盤面動きて
ニンジンにも似た色合いのスープは、眼前に供された瞬間から濃密なエビの香気を漂わせており、否が応でも食への期待感を高めてくれる。
これを匙ですくい、口の中に放り込めば……おお……。
漂う香気通りに濃厚なエビの味わいは、しかし、甲殻類特有の臭みというものを一切感じさせず、ただそのうま味だけを余すことなく抽出することに成功したのだと知れた。
しかも、このスープには現状貴重なクリームをふんだんに使用しており、それがエビの強烈なうま味を受け止め、のみならず、まろやかさを与えてくれている。
「美味い、な……」
「ええ、とっても……」
「獣人国の汁物とはまた趣が異なりますが、いやはや、これを食せたのは生きてきた甲斐がございます」
『マミヤ』内の食堂……。
俺と共にテーブルを囲んだウルカとバンホーも、満足気な溜め息を漏らしながらこの一杯を賞賛した。
「こいつは、ビスクっていうスープでな。
王宮時代から、クッキングモヒカンが得意にしていた料理だ。
今回は、無理を言って久しぶりに作ってもらった」
「王宮時代からの……。
さぞかし、手間暇がかかっているのでしょうね」
「なんでも、朝方に仕込み始めて完成するのは夕方らしい。
作る最中、それなりに名の知れたブランデーを混ぜ込んだりなんだりと、色々な工夫を凝らしているんだそうだ」
「美味というものは、お金か手間かどちらかをかけねば生み出せぬもの……。
その両方を惜しみなくかけたこの一皿は、料理の形をした至宝なのですね」
俺とウルカが仲良く歓談する中、あえてかちゃりと音を立て、バンホーが匙を置く。
「それで……ウルカ様と拙者のみをここに呼び寄せたのは、このスープが関係あるのですかな?」
ツンデレ系バーチャル狼耳美少女ホーバンちゃんの中の人にこう言われてしまっては、仕方がない。
もう少しなごやかな時間を楽しみたかったが、重苦しい話題へ移るとしよう。
「スープそのものは関係ない、が……。
国政というものは、スープ料理に似ていると思ってな」
「国政が、ですか?」
「うん」
小首をかしげるウルカと、前に出過ぎず沈黙するバンホーに、己の考えを告げる。
「まあ、俺は料理ができる人間ではないが……。
スープ料理というものが、おおよそひどく手間のかかる代物であることは理解している。
それは、ウルカがよく作ってくれる味噌汁もそうだ。
『マミヤ』の設備で大幅に簡略化されてるけど、かつお節も昆布も、あの形へするまで本来はものすごく手間がかかるんだろう?」
「ええ、本当に……様々な手間暇をかけて、さっとダシが取れるあの形へ仕上げているのです」
「だというのに、食卓においては脇役。主菜を盛り立てるための存在だ。
必要不可欠でありながら、報われているとは言いがたい。
作る側からしたら、なかなか割に合わない話だと思わないか?」
「そこが、国政と似ていると?」
ようやく口を挟んだバンホーに、うなずく。
「まあ、俺はそういうものだと割り切っているし、人々にとってのスープを提供できる料理人になれたなら、これ以上ない名誉だと思っているがね。
ただ、中にはそういった手間暇を嫌い、結果だけを求める輩もいるものだよな?」
「……例えば?」
俺が続けるであろう単語を予期したのか、表情を硬くしながらウルカが尋ねる。
俺はそんな彼女に、仇敵の名を告げるのであった。
「……ファイン皇国、だ」
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――ファイン皇国。
ここで今一度、かの超大国についておさらいしておこう。
と、言っても、その覇権主義を警戒した父上の決断によりロンバルドとは大した国交がないため、ウルカたちから伝え聞いた話を整理したものとなるが……。
ともかく、ファイン皇国の歴史は古い。
おそらくは、ロンバルドとタメを張れるレベルだろう。
現在は、旧『死の大地』北方――つまりは正統ロンバルドの真上に一大勢力圏を築き上げているこの国であるが、何も最初からこんな超大国だったわけではない。
ほんの五十年程前まで、ファイン皇国は大陸北方におけるありきたりな国家の一つに過ぎなかったそうだ。
まあ、少しばかり軍事力に傾倒しているところはあったそうだが、ロンバルドとちがい様々な種族が国家を群立している北方においては、一般的なことであったらしい。
種族がちがえば、様々なもめ事が発生するもの……。
降りかかる火の粉を払うため……あるいは自分の方からケンカを売りに行くために、どうしても各国は軍事力に力を入れる形になってしまったのだろう。
閑話休題。
風向きが変わったのは、今代のファイン皇帝が即位してからである。
まあ、聞いた話を元に勝手ながら人物像を想像すると、だ。
今代皇帝を評するならば、
――戦の天才。
あるいは、
――極度のラッキーマン。
……こういった言葉がふさわしいだろう。
いざ戦えば連戦連勝! どう考えたってそれ勝ち目ねえだろっていう戦いにも、たまたま天候が上手く作用したりして大逆転勝利を収めてきたのだ。
国策で特徴的なのは、徹底した投資姿勢。
何に投資したのかって?
言わずもがな、軍事力だ。
一つの勝利で得られた利益を、とにかく軍備の増強に注ぎ込む。
そうして強化された軍勢をもって、また別の国を支配下に収める。
それで得た利益は、またしても軍備増強に回す。
後は、この繰り返しだ。
例えるなら、斜面で雪玉を転がすようなもので、ファイン皇国は加速度的にその国土を増していき、今では北方で並ぶ者のいない最強国家に成り上がったというわけである。
実に単純!
ちょっと聞いただけでは、上手くいくわけねえだろと思えてしまう。
それをやり遂げてしまったのが、当代のファイン皇帝というわけだ。
まあ、さすがの彼も今現在では七十を越えようかという老体……。
指導者の衰えがブレーキをかけたのか、はたまたラトラ獣人国を滅ぼし、海を手に入れたことである程度満足がいったのか……。
ただ単に、戦う相手がいなくなりつつあるというのもあるだろう。
今では、侵略路線も停滞しつつあるそうだ。
そんなファイン皇国の動きを、俺は嫁に内緒でカミヤに観察させていた。
日々の気象観測任務へ従事させるついでだ。
ウルカは己を律するため、あえてそれをしないようにしていたが……俺の立場からすれば、将来隣国となる相手の情報はできるだけ多く集めておきたかったのである。
その結果、分かったことがあった。
いや、分かったというのは少しちがうか……。
カミヤに観察を命じていたのは、そうなるだろうという予想もあったからなのだから。
俺は緊張に身を固くするウルカとバンホーに、そのことを告げる。
「かの国に、大規模な内乱の兆しがある」
祖国との緊張状態を保ちつつ、ここまでのんびりと内政に力を入れてきたわけだが……。
どうやら、盤面が大きく動き始めたらしい。




