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敗残軍

 そろそろ秋が終わろうかという頃……。

 ギルモア・オーベルク率いるノウミ奪還軍がラトラの都を出陣する際、これを見送る町人たちはと言えば皆無であった。

 元より、支配層と被支配層という関係であり……。

 特に、軍の大多数を占めるレイド出身の兵たちがどのような狼藉(ろうぜき)を働くか分からぬ以上、それは当然のことであっただろう。


 まるで、嵐が過ぎ去るのを待つかのように……。

 獣人たちは家屋の中に閉じこもり、じっと息を潜めていたものである。


 そして、いよいよ冬を迎え始めた今……。

 ラトラの都へ帰還した奪還軍に対する獣人たちの反応は、打って変わったものであった。

 ろくに食事も取れていないため、誰もが痩せ細っており……。

 それにより、例年以上に増して感じられる寒さを耐えるため、とにかく着込めるだけ着込んだ獣人たち……。

 それが、長蛇の人垣となって、都の大通りにずらりと居並んでいるのである。


 ただし、通常の軍に浴びせられるような歓声などは当然存在しない。

 その代わり、ひそやかな話し声がそこかしこから漏れ出ていた。


 ひとつひとつはささやき声であるが、都中の獣人が集まったのかという状態で交わされているのだ。

 それらは、さざめく波の音がごとく大通りを支配し、これを行く奪還軍の兵たちに浴びせかけられる。


 通常ならば、考えられる光景ではない。

 そのようなことをしようものならば、腹を立てたレイド出身兵の幾人かが町人を無礼打ちに処することであろう。


 だが、今、大通りを歩む兵たち……。

 彼らに、そのような元気は存在しなかった。

 騎乗し先頭を行くギルモア・オーベルクを筆頭に……。

 誰もが下を向き、力なくうなだれる形でどうにか大通りを進んでいたのである。


 行きと帰りで大きく異なるのは、軍全体の数が目に見えて減っていること……。

 特に、騎馬がほとんどいなくなっていることであった。

 行きの際には、全員が騎乗していた魔法騎士たちだったが……。

 今は、八割方が徒歩(かち)となっている。


 そして、彼らにとって誇りである赤い軍服は泥やら砂埃やらで薄汚れてしまっており……。

 自分で流した血が原因であろう、赤黒い染みを軍服に作っている者も数多かった。

 それが今は無事に歩けているのは、回復魔術を使ったからであろうが……。

 矢傷などへそうするように腕やら脚へ包帯を巻きつけ、苦しげに顔を歪めている騎士たちはいかがしたのだろうか……。


 レイド出身の兵たちは、もっと悲惨だ。

 しょせんは皇国本土出身のものでないため、回復魔術を使ってやらなかったのか、はたまた、そんな余裕がなかったのか……。

 負傷した者は適当に包帯を巻きつけているだけであり、歩くのもやっとといった有様である。


 ふと、レイド出身の兵と人垣に加わった獣人の子供が視線を合わせる形となった。

 緑の軍服を着た皇国兵は、獣人たちにとってある種、魔法騎士以上に恐怖の対象だ。

 だから、普段ならばすぐさま獣人側が顔を逸らすのだが……この子供がそうしなかったのは、飢えで頭の働きが鈍くなっていたからにちがいない。


 反対に、レイド出身兵が見せた反応は劇的なものだった。

 すぐさま通りの反対側へ顔を逸らし、逸らした先にも獣人がいることへ気づいて……脂汗を流しながら、ただただ地面を見つめ歩くことに徹したのである。


 ――獣人たちへの恐怖。


 緑の軍服を着た者たちから、はっきりとそれが感じられた。

 冷静に見やれば、負傷兵の割合はそこまで多くないというのに、まるで兵士全員が傷つき弱っているように感じられるのは、それが原因であるにちがいない。


 ノウミ奪還軍……。

 彼らは、間違いなく敗残の兵たちであった。




--




 ノイテビルク城入りを果たし、介抱を受ける兵たちをよそに……。

 最高指揮官たるギルモア・オーベルクとこれを補佐する腹心たちは、身なりを整える(いとま)もなく謁見の間へと参じることになった。

 城主にして、この元獣人国地方を治める総督たるワム・ノイテビルク・ファインが、それを望んだからだ。


