コーヒーは1000円だが、俺の頼んだラーメンとチャーハンと餃子が合わせて300円なので許さざるを得ない。
後乗せの具が冷えてると悲しくなります。
(´・ω・`)
大衆食堂弁天──工業地帯の近くに店を構え、頑固一徹のオヤジがラーメン一筋で切り盛りしてきた店があった。近年では近くにショッピングモールが建ち、客足が遠退きつつあるが、それでもオヤジの店には、今日も汗と油に汚れた男達が腹を満たしにやってくるのである。
「へい! ラーメン二丁!!」
「は~い♪」
頑固オヤジの威勢の良い掛け声に、甲高い可愛げのある女性の声が応えた。
「ら~めん、ふ た つ ♡ おまたせ~♪」
ウインクと投げキッスのトッピング無料を武器に、給仕を担うバイトの愛ちゃんは、店を縦横無尽に駆け巡っていた。
「ラーメン一つ!」
「ラーメン二つ!」
「こっちは四つ下さい!!」
「十個! 十個!!」
「オヤジさーん。ラーメンいっぱいね~!」
「……確かに服装自由だって言ったけどよぉ」
オヤジが客席に目をやると、そこには普段居る工業地帯の汚れた作業着は一つも見当たらず、代わりに痩せ干せた眼鏡と胡散臭い金髪の優男達とメイド服に目を包む愛ちゃんが元気に愛想を振り撒いていた。
「これも時代の変化ってやつかねぇ……」
オヤジがしみじみ、ラーメンの湯切りをすると、出来たてのラーメンを求め、愛ちゃんがお盆をクルクルと回して待っている。
「ねぇねぇ、オヤジさん」
「なんだい?」
「お客さんがチャーハンと餃子も食べたいってさ」
「……ねぇよ。ウチはラーメンだけだ」
「でも、昔はあったんでしょ?」
「昔はな」
「どうして止めちゃったの?」
「……自分の味に納得出来なかったからだ」
「それでも良いから、オヤジさんのチャーハンと餃子、食べたいなぁって……ね?」
「どっちにせよ、材料がねぇよ……」
オヤジが少しさみしそうに、ラーメンを湯切ると、愛ちゃんは小さなゴムのアヒルをラーメンに浮かべ、お盆へと乗せた。
「なに乗せとるんじゃワレェ!?!?」
オヤジが我が目を疑うように、ラーメンの泉に浮かぶ小さなアヒルを指差した。しかし愛ちゃんはいたって真面目に「え? アヒルちゃんだよ?」とだけ答え、さっさとテーブル席へと運んでしまった。
「はい♪ らぁめん♡」
ラーメンが運ばれた眼鏡の男は、モジモジとしながらも照れながら笑い、箸でアヒルを突いて喜んでいる。
(アレで良いんか!?!?!?!?)
オヤジが不満げな顔で他の席を覗くと、店に仕入れた覚えのないコーヒーカップが所々に置いてあった。
「愛ちゃん? アレはなんだい?」
「えっ? コーヒー。もしかして……オヤジさんコーヒー知らない?」
「知っとるわい!!!!」
「そう、良かった♪」
屈託のない笑顔で微笑まれると、どうしてかオヤジは本気で怒るに怒れないのであった。
「どうしてコーヒーがウチにあるんじゃい!!」
激しく歯軋りをしながら愛ちゃんに詰め寄ると、愛ちゃんは冷蔵庫を開けて隅っこを指差した。そこには圧倒的値引率を誇る近所のスーパー『やけくそ』のシールが貼られてある缶コーヒーがずらりと並んであり、愛ちゃんが一つをオヤジに手渡した。
──カコッ
プルタブを開けてコーヒーをすすると、オヤジの口の中には当たり障りのないコーヒー(微糖)が流れ着いた。
「普通のコーヒーじゃねぇか……それをおめぇ勝手に売りやがって……!」
ラーメン一筋でやってきたオヤジの拘りに、突如割り込むやけくそコーヒー。今にもブチ切れそうな青筋を、オヤジは今暫くの気合いの我慢で、拳を握りしめた。
「でも、評判良いよ?」
「幾らだ……!?」
「一本5円で買って、それを千円で売ってるよ♡」
オヤジの威勢の良い「はぁぁぁぁ!?!?!?」が店内に響き、ありがたくコーヒーをすする客達が不思議そうに、チラリと厨房へと目をやった。
「おまっ……!! おまぁぁ!?」
