正しく縁を切る方法
「神様、お願いします!」
後藤真也は一心に祈っていた。
「結城麻里佳さんと、山中悠斗の奴との縁を切ってください!」
ここはこの辺りでは有名な神社だ。縁結びにご利益があるということでお参りに来る者も多いが、実はもう一つのご利益もある。
縁切りだ。
この神社は表社と裏社に分かれていて、表社はもちろん縁結び、そして裏社には縁切りを願う者が参拝する。どちらも高いご利益があるという噂で、絵馬もたくさん下がっている。
真也が参拝しているのは、もちろん裏社の方だ。
うちの会社でも一番の美女、麻里佳。彼女にふさわしい男はこの俺しかいないのに、他社の営業の山中がちょっかいをかけているらしい。
「結城さん、これから二人でランチ食べに行かない? 先月新しく出来たカフェを見つけたんだ」
「すみません、後藤さん。山中さんにお昼誘われてて」
「結城さん、今日誕生日だったよね? これ、プレゼント……って、それは?」
「これですか? さっき山中さんにいただいたんです、誕生日プレゼントだって」
「結城さん、今人気の映画のチケットが手に入ったんだけど、一緒に観に行かない?」
「あ、それ、山中さんからも誘われてました。面白いらしいですね」
……気に食わない。
山中は大体自分が営業などで外に出ている間に麻里佳の所にやって来ているので、直接顔を合わせたことはないのだが、他の者に訊くと結構いい男だという。真也はどうにか山中を出し抜いてやろうと麻里佳に前以上にアプローチを続けていた。
山中は山中で真也を意識しているらしく、以前より麻里佳へのアタックが増えているように思う。麻里佳からは、今のところはっきりした返事をもらってはいない。いつ彼女があちらになびくかわかったものではない。
こうなれば、神に祈ってでも山中と麻里佳を別れさせるしかない。だから真也は、霊験あらたかなこの神社にお参りに来たのだ。
お賽銭もはずんで、念入りにお参りして、ダメ押しで絵馬でも書こうかと社務所に行くと、一人の巫女が声をかけて来た。
「随分熱心にお参りされてましたね。そんなに縁を切りたい方がいらっしゃるんですか?」
「い、いや、自分が切りたいんじゃないんで……」
流石に他人の縁切りをしようとしているとは言いづらい。だが、巫女は全てわかっているとばかりに、にっこりと笑った。
「大丈夫ですよ、意中の人と恋敵との縁を切りたいという方は、たくさんいらっしゃいます。……そんな方におすすめしている、取っておきの願かけのやり方があるんですけど、やってみますか?」
「や、やります!」
真也は勢い込んで答えた。この際、やれることは全部やっておきたい。
その答えを聞いて巫女はにっこり微笑み、かたわらにあった細長い和紙二枚と筆ペンを真也に差し出した。
「これに、縁を切りたいお二人の名前を書いてください」
言われるまま真也は紙に麻里佳と山中の名前を書いた。生年月日も書いた方が効果が高いそうだが、名前だけでも十分だという。麻里佳はともかく、山中の生年月日なんて知らない。名前だけにしておいた。
「書けたら、紙を撚ってこよりにしてください」
二本のこよりを、さらにつながった輪になるようにする。二つつながったこよりの輪が出来た。どちらに誰の名前を書いたか、目印をつけることも忘れないように。
「では、縁を切りたい方の名前を書いたこよりを、このハサミで切ってください」
巫女の言うには、輪=円の形を切るのは「縁を切る」に通じ、この神社で特別に祈祷した紙を使うことによって神様に縁切りの願いを届けるのだという。
真也は迷わず山中のこよりにハサミを入れた。プツリ、とわずかな手応えと共に輪が切れる。自分の手で何かを断ち切った、という感触が真也の手に残った。
「お疲れ様でした。切れたこよりはこちらで処分しておきますね。残ったこよりは、こちらの木の枝に下げてください」
