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父王の勘

 ロンバルド王国の王都フィング……。

 この街において、今冬(こんとう)、大いに流行(はや)っている品があった。


 ――聖書である。


 王都が誇る大聖堂で週におよそ二百部余りが刷られるそれを、敬虔(けいけん)な子羊たちはこぞって買い求めた。

 一般的な市民の月収に匹敵する値段は、決して安いものではないが……。

 人力で写本したものよりはるかに読みやすく、正確で、しかも紙質といい製本の頑丈さといい非の打ち所がない代物であるのだから、それも当然のことであろう。


 ホルン教皇の指導により、現在は厳選な抽選方式を用いて配布されており……。

 まだこれを得ていない人々は抽選に受かることを主に祈り、また、得た後はその幸運を主に感謝したのである。


 その際、信徒らが教会に落とす喜捨(きしゃ)(たぐい)は、これも決して無視できぬ額であり……。

 かの日に正統ロンバルドの存在を認めて以来、教会はますますその勢力を強めていたのであった。


「ふん……。

 ホルン教皇におかれては、ますます壮健で大変結構なことだ」


 そんな、聖書の一冊……。

 親愛の証として教会から贈られたそれを、ぱらりとめくって確認しながらロンバルド18世は鼻を鳴らしてみせた。


 場所は、ロンバルド城に存在する彼の私室……。

 人払いを済ませた今、部屋にいるのは二人の息子のみである。

 親子三人、今は茶会用の机で向き合う形となっているが、そこに茶や菓子の用意はされていない。

 それは、今されている話が到底なごやかな内容にはなり得ないことを意味していた。


「その気になれば、もっと高値を付けても十分に売れるはずの品……。

 それをあえて、庶民でも多少背伸びすれば手の届く値段で配布する辺り、かの教皇は聖職者よりも商売人の方が向いているようですな」


 父王が机に置いた聖書の背を撫でながら、第一王子カールが端整な顔を薄く歪める。

 その声音には、感心と軽蔑の情がおよそ半々ほどで込められていた。


「まあ、民たちが喜ぶ分には止める理由もない……。

 ない、が……。

 結果、その材料を(おろ)す辺境伯領が……ひいては正統ロンバルドが豊かになるのは気にくわないな」


 うなずきながら追従したのは、第二王子ケイラーである。

 王子にして王国最強の騎士でもある男は、腕組みしながら深く溜め息をついてみせた。


「兄上、教会が辺境伯領から紙やらインクやらを仕入れる流れ……これを止めることはかなわぬものか?

 規模として大きくないとはいえ、我が国の財貨が敵方に流れゆくのは決して看過できるものではないぞ?」


「ケイラー、無茶を言うものではない」


 これに答えたのは、尋ねられた兄王子ではなく父王の方である。


「教会の権力は、絶対にして独自のもの……。

 まして、行いとしては敬虔(けいけん)な信徒に正しい教義を伝えるためのものであり、文句をつける理由など何もない。

 これを取り締まろうとしたならば、わしは先祖の一人がそうされたように破門され、屈辱と共に教会へ許しを請うことになるだろうよ」


 何代も前の王……。

 彼が教会から司教の任命権を奪おうとし、結果として破門され、離れゆく民心を繋ぎ止めるため様々な苦労を重ねたことはここにいる三人もよく知るところだ。

 それを持ち出されては、豪気さで知られる第二王子も口をつぐむ他にない。


「まあ、教会にはせいぜい真の勝利者となってもらえばいいだろう。それが、人心を安らげることにもつながる」


 カールはそう言うと、聖書に触れていた手を放してみせた。

 教会に関する話はこれで終わりという、宣言である。


「今、考えねばならぬのは第三勢力に関してではない……。

 相手方が、どう動くか。

 そしてこちらが、どう動くかだ」


「まあ、後者に関してはいかんともしがたいがな」


 軍事に関しては第一人者であるケイラーが、軽く肩をすくめてみせた。


「今年の冷害もあって、どう工夫しようとも兵糧(ひょうろう)が足らん。

 軍を動かせるのは、小麦の収穫を終えた来夏以降……諸々の手配を考えるならば最速でも秋口といったところだ」


「無理に軍を動かして、民へ負担をかけるようなことがあってはならぬ。

 ケイラー、お主は引き続ききたるべき日に備え、騎士たちの調練に務めよ」


「――はっ」


 父王の言葉に第二王子が短く応じ、こちら側の動きについてはおしまいとなる。

 残るは、最大の懸念事項であり、こうして王族のみが顔を突き合わせることになった理由――相手方の動きについてだ。


「あの、メタルなんとかという人形……。

 分かってはいたことだが、古代の技術というのはなんでもありですな。

 まさか、『死の大地』へいながらにしてアスル本人が外遊できるとは……」


 昨日、テレビを通じて発表された情報を思い出したカールが、軽く眉間を揉みほぐした。


「これによって、侯爵領と結託しての人の行き来を制限した目的の一つ――外交抑止に関しては、その効力を失ったわけだ。

 これまでの流れを見れば、向こうが遠方同士で意思伝達可能な手段を有しているのは明白。

 今後、国内のアスルに友好的な貴族は、向こうの意のまま動くことになるでしょう」


「正統ロンバルドを攻めるだけではなく、後背のそういった貴族家に関しても十分な備えが必要ということか。

 こちらは馬を使った伝令がせいぜいだというのに、うらやましいことだ」


 軍馬に関しては一家言あり、私財を投じて実に百頭以上もの馬を保有しているケイラーが溜め息まじりにつぶやいた。

 王国一の騎士は自らの武芸を高める傍ら、馬の配合研究などに精を出し、そうして生み出された名馬たちを配することで騎士団の戦力を底上げしてきたのである。


 おそらくは、寸分の間も置かず遠方同士で会話を成立させる技術があり……。

 しかも、馬など及びもしない速度で飛行する乗り物をテレビで披露したアスルの所業は、そんな兄の努力をあざ笑うかのようなものであった。


「だが、テレビで向こうが伝えてくる情報は強みのみではない……。

 弱みもまた、意図せずしてこちらへ伝えてきている。

 カール。解析班によれば、ここ数ヶ月の間テレビの内容にずいぶんと偏りが見られるそうだな」


「はっ。

 ツンデレ系なにがしという遊戯を扱った番組を筆頭に、獣人たちの映る機会が激減……。

 いえ、新規の映像に関しては、皆無となっております」


 父王の言葉に、第一王子がはきはきと答える。

 ロンバルド18世はそれにうなずくと、思い出すようにこうつぶやいた。


「確か、『死の大地』……正統ロンバルドを挟んだ向こう側には、ラトラ獣人国が存在したな」


「テレビの内容が偏っているのは、皇国に支配されて久しいかの国へ関わっているからだと?」


 ケイラーの言葉に、聡明な王は考え込んでみせる。


「断言はせぬ……。

 しかし、例の冷害は我が国のみならず、大陸中に影響を及ぼしているはずだ。

 そして、アスルは獣人国の姫君を妻として迎えている。

 結び付けるのは、考え過ぎということもあるまい……」


 父王の言葉に、二人の王子は黙り込む他にない。

 根拠や証拠があるわけではない……。

 実質、ただの勘である。


 しかし、それこそは事実であるにちがいないと、確信できたからであった。

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