夫婦の語らい
その気になれば、壁そのものをモニターや各種収納へ変化させることが可能な『マミヤ』の私室であるが……。
それは裏を返せば、素の状態だとひどく殺風景で無機質な部屋であることを意味する。
そんな部屋の中で聞こえるのは、互いの吐息……。
そして、
――ぱちり。
……と、熟考の末に指される駒の音のみである。
「む……う……」
その厳しい一手に、思わずうなり声を上げながら腕を組む俺だ。
ちらりと様子をうかがうと、対手――ウルカは、普段は見せぬ凛々しい眼差しを盤に向けていた。
――将棋。
獣人国においては、伝統的な盤上遊戯である。
もちろん、ファイン皇国の徹底した文化破壊政策により、表立ってこれを指すことはなくなった獣人たちであるが……。
娯楽を求める人の心というのは、抑えがたきもの……。
81マスの盤と駒の代用品さえあれば簡単に再現できることもあり、皇国の占領下においても獣人たちはこっそりとこれを楽しんでいたのだそうだ。
ちなみに、ウルカへこれを仕込んだのは、事実上の親代わりでもあるバンホーなわけであるが……。
あれだけ遊戯での勝ちにこだわるあの男が、いざウルカに相手を命じられると途端に耳と尾をへたれさせるのだから、実力差はとうにひっくり返っていることがうかがえる。
彼女の建築的思考を育んだのは、案外、この遊戯であるのかもしれないな。
「……負けました」
初心者なりにがんばって考えてみたが、どうあがいても勝ちの目が見えない。
素直に負けを認め、頭を下げた。
「何枚も落としてもらってこれとは、少しばかり気恥ずかしいな」
「アスル様は、大駒を大胆に使い過ぎなところがあるかと。
迅速果断に攻めることも結構ですが、要を失っては勝てる戦も取りこぼしますよ?」
駒の配置を何手も戻し、失着の部分を再現しながらウルカがそう告げる。
「そうはいっても、犠牲というものが付き物なのが戦だから、な……」
「それは例えば、獣人たちの命ですか?」
さらりと放たれた、盤外の一手……。
それに俺は、思わず言葉を詰まらせた。
いや、わざわざ呼び出して大して心得もない将棋なんぞ指してるんだから、何か大事な話があるのだと察しているのは当然なのだが……。
その内容を先回りして告げてくるとは、さすがは我が嫁である。
こうなると、わざと大駒を犠牲にしたことも察されてるな。二重の意味で失着だったわけだ。
まあ、そういう聡いところに惚れ込んで求婚した相手である……。
ここは、素直に胸襟を開くとしよう。
「……そうだ。
一連の風林火を用いた破壊工作……。
俺はそれによって、多数の……おびただしい獣人の死者が出ると踏んでいた」
「皇国による見せしめで、ですね?」
「ああ」
盤上の駒を乱雑に握り込み、ぽろぽろとそれを落としてみせる。
「俺の見立てでは、皇国は一般市民の大量虐殺に乗り出すはずだった。
風林火の働きによって、もはやそこらの子供ですら自分たちを害する敵になりかねない……。
だったら、敵味方の区別なく獣人とあらば無差別に殺して回れ、とな。
あるいは、人質として盾にすることで風林火の活動を抑止する……。
いずれにせよ、やることは大して変わらないけどな」
「そうすることで、獣人たちはどうなるか……。
恐怖におびえ、すくみ、ますます尾を縮こまらせるか……?
