産声
かつてない規模の冷害により、今年の春は気候としても収穫量としても、今までにないほど寒々しいものとなったが……。
では、冬はどうなのかといえば、これは全く真逆であり、祖国を滅ぼされて以来、最も暖かな冬を獣人たちは過ごせていたのである。
別段、気候が暖かったわけではない……。
しかし、取り戻した誇りと尊厳が、冬の寒さをそうと感じさせなかったのだ。
それもこれも、全ては風林火と名乗る者たちの活躍あってである。
――ある時は自ら皇国拠点などを襲撃し。
――またある時は、力なき民にそれを……ぶらすたあを分け与える。
その効果は、絶大なものであった。
もはや、皇国の兵はこれまで通りに闊歩することなど到底できず……。
風林火に襲われない規模の拠点へ、亀のように籠る他なくなっていたのである。
風林火の襲撃はともかく、各地の村々へ供給されたぶらすたあとびいむぱっくの数はたかが知れたものだ。
しかし、皇国軍にとっては、そのたかが知れた武器供給が不気味極まりなかったのである。
都のように、常から皇国軍が駐屯している大規模な街ならばともかく……。
それ以外の、各地へ点在する村々となると、いつ風林火と接触しぶらすたあを渡されているか知れたものではないのだ。
向こうからすれば、うかつに接触できようはずもない。
従って、今年の冬は皇国兵が村娘をかどわかしたり、あるいはそれ以外の暴虐を働いたりということがなく……。
各地の村は、かの戦以来となる……実におだやかな冬を過ごせていたのである。
空からそれが飛来してきたのは、そんなある日のことであった。
「――おい、あれはなんだ!?」
「バカでかいカブトムシのようにも見えるが……」
「あんなでかい虫がいてたまるか! 魔物じゃないのか!?」
「だが、どうも生き物じゃないようだぞ!」
「それに……人を乗せているぞ!」
野良仕事などへ精を出していた獣人たちが集まり、空を指差しながら口々にわめき立てる。
そう、空からやって来たのは――信じられないことではあるが――どうやら乗り物のようであった。
人一人……いや、二人は乗せられるであろう大きさをしており、全てが見たこともない光沢の金属で形作られている。
全体的な形は、甲虫のそれを彷彿とさせるものであり、直線状に突き出た二本の角はぶらすたあの先端部を大型にしたものと思えた。
カブトムシなどならば、開閉可能な翅が存在するだろう部位には、代わりに座席が据え付けられており……。
そこでは、奇怪な全身鎧へ身を包んだ何者かが触角じみた桿を握っている。
乗り物の底部と口部からは不可思議な光が放たれており、それが浮遊力及び推進力を与えているのだとうかがえた。
「あれは一体……」
ざわめきながら見守っている獣人たちであるが……。
そんな彼らの様子を知ってか知らずか、甲虫のような乗り物は遥か上空で静止してみせたのである。
そして、座席に乗った兵が何事か操作すると、乗り物の一部が稼働し、強烈な光を放った!
一瞬、獣人たちが身をすくめたのは無理からぬことであろう……。
見たことも聞いたこともない代物から放たれる光と言えば、ぶらすたあのそれを想起せざるを得なかったのである。
しかし、その光は破壊をもたらす類のものではなかった。
では、何をするための光なのかといえば……上空の空間そのものを帆布とし、何やら絵画のようなものを浮かび上がらせたのである。
いや、これを絵画に例えるのはいかがなものだろうか……。
虚像として映し出されているのは、どこか別の……現実そのものを切り取ったとしか思えぬ光景であるのだ。
「あれは……」
「お侍様と――お姫様?」
どうやら自分たちを害する存在でないと気づいた獣人たちが、虚像を見ながらそうつぶやく。
虚像として映し出されているのは、どこかの室内であり……。
壁にかけられているのは、確か……戦の際に侍たちが掲げていたラトラ獣人王家の家紋ではないか?
その前に立つのは、これこそ侍と呼ぶべき戦支度に身を固めた老齢の……オオカミの特性を備えた侍であり……。
その隣に並び立つのは、色とりどりの小袖を幾重にも重ね着し、上から金糸をふんだんに使った打掛を羽織る少女……。
キツネの特性を備えたその面立ちは、若年でありながら気品に満ち溢れており、着ている装束に負けるどころが、これなる装いを得てさらに輝いて感じられる。
その姿――まさしく姫君!
かつて天上にいた人々の顔など、知る由もない村人たちだ。
しかし、一目見ただけで……この少女は自分たちが戴くべき存在であると……おそらくは、密かに生き残っていたのだろう王家の末裔であると察せられたのである。
『我が名はバンホー! かつて、侍大将として王家に仕えていた者なり!』
空中の甲虫じみた乗り物から大音声が響き渡り、姿のみならず言葉さえも眼下の村人たちへ伝えられた。
それによれば、この侍は自分たちですらその名を知る侍大将バンホー……!
『そして、こちらにおわすは獣人王家最後の生き残り、ウルカ姫様なり!
者共! そのお言葉に深く傾聴せよ!』
――おおっ!
どよめく村人たちに向け、ウルカ姫の唇が開かれる。
『我が名はウルカ……。
獣人王家最後の生き残りなり。
まず、この映像は我が夫――正統ロンバルドの王アスル様の配下たちにより、獣人国各地へ配信されていることを伝えておきます。
と言っても、よく分からないでしょうが……。
要するに、およそ全ての獣人たちが同じものを目にしていると心得なさい。
また、我が夫などに関して諸々の疑問もあるでしょうが、ひとまずそれは置き、今からする話をしかと聞くように……』
ウルカ姫の言葉に、誰もが固唾を飲む。
そして、一言一句聞き逃すまいとする獣人たちへ、驚愕の事実が告げられた。
『長年に渡るファイン皇国の支配……。
それが本日をもって終結したことを、ここに宣言します』
それは、待ちに待った言葉であったにちがいない。
そのためにぶらすたあを手に取り、慣れぬ戦いへ身を投じたのである。
しかし、伝達手段がかように奇怪な方法であったこと……。
何より、あまりにあっさりと告げられてしまったことで、獣人たちは喜びよりも当惑が勝り、きょとんとした顔を浮かべてしまった。
『と言っても、すぐさま皇国軍が全面撤退するというわけではありません……。
段階を経て徐々に獣人国から撤退していき、最終的にこの地を我が夫――アスル陛下へ移譲する形となります。
アスル陛下は、この地における分権統治を確約してくださいました。
――自由が戻ってくるのです』
――おお。
――おおおお!
自由が戻ってくる。
はっきりとしたこの言葉に、獣人たちが徐々に……徐々に歓声を上げ始めた。
それは、この村のみではない……。
元獣人国地方各地で……いや、ラトラ獣人国各地で鳴り響いたのである。
それは、まるで新たな産声のようであった。




