風林火
種々様々な犯罪や事故、あるいは魔物などといった脅威から人々を守るため、一定間隔ごとに治安維持の兵を置かねばならぬのは古今東西、あらゆる国家における共通事項であり……。
それはここ、元獣人国地方においても例外ではない。
もっとも、この地において守るべき民である獣人は隷属を強いられており……。
各地の砦や詰め所に派遣されたレイド兵たちには、彼らが反乱を企てないか監視、及び管理する任を与えられているのだが……。
ノウミの北西部――サカワに存在する、ある詰め所。
ここもそんな、ごくありふれた詰め所の一つであった。
街道から枝道へ逸れた先には、粗末な木の柵で囲まれたいくつかの建物が存在し……。
そこには、近場の皇国軍拠点から派遣された十名ほどの兵と一頭の馬とが、交代制で勤務している。
そんな詰め所内に存在する、建物の一つ……。
「ちくしょう! 今日の飯はこんだけかよ! ふざけやがって!」
共用の食堂内で、レイド兵の叫び声が響き渡った。
響いたのは、叫び声ばかりではない……。
空の木皿を投げ捨てる音もまた、同時に鳴り響いた。
「ひ、ひい……」
それにおびえた声を出し、食堂の隅で身を縮めたのはレイド人でもましてやファイン人でもない。
獣人の、女である。
いかにも農村の娘といった出で立ちの女は、付近の村から様々な用途の世話役として連れて来られていた。
「……当たり散らしても、仕方がないだろう」
怒鳴り散らした者をたしなめたのは、周囲の者よりもやや年長と見えるレイド兵であり、彼はこの隊を預かる指揮官である。
他の者と同じく着席する彼の眼前に供された木皿には、水よりもマシといった濃度の薄い麦粥が注がれていた。
「しかしよおっ!」
「……ノウミが落とされて以来、補給が滞っているんだ。
ないものは、どうにもならん」
粥をすすりながら冷静にそうたしなめられれば、返す言葉があるはずもない。
「――ッ!
クソ獣人共があっ!」
その代わり、激怒する兵は身を縮める獣人女につかつかと歩み寄ると、これを力任せに蹴り飛ばした。
「――ああっ!?」
「クソッ! クソッ! クソッ!
てめらが、身の程ってやつをわきまえねえから!
飯だけが、クソつまらねえ軍務の楽しみだってのによ!」
亀のようにうずくまり、両手で頭をかばう女を兵士は何度も蹴りつける。
これを止める者は、この場にいない……。
先にたしなめた隊長もまた、別に女への慈悲でああ言ったわけではないのだ。
むしろ、それで少しでも不満が晴れるのならば構わないとすら思っていた。
そんな風に、騒ぎ立てていたからだろうか……。
詰め所の入口で立哨していた兵が密かに倒され、何者かが内部へ侵入したことに誰も気づかなかったのである。
けたたましいい音を立てて、食堂の扉が蹴り破られ……。
――ピュン!
――ピュン! ピュン!
ほぼ同時に、どこか気の抜けた音を伴う光の線が放たれた。
「――うっ!?」
「――ぐおっ!?」
つつましい食事をしていたレイド兵たちは、それで残らず倒され……。
「――なっ!?」
――ピュン!