オヤジが焦りながらレジの中を開けると、そこには今まで見たことの無い程の売り上げ金がねじ込まれており、開けたレジが閉まらなくなるほどであった。
「なんてこったい……!!」
オヤジが膝から崩れ落ちた。今まで培ってきた味、やり方、その全てが入って間もないバイトの荒唐無稽な破天荒に、覆されてしまったのだ……その落胆ぶりは、若かりし頃にうっかり仕込みのスープを引っくり返してしまった時よりも大きかった。
「俺の……俺のやり方はもう古いのか…………?」
オヤジが両の手を地に着く最中にも、コーヒーのおかわりが飛び交う。そして愛ちゃんは忙しそうにコーヒーを運び、投げキッスマシマシでサービスを振り撒いていた。
「…………」
その日、オヤジは早めに店を閉め、眠りに就いた。
──翌日、オヤジは早めに店へと出向き、炒飯と餃子を二十年ぶりに作った。味が昔と変わらぬままだった事に少しだけ複雑な思いがしたが、愛ちゃんがつまみ食いをして「美味しいよ♪」と笑顔で微笑んだので、悪い気がしないオヤジであった。
「どうせなら餃子とセットにしようよ! ラーメン炒飯餃子セット!」
「お、おう……」
久々の炒飯と餃子に不安を隠せずにいるオヤジであったが、店を開け、愛ちゃん目当ての客達が雪崩のように店内へと押し寄せた。
「ラーメン一つ! それとコーヒー!」
「餃子と炒飯のセットはどうですかぁ?」
「えっ? 餃子と炒飯あったの? いくら?」
愛ちゃんがオヤジの方を向き、大きな声で「オヤジさん何円ならいいの!?」と聞くと、何やら勘違いの視線が厨房へ並々と注がれた。
「任せる……」
オヤジはその視線の大群に圧倒され、思わず隅へと逃げた。
「じゃあ! ……300円! コーヒー付きなら1300円!!」
「おい! 俺のラーメン餃子炒飯は100円かよ!!」
厨房の隅でオヤジが吠えたが、客の殆どがやけくそコーヒーを頼んでいる由々しき事態に背に腹はかえられないと、仕方なく諦めてしまった。
いくら安ラーメンセットを放出しようが、ドル箱コーヒーがある限り無敵の愛ちゃんは、その日の昼には全ての材料を使い尽くす大記録を打ち立てた。
「ラーメンセットで赤字。そしてコーヒーで大黒字……肉を切らせて骨を断つってこれの事か?」
オヤジは閉まらないレジを抱え、店の奥へと引っ込んだ。
「あ、オヤジさん! 私今日で辞めるから~」
「──は!?」
素っ頓狂な返事がオヤジの口から飛び出した。札を数える為に舐めた指先が乾きだしたが、それよりもオヤジの脳裏には明日からどうするかしか無かった。
「おい! 愛ちゃんが居なかったらこの店は……!!」
「大丈夫だよ。今日のお客さん、皆何も言わずにラーメンセット食べてたから。値段は高くなっても、きっとオヤジさんの腕なら大丈夫だよ♪」
「愛ちゃん……!!」
オヤジはレジからありったけの札束を握りしめ、愛ちゃんの手に握らせた。
「餞別だ。愛ちゃんのおかげで俺も成長できた……ありがとう!!」
「オヤジさんありがとぅ♪」
愛ちゃんは札束を握りしめ、自らが着ていたエプロンをオヤジに託した。愛ちゃんが店を去るとオヤジは電話を手に取り、スーパーやけくそにコーヒーを大量に発注した。
──暫くして、愛ちゃんが店に遊びに来ると、そこはゲイの溜まり場になっており、アニキやオネェ達が仲睦まじくコーヒーをすすり合っていた。
「あらぁ!? 愛ちゃん久し振りぃ♡」
「!?」
愛ちゃんが店を去った後、何をとち狂ったか、暴利を忘れられぬオヤジが始めたエプロン着用のコーヒーウインクマシマシ。その悍ましさから眼鏡君や優男達は速やかに退店を決め込み、負けず嫌いのオヤジは愛ちゃんのような可愛らしい仕草や服装、化粧までも取り入れ、何故かその道の人達からは評判となり、気が付けばすっかり夜の店の様相を呈してしまったのである。
「愛ちゃんありがとね。私、ようやく本当の自分に出会えたみたい! さ、いっぱい食べていって! 奢りよ!」
愛ちゃんは多少困惑しつつも「オヤジさんが幸せならいいや」と炒飯を大盛りで頼んだ。