きみと見る空の色
何度だって、あなたに好きだと言うわ。
どんなことが待っているかわからない、そんな未来よりも、わたしは全力疾走で毎日を駆けている、そんな今を輝くこの瞬間が好き。
今日は今日。明日は明日。何が起こるかわからない。
それなら今だってこれからだって、ずっと、いちばんいいと思ったように生きたほうが素敵にきまってる。
わたし、桃倉小春はいつどんなときだって、真剣に後悔のないように生きたいと思っている。あの時こうしておけばよかったなどと言って、後悔しないように。今をしっかり笑っていられるように。
だから今日も、いつものように図書館のはしっこにみえる大好きな背中にしがみついた。
「白ちゃーん!なぁーに読んでるのぉー?」
「も、桃倉・・・」
今日もいつもとおなじく最高で最強といわんばかりの美声で、わたしの大好きな王子様、秋月白夜はわたしの名を呼んだ。ときめかずしてはいられない鋭い視線をわたしにむけて。
「おい、いつもいつもいい加減にしろ・・・」
「白ちゃん、放課後、お茶でもしてかない?」
「してかない。てか俺のはなし、きいてる?」
「ききたくないよ。白ちゃん、いつも断るんだもん」
「あのなぁ・・・」
眉間にしわを寄せて白ちゃんは溜息をつく。
これもいつものこと。
毎日のようにみているから、もう慣れっこだ。
「今日、美術部もお休みでしょ。三時半に教室に迎えに行くね」
わたしはひかない。
そっちがその気なら、私だってその気にできるまでは絶対ひかない。
ここであきらめるはずがない。でも・・・
「お、おい。桃倉・・・」
迷惑そうな白ちゃんの表情に胸がいたむ。
だけど、『一日一日を大切にしたい!』これがわたしのモットー。
いくら傷ついたって気にしない。
だって、今日という日は戻らないのだから。わたしは自分が納得いくまで必死でかれをおい続ける。白ちゃんに一目惚れした、あの日から。ずっと。
そしてこれからも。そう、時が許すかぎり。
「ねぇ、白ちゃぁ~ん・・・」
きっと、白ちゃんは断れない。わたしはそれを知っている。
どれだけ迷惑そうにしていたって、けっきょく白ちゃんは優しいから、わたしのわがままに付き合ってくれる。
「なぁ、なんでそんなに俺にこだわるわけ?桃倉にならもっといいヤツ、いっぱいいるだろ。結構モテてるって聞くぞ?」
めんどうくさそうに白ちゃんはあたまをかく。
「は、白ちゃん、気にしてくれてるの?」
「い、いや、だから・・・」
「わたしは白ちゃんが一番好きだから、ほかに興味はないの。白ちゃんだけでいいの!」
バカなことだってわかってる。いつも白ちゃんを困らせてはへらへら笑ってみせる。でもこれがわたし。こうして自分に正直に生きていきたい。
これが、わたしがえらんだ生き方。
「いつまでこんなこと、繰り返すつもりだ」
今にも消えそうな声だった。
それでもたしかに、白ちゃんはそう呟いた気がした。
何度も何度も断っても断ってもしつこくついてくる人間が迷惑なんだろうな。
そんなことは、わたしでもわかる。でも・・・
「さてと、わたしは教室に戻るよ。また放課後ね」
いつもの必死のつくり笑顔を作る。
かなり無神経に生きてるつもりだけど本当に傷つくことのない
人間になれたらいいのに。そう思うときもある。
『いつまでこんなこと、繰り返す?』
永遠に続けるわ。
あなたの心にわたしの想いが通じるまで。ずっと・・・
そう言いたくても結局肝心な言葉は出てこず、わたしはそのまま白ちゃんに背を向けた。
「ばっかねぇ。で、失恋記録をこれでもかってくらい更新してるくせに、いまだ犬みたいにしっぽ振ってこんなとこで待ってるわけ?」
放課後になり、白ちゃんを待つためにかれの教室の前で座り込んでいたわたしの頬を大親友の夢が呆れたようにつねる。
「い、痛い!何よ、夢。いきなり。」
「悪いことはいわないわ。もう諦めなさい。秋月のやつ、午後に入ってから、どうしようもないくらいにため息ついてたわよ」
「ほ、ほっといてよ!今にでも幸せのため息に変えてみせるから!」
「ったく、どこからくるのよ、その自信。あたしは無難に結城光にしといたほうがいいと思うわよ。ほら、告られてるんでしょ?」
「そ、そんなのとっくに断ってるに決まってるでしょ!ってか、大声で言わないでよ、夢!白ちゃんに聞こえたらどうするのよ!」
