求婚
「ウルカ殿。
……顔を上げられよ」
俺の言葉に、両手の指はついたまま……。
ウルカ殿は、顔だけを上げた。
その瞳を見据えながら、言葉を続ける。
「その身を、いかようにしようともかまわない……。
その言葉に、偽りはないか?」
「ありませぬ」
俺の確認に、キッパリとウルカ殿が答えた。
「そうか……」
俺は、さすがに緊張し……少しだけ息をのんだ後、自分の出した結論を告げる。
「ならば、ウルカ殿。
――俺の妻となれ」
――しん。
……という、沈黙が周囲を支配した。
ウルカ殿だけではない……。
バンホーを始めとしたサムライたちも、皆が皆、驚きに目を剥き言葉を失っている。
唯一、表情を変えないのはイヴだけだが……彼女は元から仮面のごとき無表情であった。
まあ、常に無数の色へ変じさせている髪の毛が桃色一色になっているのは、ひょっとしたら感情の表れなのかもしれない……。
しばらく、そんな具合で黙り込み……。
「――はあっ!?」
ようやく言葉の意味を咀嚼したウルカ殿が、驚愕の声を上げた。
「――うおっ!?」
だが、驚いたのは彼女ばかりじゃない……。
俺もまた、同様である。
何に驚いたのかといえば……。
彼女の背後から突然、銀色の毛並みを持つ尾が出現し、それがピンと逆立ったことにであった。
いや、正確に言えばそれは突然出現したわけではない……。
彼女の腰に巻きついていた尾が、意思を持つかのように振る舞ったのである。
いや、変わった装いの帯をつけているなーとは思ったけど……。
それ、しっぽだったんだ……。
「失礼……」
こほんと咳ばらいをし、自分の不覚をごまかす。
「いや、実際に獣人の方とお目にかかるのは初めてだったのでな……。
迂闊にも、それは獣人国特有の帯だと思い込んでいたのだ」
見回せば……。
ウルカ殿だけでなく、バンホーたちサムライも、それぞれに毛並みの異なる尾を腰へ巻き付けている。
獣人という種族の特徴は、頭頂から生えた獣のごとき耳のみではなかったらしい……。
「これは、皇国が出した触れにより、腰へ巻き付けることが強制されていましたので……。
今ではすっかり、習慣として身についてしまったのです」
「そうか……。
皇国はとことん、獣人の尊厳を破壊するつもりなのだな……」
「ではなく、です!」
占領下にある獣人たちの苦渋へ思いを馳せた俺に、ウルカ殿がぐっと身を乗り出す。
「さ、先ほどの、あれは、あれの……!」
「嫌か?」
興奮のあまりろれつが回っていないウルカ殿へ、単刀直入にたずねる。
「い、いえ……先ほどの言葉をたがえるつもりはありません。
――ですが、わたしに政治的な価値がないことはご理解いただけているはず。
どころか、おそらく自国民へ遺物の利益を還元しようと考えているアスル様には、厄介な荷物でもあるはずです。
その上で、どうして娶ろうと……?
