3、少年
年に一度、旧都の七日間に渡る降臨祭には多くの者が外から訪れる。来たる者たちは、老若男女、人も人外も関わらず、祭目的とはいえ細かい目的までもはまた様々である。神が降りる光景を一目見たいという者もいれば、純粋に屋台、商店を楽しみたい者、これを期に知人に会いにくる者たちなど多くある。しかし、誰にも共通する最も大きな理由として上げられることは、この七日間限り、"決して危険な目にあうことはない"ということだった。
妖怪、霊、西洋の化け物が跋扈するこの都は、普段から人間にとっては、常に警戒を怠ることができない場所だ。小物から大物まで、危害を加えようとするモノたちは必ず存在する。都は街ごとに、人怪が混じった警備の組織である奉行所を置いていたが、それでもずる賢い悪党たちを完全に廃滅する力はない。外からの来訪者など格好の餌食で、すでに都側は諦めて、彼らに護衛をつけるなどの自己防衛を呼びかけるしかなかった。
しかし、それは常日の話であり、祭日だけは特別である。それは降臨祭が、文字の通りに神々が天から降り立つという、大きな出来事だからであった。神前での悪事を働くものはいない。なぜなら神々は、絶対的な力を持つと信じられているから。過去にそういった事例があったわけではないが、降り立った御神体を目にすると自然、人やモノたちは畏怖と敬意を感じる。そうして降臨している七日間は誰もが、彼らへの感謝の心に浸るのであった。
来訪者たちは列を連ね、暗く長い回廊を歩いていた。
旧都への道であるここは、山を貫く長距離のトンネルだ。都を囲う神山の外側を中腹まで登ると、このトンネルの入り口である巨大な石門がある。それを潜り、人々は両脇に並ぶ灯篭の明かりを頼りしてに、まっすぐに進む。普段こそ通過者は少ないが、今日は祭日前日のため、常に多くの者たちがこの道を歩いていた。
長い長い回廊は歩くと三十分にもなる。獣や馬車、車などの騎乗者は通路の左に専用の道が作られていた。しかし、長い道のりに変わりはないので、どの通行者も出口付近では疲れた顔をしている。外を今か今かと待っていた者たちが、目的地で日の下に出ると、必ずどこかしらから歓声が上がる。そうして目前の大門を、目を丸くして見上げるのだ。
こうして、 来訪者たちは青門へと辿り着く。
この門は旧蒼都への四つの入り口の一つ、最東にあたるもので、門扉の青い玉などからなる装飾から、青門と呼ばれている。正式な名は蒼東門。他に蒼西門、蒼北門、蒼南門があるが、それぞれ別称で呼ばれることが多かった。
「ようこそ蒼都へ!!四門周辺の宿舎は大方すでに満杯でございます!!中央へ、都中央までどうぞお進みください!」
開かれた門前で、羽織を纏った巨大な赤鬼が通行人に言う。それに気圧されるように人々や人外たちは門扉を抜け、都へと下るのであった。
「蒼都の降臨祭へようこそお越しくださいました!!神前での無礼は働かぬよう、重々ご承知を。祭りの間、ここ蒼都では誰もが神の目下でございますゆえ」
赤鬼は流れる通行人に声を張る。
皆足早に下山する中、一人、青門の前で足を止め、街を見下ろす者がいた。黒い外套に身を包み、帽子を被った小柄な人間だ。中腹といっても、この位置はかなりの標高がある。都を一望とまではいかないが、この神山の麓に面した街々を眺めるには十分だった。
街は青を基調とした装飾で飾り付けられ、その上を羽の生えたモノたちが忙しなく飛んでいる。平地でありながらも、建物の高さのせいで、地上付近がよく見えなかった。旧都の建物はどれもが三階、四階建てで縦長のものをばかりだ。民家までもがそうであり、それらが碁盤状に隙間なく所狭しと置かれているため、まるで迷路のようになっている。
そんな様子を見て、その者は舌打ちをする。
「…ここからでは、見えんか」
そう言って、右腰にかけられた黒い筒を握る。赤い、奇妙な模様の入ったそれは、一目で太刀だとわかる。蒼都への武器の持ち込みは、護身のためもあり禁じられていない。それでもこの者の異様な佇まいや雰囲気に、不審に思わずにいられなかったのか、門番である赤鬼が声をかけた。
「そこの方、何かお探しか?都の案内なら、下山してすぐの紅い建物が、旅客の相手を主とする観光店でございますよ」
「…いや」
「ならば、お具合がよくないのでしょうか。あの回廊は閉鎖されておりますから、そういう者がよく出るのです。なんなら、街の養生所へ使い送りますが」
「いいや、ちがう。少し下の様子を見ていただけだ」
そういって帽子を目深に被り、口角を上げる。声からして、少年。背丈から見て、十四、五といったところだろうか。
「…俺は万全だとも」
カチャリ、と太刀が音を立てた。先ほどから、この少年は獲物に常に触れ続けている。訝しんだ赤鬼が、自分の半分程しかない少年に詰め寄った。他の人々に見えぬよう、表情を険しくする。
「あんた、それの使い方をくれぐれも誤るなよ。無闇に振り回すようなら、すぐにでも奉行所に突き出される。なにより、神前での悪行は神々への侮辱になる。…罰されることもあるやもしれんぞ」
都での悪事が絶えるこの時でも、意図してそれに逆らい、犯罪に走る者が出る可能性もある。奉行所は七日間とも、一応は警戒体制でいた。しかしこれまでの間、祭日中に大きな事件があった試しはない。そのため警備の人員は少なく、その者たちも祭りを楽しむことを優先していた。
「まぁ、七日間はおかしな気を起こす事もないだろうがな。ほら、感じるだろう」
そう言って、赤鬼は深呼吸してみせる。
「なんと澄んだ空気か。神々はもう、下界への道を開き始めている。そこから漏れる、神風という暖かい風が、街の穢れを拭ってしまう。邪心は消え、人も妖怪も感謝と温情の心で満たされるのだ」
周辺の木々がさわさわと揺れる。
山頂から、暖かい風が吹いた。春の気と、なにか不思議な温もりを感じるその風に、下山する人々は足を止め、天を仰いだ。木漏れ日が眩しく、皆目を細める。隙間から覗く澄んだ青空をみて、声をあげた。なんと、神が出迎えてくださっている、そう言って人々は、嬉々とした顔で街へと降りていった。回廊から青門に出たいる者たちも、風にあたると、自然と疲れた顔を緩ませて笑いあった。この下が蒼都、神々の都か、と。
人々の様子を見て、誇らしげに頷く赤鬼を横目に、少年はため息を吐く。
「わかってる。ここに神が降りることが事実であるのは重々承知だ」
「ならば、くれぐれも」
言いかけた赤鬼に、少年は不敵に笑った。
「悪事はしないとも。だが、これを使いはするだろな」
太刀を撫で、門から踏み出す。
背後で赤鬼が再度忠告しようとするのを、手を上げてとどめ、言葉を投げる。
「俺がこれを振るう時、神々だって認めるはずだ。それが善の刃である、と」