いつのはなしだろうか。
夢はあいかわらず、古いはなしを持ち出すのが好きだ。
でも、今こんなところで大声でいわれては困る内容であることはたしかだ。
絶対にそっちにいけって言われるの決まってる。
「あー、大丈夫よ。あいつ、さっき先生に呼ばれて職員室に行っちゃったから」
あせってあちこち見回すわたしにあきれたように夢が肩をすくめる。
きかれる心配がなくて安心した反面、はなれたところにいるという事実もすこし残念に思える。
「むうう・・・同じクラスだなんて、本当に夢が羨ましすぎる!」
「変われたら変わってあげたいものよ。どこがいいのか、あんなヤツ。たしかに顔はいいけどいっつもむすっとしてるし、一人でいる方が好きみたいだし、近づきにくいったら」
「それでもモテるから困ってるのに」
「あーもう、もったいない。小春ならもっと他にいい相手がいっぱいいるのに」
「夢までそんなこと・・・」
だれもわかってくれなくて、悲しくなる。でも・・・
「ま、落ち込んでても始まらないわ。今日は放課後デートを楽しむことだけを考えないと。夢、じゃあ私、職員室に行くね」
また明日ね!と全力で駆け出す私に、がんばれよ!という夢の声がきこえてきた。
別に、焦ってるわけでもないし、時間がないわけでもない。
それでも、私は今という時は永遠ではないことを知っていた。
渡り廊下を突っ切った職員室前で、大きな絵画が飾られようとしているのを目にした。
「あ・・・」
これ・・・と、ふと足を止める。
「素晴らしいでしょ。県のコンクールで金賞をとったらしいわよ。さすが秋月くんね」
振り返ると、白ちゃんの担任の志木先生がかがやくような笑顔をわたしに向けていた。二ヶ月ほど前に、白ちゃんの担任の先生が産休に入り、その代わりといって突然やってきた若くて美人の先生だ。
「白ちゃん、こんな絵も描くんですね」
美術部の白ちゃんは、いつも天の才を持っているのではないか!と思うくらいに、美しくこころ暖まる壮大な絵を描く。でも、この絵は違った。
「地球の未来。がタイトルだそうよ」
赤々とした光が美しい地球全体を覆うようにして描かれていた。
「これが・・・地球・・・?」
いつも世界地図の教科書などで目にするそれは海の青々した色と大地の緑色のものがほとんどだったから、ぱっと見た感じではなんだかわからなかった。
白ちゃんらしい、天才による個性的なセンスというべきところか。
「いつか、こうなってしまう日がくる。そう彼はこの絵を通して訴えたいのかもしれないわね」
「どういう意味ですか?」
「先生にもわからない。でも、秋月くんにとっては、なにかを大切な意味をもっているというのはたしかよね。なんだか、さみしいわね」
先生は想いにふけるようにその絵を眺め、ふっと瞳を閉じた。
「じょ、情熱的って意味かもしれませんよ?」
「え?」
思わぬ言葉が出て、自分でも驚いてしまう。
「だ、だって白ちゃん、普段は明るい絵ばかりだし、これももっと何か他に意味がある気がします。もっと明るい未来を示すような・・・むしろ本当は、いっつもわたしたちが目にする地球の色のほうが偽りの色なのかも」
ただ、自分でない誰かが知ったように白ちゃんについて語るのはあまり気持ちのいいものではなかった。
「情熱的、ねぇ。たとえば、桃倉さんがかれに向けている熱い想いのような?」
先生はクスクス笑い、私はきっとこの絵と同じような顔色になったに違いない。
「志木先生、からかわないで下さい」
いつの間にか、あきれはてたように頭をかかえた白ちゃんがわたしの後ろに立っていた。
「あらあら、ごめんなさい」
「・・・俺がいたの、絶対知ってましたよね」
「まさか、そんなことないわよ」
先生は、きっとわたしが逆立ちしてもできないようなおとなの余裕を含んだ笑顔で白ちゃんをみた。
「でも、すてきな絵ね。つい見入っちゃったわ」
「ありがとうございます」
それではおじゃま虫は退散するわね!と、また楽しそうにわらい、先生は職員室に入っていった。
とり残されたわたしと白ちゃんの間には、いつもとはまったくちがう、とてつもなく気まずい沈黙が流れていた。
(せ、先生は白ちゃんの存在に気付いてたのね!)
