楽園を知らぬまま
このお話では自殺を取り扱います。
お読みになることで気分を害される方はお読みにならないことをおすすめいたします。
またこの小説は自殺をほう助、するものではありません。
その一報を聞いたとき「やっぱりか」と思ったのが正直なところだった。
私が俗にいう Fラン 大学を卒業し、在学中は友達が殆どで出来なかったためボランティアやサークルに明け暮れることもなく、物覚えが悪かったためにアルバイトも続かず、そんな私が大企業に入社できるはずも無く。幸いにも高給取りになろうなどとも思わなかった事を言い訳に「地元に貢献したい」というカビの生えた志望動機を書いた履歴書を、私を含め従業員数6人という地元の小さな会社に送り、採用され、入社してちょうど2年が経った頃の話だ。
彼は原田広司という私と同い年の、似た者同士の男だ。広司は大学の成績こそ良かったが人付き合いが苦手でアルバイトも続かなかった。彼の第一印象は変な奴だった。大学の喫煙所では高頻度で会うのだが、いつもタバコを持っていないのだ。だからいつも恵んでやっていた。そのうちに関わりを持つようになったのが大学3年の頃の話だ。私にとっても、広司にとっても唯一の友人だった。後から聞いたことだが広司は精神科に通院していた。なんでも中学時代からだそうだ。疾患としてはうつ病を患っていて、ADHDという障害も併発していた。そのため物覚えが悪かった。メモを取ろうにもメモを持ってくるのを忘れてしまったり、メモを取ったことすら忘れるといった具合で、アルバイトでは散々怒られていたらしい。ひどい時は2日でアルバイトをクビになったという話も聞いたことがある。加えて家庭の環境が悪く虐待を受けていたという生育歴を持っている。家族とは連絡を取っていないと聞いた。しかし広司はそのことを私以外に話さなかった。
広司曰く他人にこういう話をしないのは「こういう話は人に話すと嫌われるから」ということだそうだ。私にそんな事を話して私が広司を嫌うとは思わなかったのかと聞くと「私を嫌うような人には見えなかったから教えた」と言っていたことを覚えている。その根拠は「なんとなく」だった。そんなにお人好しに見えたのなら、光栄…とでも言うべきなのだろうが何故かあまり良い気はしなかった。
広司は私を信じていた。つまり私が彼を嫌うことは無いということだ。彼は中学時代から自殺願望を持っていたらしい。それについて他人に話したり相談し、幾度と無く見捨てられた経験を持っていた。広司は常に誰かからの助けを求めていることを私は心のどこかで察していた。だから、出来るだけ彼の気持ちを受け止めようと努力していた。しかし彼と知り合い2年。大学を卒業する数ヶ月前、私の気持ちがぽっつりと折れた。無限に続くとも思える彼の自殺願望を受け止め続け、私個人の力では彼の気持ちを受け止めることや、偉そうかもしれないが、救えるはずが無いということを悟った。広司から離れていった人たちもこういう気持ちだったのだろうか。
彼に事情を説明した上で連絡を断つ。彼にしてみれば見捨てられるという精神的な負荷の大きいものだったのだろう。しかし私にとっても心苦しいものであった。それは彼にとって見捨てられることだと私も分かっていたからだ。しかし、私も私が大事だった。嘘をついてもバレそうだったから彼は正直に「広司。お前の話を聞いてやることはもう出来ない。俺には荷が重い。」そう言った。卑怯なことに私は直接会わず、メールでそう伝えた。彼はあっさりと「ごめん。俺の事は忘れてくれて良い。幸せになってな。」と言った。正直な話、私の心の中では申し訳ない気持ちよりも、これからこいつの面倒な話を聞かずに済むのだという開放感が勝っていた。その後、私から連絡をすることも無かったし、彼から連絡が来ることも無かった。
そんなことがあってから2年が経った。結論から言って彼は自殺していた。彼の住んでいたアパートで異臭騒ぎあり、自殺が発覚した。アパートの一室でドアノブに紐を括り付け、自殺。死後1週間だった。一応遺書らしきものがあり、そこに私の名前と連絡先が書かれていたため警察や大家から私に連絡が来たのだ。迷惑だと思ったのが正直なところだ。花見の予定もすっ飛んでしまった。しかし同時に「やっぱりか」と思ったのだ。
身寄りのない彼の葬儀を私個人ではどうすることもできず全て役所に投げたが、遺体が部屋から運ばれてある程度清掃された後で、彼の部屋に入る機会があった。彼は昔から日記を書く習慣があったと聞いていたため日記を探すとすぐに見つかった。
それによると大学はきちんと卒業出来したが就職は決まらなかったらしい。だから大学卒業から自殺するまではアルバイトを転々としていたとのことだ。そして変わらず、友人は居なかったようだ。
日記は中学時代から今まで、数冊残っていた。私が彼と連絡を取っていた頃の日記も発見したが読むかどうか悩んだ挙げ句、残っている日記は全て読んだ。そのうち、私が彼と連絡を断つことを伝えた日に行き着いた。その日の彼の日記には「今日友人からもう連絡をしてこないでほしいという旨の事を伝えられた。みんな自分が大事だから仕方ない。また友人を失った。」と記されていた。
彼は他人の気持ちを察知するのが上手い人間だったのだった。この日以外の日記を読むと私の内面に存在していた気持ちをかなり高い精度で言い当てていた。まさか、私の頭の中が丸裸にすされているとは思わなかった。ある意味特殊能力だなとも思った。それから自殺当日も日記を書いていた。バイトの面接に落ちたと書いてあった。しかし彼にとっては面接に落ちることは日常であったらしく、残念とかそういう事は書かれていなかった。中学時代からの日記は全て目を通したが決まって毎日死にたいと書かれていた。見ていられなかった。
彼はこの世で楽園を知ることはなかった。自分を癒やしてくれるもの、楽しめるもの。そういうものを知らなかった。あれば死んでいなかったような気もするし、あっても死んでいたような気がするが、ともかくあっちで楽園を知ることは出来ていると良い。私より苦労していた彼だ。あっちでは幸せになってほしい。私は彼の自殺から程なくして、家と職場を行き来する毎日に戻った。
彼と私の何が違ったのだろうか。
お読み頂きありがとうございます。
知らず知らずのうちに我々は、自殺という非日常である事象を、日常として受け入れています。
飛び降りで電車が止まった。あそこのマンションで自殺者が出たらしい。「なんて迷惑な話だ」で済まされるものではありません。しかしそうやって自分を守ろうとするのもまた人間なのです。
我々が作り出した楽園は、誰かにとっては楽園では無いのかもしれません。