獣人女に暴力を働いていた兵もまた、光の線を胸に受け即死する。
瞬く間の、早業……。
十も数えぬ暇に、詰め所の兵は全滅したのであった。
「女、大丈夫か……?」
奇妙な……そして恐るべき武器を下ろし、手を差し伸べた襲撃者に獣人女が思わずつぶやく。
「お侍様の戦い方じゃない……」
「そうだ……我らは、もはや武士ではない」
襲撃者はその言葉に、にやりと笑いながらこう続けた。
「我らは――風林火」
袴に刀という出で立ちは、かつての時代に見られた侍のそれ……。
しかし、奇怪な筒を用い、不意打ち上等でレイド兵を全滅させた戦い方は、明らかに誉を重んじる侍のそれではない。
侍のようでいて、そうでない者……。
ただただ、勝利することのみを目指す戦士……。
襲撃者の名を、タスケという。
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「あれだな……。
もはや、馬を射られているというよりすねを蹴り続けられているような気分だな。
それも、執拗に、だ……」
ラトラの都はノイテビルク城に存在する、総督の執務室……。
いつも以上に羊皮紙が散乱した執務机に頬づきながら、ワム・ノイテビルク・ファインはそうこぼした。
散らばった羊皮紙に書き込まれているのは、いずれも賊がもたらした被害に関する報告である。
「大きなものでは詰め所の焼き払いや、橋の破壊……。
小さなところでは、騎馬が駆けるだろう道へ縄を張ったりなどの、細かな嫌がらせ……。
よくもまあ、これだけ暴れ回るものです」
俗にダーク種とも呼ばれる肌黒の女エルフにして、総督の腹心であるヨナが、ちらりと羊皮紙を眺めながらそう口にした。
「しかも、厄介なのは神出鬼没である点だ」
壁にかけられた元獣人国地方の地図を眺めながら、若き女総督がうなずく。
地図上にはいくつもの×印が書かれており、これは賊が出没した地点や、賊に武器を供給された村などを意味していた。
「ノウミ周辺部が重点的に狙われるかと思いきや、北はここラトラの都を飛び越えてツム……。
南は、イキに至るまで……。
あまりに広範囲へ、しかも素早く賊が出現しているのが気になりますね。
一体、いかなる手段を用いているのか……」
「強いて言うならば、海岸を持つ地域なのは気になるが、それだけでは絞ったことにならんな」
苦笑しながら、女総督は一枚の書類を手に取る。
「シノビが捕らえた賊やそれに加担する村人から分かったことと言えば、例のブラスターなる武器が獣人にしか扱えぬよう細工されていること……。
捕らえることがかなったような末端の者たちは、ただこちらから奪った食糧や武器を供給され、好きに使うよう言われただけで、ろくな指示も与えられず中核につながる情報は何も知らぬこと……。
そして、賊共がフウリンカと名乗っていることくらいか」
「フウリンカ……。
この国には、風林火山という言葉がありますね」
艶やかな銀髪を撫でながら、ヨナが記憶の内を探り出す。
「いわく……。
疾きこと、風のごとく……。
静かなること、林のごとく……。
侵掠すること、火のごとく……。
動かざること、山のごとく……。
でしたか?」
「山抜きか! これはいい!」
これを聞き、思わず快哉を叫ぶワムだ。
「一所に留まれば、大軍でもって包囲殲滅されてしまうからな!
少数の……しかも極めて殺傷力の高い武器を持ち、誰をも戦力として変じられる者たち……。
そやつらを表すにはうってつけの名であり、最良の戦術であろうよ!」
「それで、そんな賢い敵にどう対処します……?」
敵を褒め称える主君に、そう尋ねるヨナであったが……。
返ってきた言葉は、意外なものであった。
「様子見だ。
勝てぬと分かった。
こちらが勝てぬだけでなく、相手もな」
「相手も、ですか……?」
今のところ、フウリンカの活動は極めて有効に働いており……。
末端のレイド兵に至っては、ろくな食事も取れぬ者すら出ている。
で、あるからには、こちらはともかく相手には勝算十分だと思えるのだが……。
「前に言っただろう? 盤上遊戯と同じだ。
結局は、領地を刈り取り山のごとく構えねば戦略的な勝利は訪れない。
そして、相手にはその手段がない。数が足りないからだ」
おどけたように肩をすくめながら、ワムはそう講釈する。
「そうなると、相手は勝利など望まずただ嫌がらせだけに徹すると……?」
「いや、それもない。
黒幕になんの得もないからな。
これだけ損得勘定を働かせている相手だ。非生産的なことはすまいよ。
となると……交渉だな」
「交渉、ですか?」
腹心の言葉に、ワムは白金の髪をいじりながらうむと答えた。
「そもそも、戦というもの……闘争というものは、交渉の一形態に過ぎない。
であるからには、望むものを得るため……必ず黒幕は姿を現し、接触を図ってくるはずだ」
ノウミに端を発した……いや、おそらくは、あの夜にシノビたちを返り討ちにした時から始まった一連の戦いは、全てが交渉の一手に過ぎぬ。
そうと断じた若き女総督は、どかりと椅子の背もたれに体重を預けた。
そして後日……その推測は正しいと証明されたのである。
……ド肝を抜かれる形ではあったが。