わたしは恥ずかしすぎて泣きたくなった。
つい、あまりに完璧な志木先生相手だとヤキモチを妬いてしまってうまくいかない。
バカみたいにつっかかって、本当、これこそ子どもだ。
「ありがと」
「え?」
意外な言葉に耳をうたがった。
かなりのバカ面だろうけど、ぽっかり口を開けたままとなりの白ちゃんをみてしまった。
「絵、ほめてくれて。桃倉のように言ってくれたのは初めてだ」
もっと明るい、そんな未来を表す絵。
「も、もちろんよ!私が白ちゃんを想う気持ちはこの赤色くらいじゃ足りないけどね!」
もっともっともーーーーーっと激しく燃えるように赤々とした、赤色でも表現できないくらいの色。
すごくすごく嬉しくて、やっぱりわたしは白ちゃんの腕にしがみついてしまった。
白ちゃんは、おい!と顔をしかめたけど、それでもいつもみたいに離そうとはしなかった。だからわたしは本当に幸せな気分になった。
このまま時間が止まればいいのにって本気で思った。
白ちゃんが大好き。
この想いはきっと変わらない。
ずっとこの先、白ちゃんに大切な人ができて、かれをあきらめざるをえなくなる日がきたとしても。その日まで、わたしは白ちゃんのそばにいる。
わたしは白ちゃんが好き。大好き。
あの桃色にかがやく春の日、散りゆく桜の花びらを見つめ、悲しそうに涙を流していた白ちゃんを見てから。わたしは白ちゃんから目が離せなくなった。
白ちゃん。
なにがあったの?
ずっとずっとききたかった。
でも、わたしにはそれをきく権利がない。それはわかりきっていること。
きっとわたしには悲しいことは言えないだろうけど、それでも、それでもきっといつか、あなたの心の支えになれるような人になりたい。
私はそう願い、今日もまた生きていく。
「先生、なんて?」
学校を出て少し歩いたところで、なんとかはなしを続かせようと必死だったわたしは白ちゃんのほうをみた。空には赤々と美しい夕日が西の空に傾いていた。
「ああ、進路のことだよ」
「あ、そうか。来年から受験生だもんね」
すっかり忘れていた。
「白ちゃん、やっぱり芸大が志望なの?」
みたくなかった現実が、どんどん迫ってきている。ため息が出る。
「まだわからない。でも、原田先生が困ってたのはたしかだ」
「原田先生が?どうして白ちゃんのことで?」
原田先生はうちのクラスの担任だし、わざわざとなりのクラスの白ちゃんを・・・
「って、てか、原田先生ってことは・・・」
そうだ。白ちゃんの担任は志木先生だし・・
「そう。校内トップクラスの成績の持ち主の志望校がまさかの『白ちゃんと同じところ!』と奇跡的にもバカなことが書かれていたらしい」
「げ・・・」
あ、あれは夢がおもしろがって・・・
白ちゃんのあきれ顔にがっくりする。
わたしには先のことなんてわからない。
今、この瞬間だけで十分。未来はそれ相応についてくる。そう思ってる。だから進路希望書もそんなに深く考えずに出した。それだけだ。
でもまぁ、わたしがどれだけ勉強したところで、わたしの美術の成績が平均点以上にならないかぎり、白ちゃんと同じ進路はありえなさそうだということはたしかだけど。
「桃倉は将来が有望だと思う。だからもっと、自分に高望みするべきだと俺は思う」
意外なセリフだった。
「白ちゃん、わたしの成績、知ってるの?」
まぁ、さっき先生からいろいろ言われたのかもしれないけど、こんなふうに言ってもらえるとは思っていなかった。