見ると、木には他にもいくつものこよりの輪が下げられている。他人のものか自分のものかは知らないが、縁切りを願う者は案外多いらしい。
「こちらの御祭神様は、後腐れのない縁切りをいたします。一ヶ月もすれば、このお二人は別れることになりますよ」
巫女の言葉に、真也は何だか勇気づけられる気分になった。山中と麻里佳の縁さえ切れれば、後はこっちのものだ。
意気揚々と神社を後にする真也の後ろ姿を、巫女は意味有りげな微笑みを浮かべながら見送っていた。
☆
それから一ヶ月余り経った。
真也が目覚めたのは、付き合い始めたばかりの恋人の部屋だった。休み前だから少しはしゃぎ過ぎたかも知れない。いつもより起きる時間が遅かった。
目の前には、遅くまでいちゃついていた恋人が眠っていた。近くで見ると、本当に可愛い。出会った時から可愛くて仕方がなかったが、改めて見てもやっぱり可愛い。
「ん……何見てんの、真也」
恋人が目を覚ました。
「いや、可愛いなー、って思って」
「……バカ」
照れている姿もまた可愛い。
本当に、不思議な程に上手く行ったなと思う。この人を一目見た時から強烈な恋心を抱いて、相手も自分を好きになってくれて、互いにアプローチをかけ合った末に結ばれて。
思えば、最初から趣味は似通っていたのだから、想いが一致すればこうなるのも当たり前なのかも知れない。
「なんか、お腹すいた……」
まだ少しぼんやりしている恋人の言葉に、真也は起き上がった。案外朝が弱いのは、付き合い始めてから知ったことだった。知らないことが多いのは、これからどんどん相手のことを知れるということだ。例えば誕生日とか、故郷とか。
「俺、朝ごはん作るよ」
「そう? ありがと」
真也は恋人に微笑んだ。
「お安い御用だよ、──悠斗」
☆
「本当に、ありがとうございました」
神社の社務所で、結城麻里佳は巫女に深々と頭を下げた。
「後藤さんも山中さんも、どちらもしつこく言い寄って来ていて本当に迷惑していたんです。これで二人とも縁が切れます」
「私の力ではありません。ご祭神様のご利益です。ご祭神様は、悩める女性達の味方ですので」
巫女は厳かに言った。
「それにしても、まさかこんなに上手く行くなんて思いませんでした」
「後腐れなく縁を切る一番の方法は、相手に新しく縁を結んでしまうことですから」
巫女は懐からこよりの輪を取り出した。真也が切ったこよりだ。再び輪の形に結び直されたそれには、もう一本のこよりの輪がつながっていた。そのもう一本のこよりにはもちろん、真也の名前が書かれている。
好きでもない二人の男に言い寄られていた麻里佳は、縁切りで有名なこの神社に参拝した。その際、彼女の話を聞いた巫女に縁切りの方法を伝授されたのだった。
真也と山中、二人にさり気なく縁切り神社の噂を伝え、相手を蹴落そうと参拝に来た二人に縁切りの願かけをさせるように誘導する。
巫女は二人が切ったこよりを結び直して、互いに互いの縁がつながるようにした。これはこの神社に伝わる縁結びの方法であり、縁を切られた者同士を強力に結び付ける願かけだった。
結果はすぐに表れた。
それまで会ったことのなかった真也と山中だったが、ある日同時に麻里佳を誘おうとしてばったりと顔を合わせた。その、瞬間。二人は互いに一目惚れをして、激しい恋に落ちた。
結局二人は麻里佳のことなど忘れ、互いに夢中になった。二人は恋人同士となり、麻里佳は二人から解放された。
「当分男の人と付き合う気はありません。仕事も頑張りたいし。あの人達はあの人達で幸せになってくれればいいわ」
「もしまたお困りのことがありましたら、またお来しください。出来る限りのお力になります」
「ありがとうございます。友達で困ってる子がいたら、ここを紹介しますね」
麻里佳は颯爽と神社を後にした。美しい夕焼けが彼女を照らし出していた。社務所には巫女の姿は既になく、ただつながったこよりの輪だけが残されていた。