――否」
ウルカが、盤上へ無事残っていた駒を一つ一つ手に取り、ひっくり返していく……。
そうすることで、健在だった駒たちはいずれもが成駒へと昇華した。
「そのようなことをすれば、いかな臆病者であろうと牙を剥くもの……。
もはや、ブラスターを与えられたかどうかは関係ありません。
全ての獣人が、皇国に反旗を翻すことになったでしょう」
「まあ、現実はちがったけどな」
肩をすくめながら、先日の……ノウミ城における戦いを思い出す。
あの時、俺が城主であるスタイン・ノイテビルクに聞いたこと……。
それは、ワムが一般市民の虐殺に乗り出すような人物であるか、というものであった。
返答は――否。
そして実際、あの女総督はそのような凶行に及んでいない。
「ともかく、実現こそしなかったが……。
あえて皇国に虐殺を行わせることで、全獣人を一気に立ち上がらせ、早期決着を図る……。
それが、俺の描いていたおおまかな筋書きだ。
――許して欲しい」
そこまで告げ、頭を下げる。
当然ながら、こんな考えは今まで誰にも話していない。
全ては、俺の胸にしまっておいたことだ。
実際に罪もない獣人たちが殺され始めたら、いけしゃあしゃあと義憤に燃えてみせるつもりだったのである。
「…………………………」
しばしの沈黙が、室内を満たす。
「どうか、頭をお上げください」
そうした後、ウルカは俺にそう告げた。
恐る恐る顔をうかがうが、そこに浮かべていたのは薄い笑み。
見ようによっては、自嘲しているようにも受け取れた。
「アスル様がそれを罪に感じておられるのでしたら、わたしも同罪です。
何しろ、風林火について聞かされた時点で、わたしも同じことを考えていましたから……」
「そう、か……」
本当に、聡い嫁だ。
俺たちは、そういうところで以心伝心の夫婦であったというわけである。
「そして、その上で、良しと考えてもいました。
犠牲により、より多くの民が救われるのであれば、かまうまいと……。
わたしは――獣人国の姫ですから」
「ならば、やはり申し訳ないと思う。
最初から俺が全てを打ち明けるべきだった。
知らぬ間に、君にまで重荷を背負わせていた」
俺の言葉に、ウルカがそっとかぶりを振った。
そして、優しい笑みを浮かべながら宣言する。
「アスル様、わたしたちは夫婦です。
王であり、その后です。
これまでの罪……そして、これから先の罪……。
その全てを、共に背負って歩みましょう」
こんな時に、考えることではないが……。
反則だと、思う。
今すぐに抱き寄せて、唇を重ねたくなってしまうじゃないか……!
しかし、彼女が言った通り俺たちは王であり、その后だ。
のろける前に、詰めなければならない話がある。
こほんと咳ばらいし、話を戻す。
「さておき、話を戻すが……。
ワムは、あの女総督は俺が思っていたよりも賢明な統治者だった。
想定よりも手強い敵だった。
風林火の破壊工作と、民草の武装化は進んでいるが、全獣人が立ち上がるような規模には至っていないし、また、至らないだろう」
「『マミヤ』の生産能力にも、限度というものがあります。
まして、遠隔地へ秘密裏に武器を供給するのですから、それも当然のことですね」
「まあ、あくまでも最優先すべきは正統ロンバルドの発展であり、ひいては旧ロンバルドとの……我が祖国との戦いに向けた備えであるし、な……」
最近は、かかりきりになっているようなところもあるが……。
あくまで、俺たちにとって最大の問題はそちらであり、獣人国地方を巡るあれこれはゲームでいうところのサブクエストであることを忘れてはならない。
割けるリソースには、限りがあるのだ。
「そんなわけで、嫌な膠着状態に陥ってしまったわけであるが……」
「アスル様には、お考えがあるのでしょう?」
「ああ、多分……これも君と同じものだ」
ウルカと……俺と同じ罪を背負うと宣言してくれた嫁と、目線を交わし合う。
「道は二つあると思う。
一つは、このまま長期戦を見据えて嫌がらせを続ける道……」
「そしてもう一つは……手強い敵に、敵の敵になって頂く道、ですね?」
それは、ウルカにとってははらわたが煮えくり返るだろう道。
しかして、懸命な道でもある。
俺は、さらりとそれを言ってのけた我が嫁に、再び最大限の感謝を抱くのであった。