わたしのことなんて、興味ないどころか、どうでもいいんだとばかり思ってた。
「そりゃ、なぁ。試験結果の時だってけっこう騒がれてるし」
心の中でガッツポーズが決まった気がした。
わたしのことをまったくといっていいほど興味を示さないかれに、試験結果くらい目を通すわよね、とどれほどムダだと思いながらも努力して自分の存在をアピールし続けてきたことか。ついに長年の想いが届いた気がした。
「だから、もっと真剣に先を考えた方がいい」
しかし、白ちゃんはまた同じことをくりかえした。
「そ、それは、努力すれば今からでも芸大への道は厳しくないってこと?」
「い、いや、だから・・・」
真剣な問いだったにも関わらず、わたしの脳天気な一言で白ちゃんを困った顔にさせた。なぜか直感でききたくない気がした。
それでも白ちゃんは続けた。
「俺は関係ないんだよ。俺なんかのことで左右されてこれからの人生のこと、考えないでほしい。他の誰にもない可能性を桃倉は持ってると思うからさ。未来を動かす力だって、あるかもしれない」
「白ちゃんの心を動かす力の方が欲しい」
「・・・もう」
白ちゃんの声があきらかに疲れはててきこえ、冗談でもいいから同意しておけばよかったと自分に自己嫌悪した。でも・・・
「わたし、先のことなんて、よくわからない」
わたしから出たこたえはこれだった。
「たとえば、桃倉は物語を作るのが得意だから、大学では文学部の道に進むとか?」
「物語?って、そんなの書いたことないよ?」
作文だって、夏休みの宿題くらいだし。
「ほら、いつも俺の絵をみていろんな物語を考えて楽しそうに語ってるだろ。あれも一種の特技だと思うけど?」
ああ、あれは唯一、白ちゃんが興味を持ってこっちを向いてくれるからついついくせになってつくってるからで・・・って、言えやなしないけど。
「でも、あれは白ちゃんの絵のタイトルに合わせてるだけであって、わたしが一から考えたわけじゃ・・・」
黄色く描かれていたら、希望の光。
一面緑で埋まっていたら、壮大な大地。
青で彩られていたら、白熱した常夏の海。
わたしはあまり絵には詳しくない。だけどいつもタイトルによって白ちゃんの描く絵は美しくキラキラ輝き続けている。だから簡単に物語がつくれるのだ。ちょっとタイトルから想像すればいいだけのこと。今日見た赤色が重視な絵だってそうだった。
「どんな残酷な絵を描いても、桃倉はいつも笑顔で命ある美しい物語に変えてくれる」
「ざ、残酷な絵も描いてたの?」
あっちゃ~と頭痛を感じた。
「わ、わたし、いつも知ったかしてたけど、結局白ちゃんの絵の意味、これっぽっちも理解してなかったのね?」
なんで答えを教えてくれなかったのよ・・・と泣き言をとなえてがっくりした。
ことば通り、穴があったら入りたくなったくらいだ。
「いや、凄いことだと思うよ。桃倉には、何か明るい希望を感じられるから」
「え・・・」
「だから、少しでも多くの人が桃倉みたいだったらな。って思う」
白ちゃんの口元が、珍しく緩んだ気がした。
わたしだけの知る、たまに見せる白ちゃんのこの表情にまたときめいてしまう。
・・・本当に、重症だわ、もう。
「さ、着いた」
白ちゃんがニシャっと笑った。
わたしの家の前で。
「なっ!」
はなしに夢中になっていてすっかり道を考えずに歩いていた。それでやけに今日はご褒美の笑顔が多いと思ったわけだ。
