知識の種
もしも、『マミヤ』から得られた品々の中で、最も気に入っているのは何か? と聞かれたら、俺はなんと答えるだろうか……。
――キートンたち三大人型モジュール?
……彼らには悪いが、否だ。
別に貨幣のことを根に持ってるわけじゃないよ。本当だよ。
――ブラスター兵器やライジングスーツか?
……それも、否だ。
そもそも論として、俺が超古代の遺物を探し求めたのは、圧倒的武力を欲したからではない。
――なら『マミヤ』そのものか?
……これはちょっと、ずるい質問の仕方になるな。
だが、もしもそう聞かれたとして、俺は迷うことなく否と答えるだろう。
『マミヤ』は、確かにすごい。
筆舌に尽くしがたいとはまさにこのことで、この船のすごさについて語ろうとしたら、俺ごときでは手持ちの語彙全てを費やしても足りないだろう。
だが、そこから得られた品々の中には、そんな『マミヤ』そのものよりも貴く、価値のある至宝が眠っていたのだ。
それこそ、俺がたった今使用しているゴーグル型デバイス――スクールグラスであった。
一見すれば、分厚いサングラスのようにも見えるこれであるが……その実態は、大きく異なる。
まず、ゴーグル状でありながら、これが作用するのは視覚ではない。
強いて言うならば脳そのものであり、五感そのものである。
これを装着し、起動するとあら不思議! 周囲が超古代文明で使われていたという教室の風景に早変わりし、そこで授業を受けることが可能となるのだ。
もちろん、実際に周囲の空間が変容しているわけではなく、これは使用者の脳がそう錯覚させられている……夢を見ているような状態であるらしい。
そんな夢の世界で、使用者はデバイスが生み出した教育者から、一対一で懇切丁寧な授業を受けることができる。
いや、学べるのは座学のみではない……。
教育者のアバターや周囲のシチュエーションは自由自在であり、実に様々なプログラムが選択可能なのだ。
――種々様々な乗り物の操縦。
――各種工業製品の組み立て実習。
――かつての時代に存在したという芸事の実演。
……その他、枚挙に暇がない。
脳に直接作用するという装置の仕組み上、現代を生きる俺たちの言語や教育水準、風俗に合わせた調整に難航していたが、ついに『マミヤ』のマザーコンピュータがそれを終え、いざ実験の運びとなったのがつい最近のことである。
俺が熱を入れたのは、他でもない……数学だ。
――これからの時代は、高度な算術と筆の扱いこそ万人が身を立てる手段となります。
亡き先生の教えに感化され、王宮時代は王国最先端のそれを学び尽くしたものだが……。
超古代の基準に照らし合わせると、せいぜいが十代半ばに修める水準のものに過ぎなかったと知った時は正直、衝撃を受けたね。
だが、今の俺はちがう!
『おめでとうございます! これでハイスクール卒業レベルの数学を修めました!
驚くべき習得速度です! さすがはマスターですね!』
黒板の前に立ったビルク先生が、俺のことをそう褒め称えてくれる。
……うん、それが一番身が入るからとイヴに頼んでそっくりなアバターを作ってもらったんだが、口調とハイテンションさと、ことあるごとに俺をよいしょするところは要調整だな。
先生はそんなこと言わない。
と、周囲の風景が揺らぎ急速に意識が現実へ引き戻される。
スクールグラスが、俺へ呼びかける者の存在を検知したのだ。
「なーなー、アスル! アスルってば!」
旧隠れ里……名称思案中の王都に存在する田園地帯で、ビーチチェアに揺られながら授業を受けていた俺を呼び戻したのは、果たしてエルフの少女であった。
現実に引き戻されると、秋を迎えつつある風が頬を撫でて心地良いな。
「どうした、エンテ?」
実際の夢とこのマシンとで大きく異なるのは、目覚めた時特有の気だるさを一切感じないことだろう。
俺はきっぱりはっきりとした意識で、ウルカたちのそれより、やや布地が少ない女性用制服に身を包んだエンテへたずねた。
「もー! あーきーたー!
