欠な品々だったわけだ。


「それにしても、あの人数ならば楽団全員だろう? ずいぶんと思い切ったことをしたものだ。

 まさか、全員が君の素性を知っているとでもいうのか?」


 もし、そうならば俺の方でも対応を考えねばならない。

 今のところ、ソフィの素性を公表することは考えてないからな。

 それをやるのは、きちんと勝利してからだ。

 普通に考えて正統ロンバルド(うち)が旧ロンバルドに負けることはあり得ないが、そうやって油断した奴から足をすくわれるのである。

 油断して何度も死んでいる俺が言うのだ。間違いない。


 大体、彼女を送りつけたスオムスにしても万が一の備えでそうしてるだけであり、心中じゃ勝つ気満々でいるだろうしな。

 そして、奴が勝利した場合、ソフィの存在はお家騒動の種にしかならず、最悪、隠し子とはいえ実の子を害さねばならないわけだ。


 家畜の件で助けてもらった恩がある。討ち果たすその時まで、いらぬ心労をかけさせるような真似はしたくなかった。


「いえ、私の素性を知っているのは団長だけです。

 全員でここへ来ることになったのは、侯爵様の強い推薦があったからでして……」


「スオムスが?」


 それもまた妙な話である。

 先に述べた通り、奴としても秘密を知りうる者は少なければ少ないほどいいはずなのだが……。


「なんでまた、そんな楽団の人間たちに怪しまれそうなことを?

 君一人が失踪するだけならまだしも、楽団全員に行けと言うのは何かあると教えるようなものだぞ?」


「理由は、二つあります」


 視線を受けるのには慣れたものということか……。

 俺の問いかけに怯むことなく、ソフィははきはきと自分の考えを述べ始めた。


「まず一つは、単純に私が抜けると楽団の打撃が大きすぎること……」


「俺は謙虚な姿勢を好むが、同時に必要以上の謙遜(けんそん)は悪徳であると考えている。

 自分の実力を把握しているのは良いことだ。

 それで、もう一つは?」


「侯爵様が仰るには、正統ロンバルドこそ私たちが音楽家として生きられる地であると……」


「え? そうなの?」


 それを聞いて、思わず首をかしげる俺だ。

 何しろ俺は、音楽だの芸術だのに関しては門外漢オブ門外漢である。

 そりゃ、育ちが育ちだからひとしきりの知識は持っているけど、本当にそれだけだぞ?


「侯爵様が仰ったのはそれだけですが、道中、楽団の皆と話し合って出した結果……。

 正統ロンバルドには『テレビ』があるから、そう言ったのではないかと」


「ああ、テレビか!

 それを使って公演の様子を放送するということか? それくらいならお安いことだが」


「そのお言葉を頂けたこと、楽団の皆も喜ぶと思います。

 それでその……公演料なのですが……」


「ああ、俺はオペラ鑑賞の趣味がなくてな。相場を知らぬ。

 侯爵領ではどの程度だったのだ?」


「侯爵領では――」


 続いて彼女が口にした額は、驚くほど少ないものであった。


「――少なすぎる!

 もしやとは思うが、そこから公演準備にかかる様々な金を捻出しているのか?」


「それが、その通りなのです」


 驚く俺に、ソフィは淡々とした口調で続ける。


「当然ながら、これではとても生活できません。

 従って、楽団の者たちは他に日雇いの働きをしたり、貴族家で晩餐(ばんさん)の演奏をする仕事をもらうなどして、どうにか暮らしているのです」


「ああ、そういえば……我が王家でも必ず晩餐(ばんさん)時に奏者を呼んでいたな。

 俺は無駄な金の使い方ではないかと言ったことがあるが、父上は『必要な出費なのだ』と言っていた。

 そうか……あれは王家としての権威を示すためでなく……音楽家の生活を保護するためだったのか……」


 今更になって知る父の偉大さだ。

 そうやってどうにか仕事を作ってやり、芸術家を助けてきたのだろう。

 文化なき国など、蛮族の集団に過ぎぬ。

 そのことは理解しているつもりだったが、本当につもりでしかなかったな。これは……。


「これは侯爵領に限った話ではなく、どこでも似たようなものであると聞いています。

 いえ、音楽だけではありません。

 絵画、彫刻、その他様々な芸術……。

 いずれも人の生活には不要の、娯楽事に過ぎません。

 それを生きる道と定めた者たちは、常に貧しさと戦っているのです」


 きっぱりと言い切るソフィの顔には、苦労を重ねた者だけがまとう気高さが宿っていた。

 例えるならば、誰にも知られることなき場所で咲く花に宿る美しさと、同種のもの……。


 なるほど、スオムスの言う通りである。

 彼女らが音楽家として生きられる地は、この正統ロンバルドを除いて他にないだろう。


 だが、救うべきは彼女らだけなのだろうか……?

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