「悪いけど、本当に今日は用事があるんだ」
見るからに急いでいる様子の白ちゃんは、まちがいなく迷惑だっただろうのに、申し訳なさそうに頭をさげた。
(ああもう、わたしったら)
どれだけ毎日がんばっていても、こんなふとした瞬間に後悔してしまう自分が嫌だ。
「ご、ごめんね。また付き合わせて」
白ちゃんが断れないのを知っているからいつも勝手にはなしを進めてしまう。とっても悪いくせだ。
「桃倉」
白ちゃんの真剣な瞳がわたしを捉え、驚いた。
「志木先生にあまり近づかない方がいい」
「え・・・どうして・・・?」
ぽかんとしてしまう。
でも、こたえに困り、わたしに背を向けようとする白ちゃんに思わず声を荒げてしまう。
「せ、先生、いい人じゃない。」
白ちゃんとだってよく親しげに話してるし・・・だから思う。
「白ちゃんが近づいて欲しくないの?白ちゃんと先生は親しいから・・・」
言ってしまって、やっぱりまた後悔した。
なにも語らず遠ざかっていく白ちゃんの背中をみていたら、なんだかとても寂しくなった。
以前もこんな風にバカげた嫉妬したっけ。白ちゃんはよくモテるから。その度にこんな風に。
毎日を充実して生きている(つもりの)わたし。
でもそんなわたしも、タイムマシンに乗ってみたいと思うことはある。
白ちゃんの過去に行って、もっと前から出会いたかった。何度も思った。
一度、思わずそのことばをぶつけてしまったとき、そんなことありえないと白ちゃんは笑っていた。わたしだって、本当にどうかしてるって自分でも思う。
「嫉妬深いなんて、わたしもまだまだねぇ・・・」
だから、もうあまり深く考えず、わたしは家の中に入った。いつものように。
追いかけてでももっと詳しく聞いておけばよかったのに。
わたしは、あえてこれ以上ふみこまない選択肢をえらんでいた。
なにがあっても、後悔だけはしないと、そうずっと思っていたのに。
白ちゃんが学校を休むようになったのは、それからだった。
四日目になり、こんなに続けて休むなんてありえない。そう焦るわたしが耳にした、夢のことばはもっとありえないと思える現実だった。
「こら、桃倉、廊下を走らない!」
「せ、先生、白ちゃんのこと、知ってますか?」
担任の原田先生の怒鳴れても、そんなこと気にせず、わたしは無我夢中でそのまま先生にしがみついていた。
頭痛が走った。
その後の先生のはなしはよく覚えていない。
二度くらい、バカなことを言ってないでそろそろ本気で進路のことを考えろと言われたような気がする。・・・どうでもいい。
私はそのまま、校舎を飛び出した。
気付いたら、裏庭に出ていた。ここではいつも白ちゃんがスケッチを続けていた場所。
今はそこに、だれの姿もない。
「ど、どうして・・・」
なにもかもが信じられなくなってしゃがみ込む。
『秋月白夜?誰だ、それ?』
先生も、やっぱりそう言った。
『だれも休んでないわよ。そもそも、白ちゃんなんて人、うちのクラスにいないけど?』
昨日まで、気づかうようにおずおずと白ちゃんが休んでいるはなしをしてくれていた夢までそう言い放った。
頭がおかしくなりそうだった。
先週、白ちゃんに告白したらしい、夢のクラスの友香ちゃんに聞いても、はじめはびっくりしたように大きな目を見開いたけど、やっぱり知らないと言われた。
あんなに好きだ好きだって、わたし以上に騒いでたくせに・・・
「ど・・・どうして・・・」