 あれだけの大軍を(よう)しておきながら、与えられた任を何一つ果たすことなく、いたずらに兵を損じおめおめと帰還する……。

 謁見の間へ居並んだ誰もが、若き俊英(しゅんえい)が厳罰に処されることを予想した。

 しかし、女総督の反応はそれと真逆のものであったのである。


 まず、彼女は、ギルモア始め奪還軍の労をねぎらい、次いで詳細な報告を求めた。

 それを受けて、ギルモアは戦利品として持ち帰った例の……光の線が放てる筒を献上し、その脅威と獣人たちが見せた戦術について、淡々と語ったものである。


 謁見の間へ参じた幕僚(ばくりょう)たちの中には、


 ――戦い方がまずかっただけだ。


 ――しょせんは獣人、街ごと焼き払う手もあったはずだ。


 ……などとささやき、嘲笑(ちょうしょう)する者の姿も見られたが……。

 ワムのみは一言一句聞き逃さぬよう注意深く耳を傾け、報告が終わると同時にこう宣言したものである。


 ――皆の者、ギルモアの行動はおおよそ我が意に沿ったものである!


 ――よって、此度(こたび)の失態に対する(とが)はない!


 ――ギルモアにおいてはひとまず疲れを癒し、今後の働きで挽回することを期待する!


 この地における王にも等しい者がそう言った以上、否やと言える者がいるはずもなく……。

 謁見は、それで終了となったのであった。




--




「ギルモアは、おおよそよくやった、な……。

 短慮な者を派遣して、街を焼き払うようなことがなくてよかった」


 ノイテビルク城に存在する総督執務室……。

 椅子ではなく、乱雑に書類が散らばった執務机の上へどかりと座り込みながら、ワムは開口一番にそう言い放った。


迂闊(うかつ)な人選をしていれば、交通の要衝が巨大な焼け跡へ変じていたかもしれませんね……。

 ギルモア殿には、貧乏くじを引かせた形になりますが」


「まあ、あたしとの婚姻を企んでいた節もあるし、いい薬になっただろう。

 どのみち、誰かに引かせねばならなかった貧乏くじだ」


 腹心たる肌黒のエルフ……ヨナの言葉にうなずきながら、片手で髪をもてあそぶ。


「まあ、想像以上の貧乏ぶりではあったが、な……」


「賊とこちらとでは、勝利条件が明らかに異なる……。

 姫様の懸念(けねん)が、当たった形になりますね」


「うむ……」


 あの夜……。

 私室にて盤上遊戯に興じながら語った言葉を、思い返す。


「やはり、奴らが仕掛けているのは尋常な戦いではないのだ。

 それを望んでいる……望まざるを得ないこちらとでは、取り口が噛み合わずいたずらに損害のみを増やすことになる……」


「姫様は、次に賊がどんな手を打ってくると思われますか?」


「そうさなあ……」


 髪からあごへと手を移し、しばし考え込んだ(のち)にこう答える。


「ノウミへそうしたのと同じように、各地の拠点を襲撃し物資を強奪する。

 それが最も有効で効率的な、嫌がらせのやり方だ。

 ……一応、考え得る各拠点へ伝令を出しておこう。

 間に合わぬかもしれないが、な……」


 そこまで言った後、ふと思い出したようにこう付け足した。


「それにしても、獣人たちは撤退する魔法騎士の馬を徹底的に狙ったと言っていたが……」


 帰還した軍の騎馬が極端に減っていたのは、それが原因である。

 駆け抜ける馬は的としても大きく、鞍上(あんじょう)と地上との高度差は、落下による負傷を狙うには十分なものだ。


 まして、全力で駆けている馬から投げ出されれば、その危険性は言うまでもないものであり……。

 街中を駆け抜け脱出を試みる魔法騎士の多くがこれで負傷し、中には命を落とす者も存在したのである。


「今は、戦術的にもそれをやられている気分だな」


「獣人たちのことわざには、『将を射んと欲すればまず馬を射よ』というものがあるそうです」


「ふ……古人は上手いことを言うものだ」


 薄い笑みすら浮かべてそう言ったのは、この先に生じる未来が垣間(かいま)見えていたからだ。

 そして、ワムの予想通り……。

 将を射んと欲する者たちは、馬を射続けてきたのである。

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