ウルカの決意
――ラトラ獣人国。
かつてファイン皇国と同様、『死の大地』を挟むロンバルド王国の隣国だった国である。
国土の東側が海岸に面しており、サムライやカタナといった独自の文化を育んでいたかの国は、その名の通り獣人たちによって構成されていたのが特徴だ。
それが、隣国たるファイン皇国に攻め滅ぼされたのがおよそ十年前……。
今代ファイン皇帝の野心たるやすさまじく、他の周辺国と同様、ひと息に蹂躙された形である。
その後、ファイン皇国がとった占領政策たるや、これは、
――苛烈。
……の、ひと言であったという。
獣人たちにとって、誇りそのものであったカタナは、廃刀令なる政策によって根こそぎ奪われ、破棄され……。
王城はもとより、各地の寺社に至るまでもが焼き払われた……。
獣人たちは、徹底的に皇国民の下人……あるいは奴隷として扱われ、これまで培ってきた独自の文化は、些末な調味料に至るまでも製造を禁止され、存在そのものを抹消されつつある……。
それが敗戦から今日に至るまでの、獣人国苦渋の歴史なのだそうだ。
「……当然ながら、皇国は獣人国王族のことごとくを処刑いたしました」
「では、ウルカ殿がこうしてここに生きておられるのは?」
俺の言葉に、ウルカ殿へ代わってバンホーが答える。
「……影武者を用い、逃げ延びたのです。
当時のウルカ様はまだ幼く、顔立ちを知る者も少なかったので、皇国も騙されたようですな」
なるほど、今のウルカ殿を見れば、敗戦当時はまだ三つか四つの幼子に過ぎない。
当然ながら、表舞台に立つ機会などあるはずもなく、影武者を使えば逃げ延びることも不可能ではなかったはずだ。
……とはいえ、それで完全に騙しおおせられるほど、皇国もバカではなかったということだろう。
「しかし、察するところ……その生存と所在を、最近になって知られるところになったと?」
「その通りです」
表情は、あくまでも涼やかに……。
しかし、その胸中では何を思っているのか……。
ウルカ殿が、俺の言葉を首肯した。
「あ奴らが!
……忍び共が、かつての恩義を忘れさえしなければ!」
――ドン!
……と、自分のひざを叩きながら、バンホーが苦々しい表情を浮かべる。
……なるほど。
彼らの潜伏生活がどのようなものであったかは知るよしもないが、それがバレた理由の一端に関しては垣間見えた気がする。
しかしなあ、爺さん?
それで、そのシノビって人らを恨むのは、少しばかり酷ってもんだと思うぞ?
「バンホー、彼らを恨んではなりません」
と、そこで口を挟んだのがウルカ殿であった。
その言葉に、俺は少しばかり感心して耳を傾ける。
「忍びの者たちも、この状況下で生き残るのに必死なのです。
長年培ってきた技を活かし、一党を食べ続けさせるならば、皇国に飼われる選択をするのは必定。
そもそも、この十年間わたしが彼らに何をできたというのです?
主従の縁は切れていると彼らが判断したところで、これを不義理とそしることはまかりなりません」
「ほう……」
ウルカ殿の瞳を見れば、確かに怨恨の色はなく……。
この言葉が心からのものであり、冷静に自分の現状をかんがみてのものであると察せられた。
これはどうして、大したものだ。
獣人国においてどうなのかは知らぬが、少なくともロンバルド王国における貴族らは、忠誠というものが与えられて当然と考える者が少なくない。
御恩あってこその、奉公……。
それは当然の理であり、実際、与えるものを与えなかった結果、牙を剥かれ滅ぼされた例など枚挙にいとまがない。
書を開けば簡単に分かるその事実を解せず、特権というものが生まれもって得られる物だと、考える者が後を絶たないのだ。
だが、この少女は……ウルカ殿は違うらしい。
もしかしたら、過酷な潜伏生活が彼女にかような価値観を育ませたのかもしれなかった。
「ですが、ウルカ様こそが最後の希望……!
御身をどこまでも守り抜き、祖国を再興させる……!
それこそが、亡き先王にお引き立て頂いた家臣の務めというものでございます!」
しかし、バンホーの意見は違うようだ。
いや、彼ばかりではない……。
あぐらをかき、酒と料理を楽しんでいたはずのサムライたちがいつの間にかその視線を少女に注ぎ込み、深くうなずいていたのである。
その忠義たるや、見事と言う他にない。
面識はないが、ウルカ殿のお父君がよほどの人物であった証拠であろう。
だが、な……。
ウルカ殿がしばし瞑目し……。
そのスキに、バンホーが俺へと目線を向けた。
「アスル殿!
我らの事情は、今お話しした通り!
勝手な願いであることは、重々承知……!
どうか、あなた様が発見したという超古代の遺物が力……!
それを用いて、我らが祖国再興を――」
「――バンホー」
静かに……。
しかし、きっぱりと。
ウルカ殿が、忠臣の言葉をさえぎる。
目を見開いたウルカ殿に、年頃の少女らしい頼りなさは全くなく、それはまぎれもなく指導者の顔であった。
……王の、顔だ。
なるほど、この少女は年若くとも……国を奪われようとも……まぎれもなく獣人国最後の王族であるのだ。
「無理なことを言ってはなりません」
「ですが、ウルカ様!」
「わたしに、二度同じことを言わせるのですか?」
「ぐむ……」
こう言われては、是非もない。
まるで互いの年齢が逆転したように、バンホーは押し黙ることとなった。
「アスル様の事情を聞けば、この方が何を目指しているのかは自明の理……。
アスル様、ずばりお聞きします。
……あなたが目指しているのは、独立勢力としての台頭ですね?」
「……いかにも」
想像以上に、聡い少女だ。
俺の考えていることは全て見透かされているらしく、これにはうなずく他にない。
だが、打てば響くようなこの感覚は……なかなかどうして、悪いものではなかった。
「ならば、先ほどバンホーが申した言葉を撤回してお願いしたき儀がございます」
「お聞きしよう」
俺がそう言うと、ウルカ殿は手にした杯をバンホーに預け……しずしずとこちらへ向き直る。
そして、敷き物の上に両手の指をつき……深々とその頭を下げたのであった。
「獣人国最後の王族とその一団としてではなく、ただのはぐれ者として……。
どうか、あなた様が興す勢力の一員としてお加えください。
祖国の再興などは、望みませぬ……。
また、この身をいかようにしてくださってもかまいません……。
下女、下人としてお使いいただければ結構です……」
「――ウルカ様!」
「――それは!?」
バンホーのみならず、他のサムライたちも膝立ちとなりいきり立つ。
「ふむ……」
俺はといえば、あごをさすりながら考え込むふりをしていたが……。
実のところ、すでに返答は決めていたのであった。