白ちゃんの存在が、誰にも信じられないなんて・・・まるで存在してなかったように。
頭を抱えたら泣けてきた。
「どうして・・・」
「桃倉さん?どうしてこんなところにいるの?まだ授業の時間でしょ?」
探していた、声がきこえた。
わたしは涙を必死に堪え、振り返った。
きっと、この人に話さないといけない気がしたから。
だから、真っ直ぐに志木先生を見た。
「で?わたしにもその【白ちゃん】って人の存在を覚えているか、聞きたいの?」
先生は、そのまま黙って静かに瞳を閉じた。
「お、覚えてますよね?あ、あの職員室の前の絵を描いた・・いっしょに話しましたよね。」
わたしは必死だった。
原田先生は知らないと言ったけど、あの時、一緒に話していた志木先生なら・・わかるかもしれない、と思った。
「だ、誰も覚えてないとか、ありえない・・・」
こたえをきく前に、思わずこころの声が口から出ていた。
「桃倉さん・・・」
勘違いだ。そんな覚えはない。
またそう言われるのだと思った。でも・・・
「悪いことは言わないわ。もう二度と、その名前を口にしない方がいいわ。」
やっぱり先生は知っていた。
「ど、どうして・・・」
ぞくっとしたとき、先生から予想外なセリフが返ってきた。
「いい。彼が大切なら、もう・・・」
わすれなさい。と、先生は言った。
「み、みんなもそうやって知らないふりをしてるってことですか?」
わすれるために・・・。
「違うわ。みんなは本当にわすれてしまったの。でも、でもあなたは・・・」
先生は悲しそうに私の瞳を見つめる。
「もう遅い、麻子。しっかりきいたぞ」
後ろから突然聞こえた声に、先生の表情が変わった。背の高い、日本人離れしたととのった表情の男性が立っていた。
「れ、レオ!」
「何だよ、おまえ。この学校の生徒は任せとけって言ってたくせに、ひとり見逃す気だったのか?しかもわざと」
「わ、わすれてるわよ、この子だって」
普段とは別人のように取り乱す、そんな先生に驚いた。でも状況がわからないため、私は整理できない頭を抱えたまま挙動不審におろおろとただふたりの会話をきいていた。
「どんな情がわいたかは知んねぇけど、ちゃんと言ってやんないと、この子のためにもなんねぇと思うぞ」
そして、レオと呼ばれたそいつは私に瞳だけ向け、簡単に言った。
「おまえがちゃんとあいつを忘れてやらないと、あいつは生きたまますべての能力を奪われることになる」
「は・・・」
な、なにを言っているの?
そいつの言っている意味と、突然先生を動揺させる人物が現れたことにわたし自身は混乱しきっていて、まったくなにがなんだかわからなかった。
「つまり、人でなくなる」
冷静に言い放たれたことばに、なぜか体が硬直した。
「ひ、人で・・・」
「れ、レオ!」
言われている意味を理解しようと必死に頭を働かせたけど、あたまの中はただ真っ白なままで、まったく働きそうにない。そんなとき、また先生が大声をあげた。
「いい加減にして。これ以上は・・・」
「麻子、こんなうそ、すぐにばれる。おまえだってわかってるんだろ」
な・・・なに、言ってるの?の、能力を奪う?
私はつかいものにならなくなった頭を必死に整理しようとする。
それをかまわず、またレオが続けた。
「あいつは、ここの時代の人間じゃねぇ」
「え・・・」
「もっと先の時代から、タイムマシンを不正使用して、この時代に逃げてきやがった犯罪者だ」
「・・・は?」
た、タイムマシン?