その、そういうことをお求めでしたら断れるはずもありませんが……。
そういうことでしたら、妻にする必要もありませんし……」
最後の方は、耳を澄まさなければ聞こえないくらいの小声であった。
うん、恥ずかしいならあえて口にしない方がいいと思うぞ? 俺も得意な方ではない。
「理由は簡単……。
結論を述べるなら、あなたに伴侶となってほしい……。
俺のやることを、隣から支えてほしいと思ったからだ」
こういうことを言葉にするというのは、なかなかに気恥ずかしいもので……。
俺はごくりと、手にした酒杯の中身を飲み込む。
「俺がこの先やることを思えば、支えてくれる伴侶の存在は必要不可欠。
それはただ、見目が良ければいいというものではない……。
俺と同じ目線でものを見て、時に意見すら交わし合える……。
そういった女性でなければならない。
――つまり、あなただ」
言い終えると同時に、ウルカ殿の瞳を見据える。
俺自身でもまっすぐすぎると思える口説き文句に、年端もいかぬ少女は顔を赤らめながら身をよじらせていた。
「しかも、あなたはかわいらしく、また、この状況でならば断わることはできぬときている。
俺は常に、機を見るに敏でありたいと思っている。
で、あるならばこれなる出会いを見過ごすことはできぬ。
あなたほどの女性と出会い、求婚する機会など、この先一生なかったとしてもおかしくはないのだからな」
「で、ですが……」
よほど俺の言葉が効いているのだろう……。
とうとう、着ている装束の裾を使って顔を隠し始めたウルカ殿が、ちらりとこちらをうかがいながら意見する。
「私を娶れば、それはすなわちファイン皇国を敵に回すことを意味します。
この先、アスル様がなさることを思えばそれは得策でないはず……!」
それはまさしく、ついさっきまで俺が懸念していたことだ。
いや、今でももちろん懸念している。
しかし……。
「あなたを妻にする対価と思えば、安すぎるというもの……。
それに、話を聞く限り、皇国とは遅かれ早かれ敵対することになるだろう。
何しろ俺は、これまで緩衝地帯となっていた『死の大地』に国を興そうというのだからな。
これを見逃す皇国ではないはず」
「友好国として、並び立つ道もあるのでは……?」
「無理だな」
話を聞くまでは己の方針としていた言葉を、切って捨てた。
「俺が思うに、皇国は戦で刻まれた自国の傷を、さらなる戦から得られる戦果で癒している。
察するに、獣人国との戦でかの国が前線に並べたのは、占領した国から徴兵した者たちだったのでは?」
「……いかにも」
俺の言葉に、黙って様子を見守っていたバンホーがうなずく。
「ならばこの流れはもう、皇国の最高指導者たるファイン皇帝自身にすら止められまい。
かの国はもはや、御することのかなわぬ暴れ馬だ」
言うまでもないことだが……。
民というものは、飢えること、貧しくなることを嫌う。
今、皇国が拡張路線をやめるというのは、乱暴な言い方をすれば、民を飢えさせることであり、貧しくさせるということだ。
……皇帝自身にすら止められぬというのは、そういう意味である。
ことによれば、案外、戦の連鎖を一番終わらせたがっているのは、これを始めた皇帝本人なのやもしれぬ。
「で、あるならば……あなたを妻とすることは流れ次第で俺の利益につなげられる。
何しろ、滅ぼされた獣人国のためという、大義名分を得られるのだからな。
戦の絵図を描けるのは指導者であっても、実際にこれを行うのは兵であり、民。
それを思えば、あなたという存在は決して負債ばかりにはならない」
再び酒杯を傾け、今度は最後の一滴まで飲み干す。
五年ぶりの酒は……染みる。
俺は自覚できるほどに顔を赤らめながら、トドメの言葉を言い放った。
「他には、お連れのサムライ方も安心できるだろうという目論見もあるが……。
とどのつまり、俺があなたに惚れたということだ。
――この求婚、受けるや否や?」
ウルカ殿が……来歴を聞く限り、第二の父も同然であろうバンホーを見やる。
初老のサムライはただ、黙ってうなずきかけるのみだ。
それは、他のサムライたちも同様であり……。
イヴも含めた全員の視線が、少女に注がれた。
「……」
意を決したウルカ殿が、再び居住まいを正し、両手の指をつく。
「ふつつか者ですが、どうかよろしくお願いします……」
そして頭を下げながら、俺の求婚を受け入れたのである。
「マスター。
端的に申し上げて、お二人のご結婚が成立したと考えてよろしいのですか?」
「ああ、その通りだ」
こちらを見ながら質問したイヴに、うなずきながら返す。
「ご結婚、おめでとうございます」
ただ、髪の色のみを無数に変じさせながら……。
我が臣下は、感情の存在しない声で俺の結婚を祝福したのであった。