ずっと狭苦しい部屋で勉強、勉強、また勉強とか、気がめいっちゃうよ!」
ぶんぶんと腕を振り回しながらそう言う、エンテである。
袖なし制服に身を包んだ彼女がそうすると、いつも以上に男児然として感じられそうなものだが……最近のエンテには年頃の少女らしいやわらかさも備わってきつつあり、そのような印象は抱かない。
ただ、かわいらしいだけだ。ウルカたちの影響を受けたのだろう。
「お前がそう言うから、こうやって屋外学習にしたんじゃないか」
そんな彼女に苦笑を向けながら、周囲を見やる。
周囲では、俺と同じようにビーチチェアに寝そべったエルフ女子たちが、スクールグラスを使用して夢の世界に旅立っていた。
「体は外にあっても、あっち側じゃ何も変わらないじゃん!」
「ほう、そのことに気づくとはな。感心したぞ」
「……ぜってー嘘だろ。
なあなあ、いずれは旧王国と戦になるんだろ?
今、最優先するべきなのは戦闘訓練じゃないのかよ? こう、ライフルの射撃訓練とかさ!」
「エンテ、それはちがう」
ライフル撃ちたいだけだろう少女に、まじめな顔をしてそう告げる。
「オーガがいる以上――じゃなかった、『マミヤ』の技術があり、今回は辺境伯の兵も使える以上、俺たちに戦術的な敗北はありえない。
よって、今、最優先するべきは学びを得ることだ。
『マミヤ』の……先人の残した知見を、余すことなく受け継ぐためにな」
あとお前の親父が心配するからだ、とは言わないでおいてやろう。
「むー……。
でもよ、今でも問題なく『マミヤ』の技術は使えてるじゃんか?
わざわざ、勉強漬けになる必要はないだろ?」
「大ありだ。
原理も何も理解せずそれを使うのと、知った上で扱うのとでは意味合いが全く異なる。
エンテ、人工大河大工事で、なぜ俺がわざわざキートンだけに任せず多くの人間を雇用したか分かるか?」
「キートンが大変だからじゃないか?」
「いや、正直な話、奴からすれば自分一人でやった方がよほどはかどるし、さっさと片づけられるだろうさ。
そこをわざわざ、何年もかけて工事するのはいくつか理由がある」
俺は指を振りながら、いずれエルフを導くことになる少女へ、上に立つ者としての考え方を示してやることにした。
「一つは、冷害で失われた雇用などの創出。
一つは、正統ロンバルドの通貨を流通させるため。
そして、何より大きいのは……『マミヤ』の道具に習熟した人間を少しでも多く生み出すためだ」
「そうすることで、いずれは馬とかに取って代わって車が行き交う世界にするってことか?」
「そういうことだ。
あれらは便利だが、危ない。
種もみを増やすように、扱える人間を少しずつ増やそうという考えなわけだ。
そして、今こうしてやってるお勉強も、それに通じる」
「俺たちが種もみだってのか?」
「そう、やがて知識の大樹となる、偉大な種だ……。
俺はな、エンテ。
お前たちがうらやましいんだ」
俺がじっと見つめてやると、何やらエンテは顔を赤く染めてそっぽを向く。
普段、褒められ慣れてないので照れているのだろう。
「俺たち人間とちがい、エルフには長い長い時間がある。
俺では学びつくせない知識を、学び、次代に伝えていくことができる。
お前たちにしか頼めない仕事なんだ」
まあ、あんまり同じ人物たちばかりが長く教育に携わると、教育思想などの偏りにつながりかねないのだが……。
それこそ、先々の世代が考えるべき課題だろう。
「だから、頼むよ。
学びを得て、それを先の世代へ伝えていってくれ」
ビーチチェアから立ち上がり、エンテの頭にぽんと手を置く。
そのまま、わしわしと撫でてやったのだが……。
「だー! もう! 子供扱いするなよな!」
真っ赤になった彼女に、すぐ振りほどかれてしまった。
「まー、そこまで言うならやってやるけどさ……。
アスルも、もっとこう……学べよな!」
「もちろんだ。
俺もこういうのは好きだからな。
亡き先生がそうしたように、生涯の全て……とはいかずとも多くを学びに当てるつもりだ」
「もー! そういうことじゃないって!」
じゃあ、どういうことなんだ?
と、問いかけたかったが、エンテはずんずんと自分のチェアに戻りまたスクールグラスを装着してしまった。
「まあ、世の中は分からないことが多少あるくらいでちょうどいいよな……」
俺はそうつぶやいて、もうひと勉強することにしたのである。




