王妃
撤収はつつがなく行われた。
兄上率いる王宮騎士団は、依然として大聖堂周辺に布陣しこちらを睨み据えていたが……。
そこから矢や魔術が飛んでくることはなく、俺たちは無事『マミヤ』に帰投することがかなったのである。
まあ、これに関しては目論見通りだ。
よい子はもう寝る時間のため放送は終えているが、その気になればこちらがいつでも再開できることは自明の理……。
父上たちは、神聖なる大聖堂の門前で争いごとを起こし、それが王国中に放送される愚を避けたのである。
……まあ、殿として地上に残り続け、最後は純然たる跳躍力で『マミヤ』に帰還したオーガにびびり倒した可能性もなくはないが。
騎士たちよ、「ケイラー様ならやれる!」とか「今こそ王国一の武人が誰か知らしめるべきでは?」とか、無責任なことを言うのはやめるんだ。無理なもんは無理だから。
顔見るのは決着の時と決めてるからそっちは見なかったけど、兄上多分必死にオーガから視線を逸らしていたぞ。きっと。
ともあれ、無事に全員収容した『マミヤ』を来た時と同様、ゆるりゆるりと進ませて王都上空から退散する。
自力でタイキケン? というのを離脱することすら可能な『マミヤ』からすれば、亀の子みたいな歩みではあるが……これには立派な狙いがあった。
一つは、こちらの足について誤認させること。
まあ、いつまでも王都周辺に居ても仕方がないため最終的にはそれなりの速度を出させるのだが、それは風を受けた帆船が海へ進み出す時のように、徐々に徐々に加速してのものである。
それが意味を持つ日が来るかは分からないが、こちらの戦力を誤認させるに越したことはないというわけだ。
正直なところを言えば、地上降下チームにブラスターライフルを持たせるのも嫌だったのである。まあ、彼らの命には代えられないのでこれは致し方ないが。
もう一つは、威風堂々とした様を王都の民に見せつけるためだ。
兵というものは足が早ければ早いほど良い……とは、地上のケイラー兄上が俺に教えてくれた真理であるが、何事も時と場合と状況というものがある。
形式的にも程があるとはいえ、仮にも王となった者がそそくさと立ち去ってしまっては、ありがたみもへったくれもなかろう。
そんなわけで、たっぷり時間をかけて『死の大地』へ……いや、正統ロンバルドの名もなき王都へ帰還した頃には、『マミヤ』の時計で深夜零時を回っていた。
誰もがすっかり疲れたし、今日は解散して寝るか?
……などと、問うようなことはしない。
俺を筆頭に全員が高揚しきっており、これを発散しないことには眠ることなどかなわないと分かり切っていたのだ。
では、発散するためにどうするのかって?
そんなのは、人類が生まれたその日から決まっていた。
……そう。
――宴の始まりだ!
月明かりが照らす中、キートンの手によりすっかり緑豊かな大地と化したそこへ全員で宴会の準備を始める。
隠れ里あらため名前募集中の王都に残した人員はいないのだから、そのまま『マミヤ』内部で始めてもよかったのだが……。
こう、『マミヤ』の内装って味も素っ気もないというか、趣きに欠けるんだよね。
プロジェクターを使えば見た目だけはどうにかできるが、やはり本物の月と星の美しさには到底及ばないのである。
「カンパーイ!」
このような時、長々とした前口上を述べるなど興ざめでしかない。
よって、俺はただそのひと言だけに万感の想いを込め……手にしたグラスを掲げた。
――カンパーイ!
全ての人員に加え、今回出番のなかったカミヤ、キートン、トクも超特大の鉄ジョッキを掲げながら一斉に唱和する。
食事を必要としない彼らであり、廃材で適当にでっち上げたその中身は当然ながら空であるが、何事も気分は大事ということだ。
ロボット三大原則とやらで、人同士の争いごとには一切関与できない彼らであるが、緑地化や海洋開発、気象観測など大きな視点で見ればその貢献は計り知れない。
今後とも我が最大戦力として……そして、かけがえのない仲間として大いに活躍してもらいたいところである。
乾杯の音頭を取った後は、ウルカを伴って各員が散らばったテーブルを回っていく。
野外に設置された無数の折り畳み式テーブルには、『マミヤ』の航行中にウルカやクッキングモヒカンが筆頭となって調理した数々の料理が並んでいた。
これらは全て、旧隠れ里の畑でとれた農作物や、海中基地で得られた魚介類……そして、エルフ自治区で育ててもらった鶏を材料とした品々である。
言わば、これまで苦労してきた結晶……。
これを、やはり自分たちで醸造した米の酒で流し込むのだから、たまらない。
皆が皆、笑顔であった。
まあ、エンテだけは飲もうとした酒をお付きのエルフ少女たちに取り上げられてぶーたれていたが、お前はまだ酒を飲むには早い。
酒を飲んでいないと言えばもう一人、オーガもイヴ特製の怪しいドリンクをジョッキで飲んでいたが、君それ飲んで本当によく無事でいられるね?
イヴ自身の髪もかくやという極彩色な上に、なぜか発光していて常温なのに泡立っており、しかも「……スケテ……スケテ……」という不気味な音声すら放ってくるんだけど。それ。
うん、イヴ共々勧めてくるのはやめて。即位初日に崩御しちゃう。
まあ、どんな品であれ、美味しく楽しめてるならイイことだ。うん。
「いいもんだな……こういうの」
声がけも一通り終わり、ウルカを伴って適当な位置に落ち着く。
場を仕切る者の宿命ではあるが、料理も酒もろくに口にはできておらず、いい加減に俺自身も腹ペコだった。
「お疲れ様でございます」
そんな俺を見て、ウルカがグラスに酒を注ぎ、適当な料理をみつくろってプラ皿に盛り合わせてくれる。
「ありがとう……済まないな。君もお腹が減ってるだろうに」
「それが、妻の役割ですから」
最近、彼女は妻とか夫という単語を口にする時、照れが出なくなってきた。
俺自身もそうなっているのを自覚できており、どうやら夫婦として少しは前進できているらしい。
「ようやく、ここまでこれたな……」
楽しむ一同を見やりながら、ぼそりとそう口にする。
「長かったようでもあり、あっという間のようでもありますね……」
『マミヤ』を発見したその日に出会い、求婚し、結婚した我が妻も遠くを見るようにしながらうなずいた。
キツネを思わせる獣耳をぴょこぴょこと動かす仕草は、彼女が深い思慮を巡らしている時のサインだ。
「でも、ここからが大変だ。
今回、情報がとっちらかるのを避けるため獣人勢にはあえて特徴を隠してもらったが、その存在や君との婚姻についてもおいおい発表していかなきゃいけないしな」
そこまで告げて、あらためて彼女を見やる。
銀色の髪や、腰から伸びた同色の尾を夜風になびかせるその姿は、年齢にそぐわぬ幻想的な美しさだった。
「そして、そういったことを積み重ねていくことが、君の大望……故郷の獣人たちを救うことにつながると俺は確信している。
なんて、こんな言い方をすると取り引きじみてしまうな」
苦笑しながらそう言うと、彼女もくすりとほほ笑んでくれる。
「だからというわけじゃないが、どうか、これからも俺の隣でこの重さを分かち合ってほしい」
「……はい」
グラスとプラ皿をテーブルに置き、そっと差し出した俺の手を、ウルカは……正統ロンバルド王妃はそっと握ってくれたのであった。