「で、俺らが時空を守ってる警察ってわけ。あいつを捕まえにここまで来たんだ。ただ、証拠がなかったから長い間あの学校に張り付いて観察させてもらってたんだけどな」
たんたんと語るレオという男は、頭がおかしいのではないかと思えた。
わたしは信じられなかった。
「な、何言ってるの?白ちゃんがそんなわけないじゃない!中学校の時から知ってるって子もいるのよ!」
わたしは必死に怒鳴っていた。
だって、白ちゃんと同じ中学で過ごした子のはなしをきくたびにうらやましくなっていたことはまぎれもない事実だ。でも、レオは首を振った。
「あいつの時代では、簡単に人の心を支配することだって可能なんだ。なんてぇか、技術の進歩ってか、ここで言うとどういったことばにすればいいのかわかんねぇけどさ。実際、おまえのその感情もあいつに操られてるだけかもしれねぇし・・・」
「や、やめて、レオ!」
先生が必死に抵抗しているようにも見えるが、それでもそいつの指がわたしの額に触れたとき、いつの間にか腰がぬけたわたしは情けなくももう動けなくなっていた。
(あ・・・操られている・・・)
その言葉が、わたしのガラスのこころを粉々にした。
「桃倉、こっちだ!走れ!」
遠くの方で、声が響いたのはそのときだった。
目の前でまばゆい光がはじけて飛んだようにかがやき、辺りはその明るい色で包み込まれた。
気付いたら、だれかに腕を掴まれ、全力で走り出していた。光で前はよく見えなかったけど、それでもその腕の温もりに涙がでた。
「あいつらの次の地点は・・・そうだな、十五分後に北北西の八百メートル離れた川沿いの橋の下に隠れている。すみやかに回り込め」
うしろの方で、静かにそんな声が響いた気がした。それでもわたしは必死に走り続けた。
「それにしても、珍しいな。おまえが仕事に情をはさむなんて。しかも自分の命もかけて」
しばらく、駆けだしていく二人の行動を目で追い、レオと呼ばれた男は静かに自分の指を耳から外し、ぽつりと呟いた。
「だって、わたしたちは、あの子たちのようにキラキラした心を持っていないじゃない」
麻子は悔しそうに瞳をとじる。
「あなただって、その探知機を持ってしてかれが迫ってきてたこと、知ってたはずでしょ。それなのに・・・」
その問いに、レオは静かに笑った。そして、空を見上げた。
「たしかに、こんな空を見てたらさ、もう戻りたくはなくなるんだろうからな」
そこには一転の曇りもない青色が広がっていた。
「こ、こっちはダメ。あの人、橋の下にいるって知ってたもん!」
さっきのつぶやかれたことばは、わたしたちが向かっているところを示していた。
「あいつらはどこにいたって俺を見つけだせる。それより・・・」
足を緩め、力いっぱい握ったわたしの手をまた握り直し、白ちゃんはわたしの顔をじっと見た。
「ごめん、こわい思いをさせたな」
白ちゃんは静かに言った。
「は、白ちゃん。あの人の言ったこと・・・」
「ああ、本当だよ。俺は不正行為を犯して、この時代に逃げて来たんだ」
「じゃ・・じゃあ・・・」
泣きそうになるわたしの腕を掴み、白ちゃんはまたそのまま歩き出した。今度は橋とは反対方向に。だから少しわたしはほっとした。
「俺の時代ではさ、こうやって手を繋いで歩くことなんてなかったんだ」
白ちゃんが寂しそうな笑顔を私に向けた。
「何でも機械に頼ってれば外で動く必要もないし、ほとんど家の中にいても簡単に実行できる。薬で人を思い通りに扱ったり、逆に人にだまされない機械を使ったり、そんなことが一瞬にして可能にできてしまう世界なんだ。人と人は愛し合うことを知らないし、むしろ、次世代のことを考えて能力あるもの同士を繋ぐことなら可能だけど、ほとんどすぐに科学的になんとかなるし、人と出会う必要もない」
信じられないはなしが、頭の中でぐるぐる回る。
「でも、なんでもかんでも便利に生きてるからだろうな。もう行く末の世界を物語ってるような世界だった。俺の絵あるだろ?あれ、全部、俺の時代の絵なんだ。空だって、こんなに青くなくて、曇ったように真っ赤なんだ」
「は、白ちゃん・・・」
「だから、この時代に来た。ここなら、まだ間に合うと思ったから。だから少しでも多くの人に伝わるように絵をたくさん描いて、未来の現状を伝えようとした」
そこで、白ちゃんはおかしそうに笑った。
「でも、おまえは違った。いつも俺の絵を明るい物に変えてくれた。だから俺もこの時代の希望を捨てなかった。すごく、嬉しかった」
白ちゃんの指が、わたしの額に触れた。
「や、やめて!」
無意識にも体が反応した。
今、白ちゃんは、あの人と、あの人と同じことをしようとしているから。
「でも、俺がやらないと。あいつらがおまえを無事に帰してくれるとは思わない。おまえはあのレオってやつも見てしまったからな」
「み、みんなみたいに記憶が消されるの?」
「大丈夫。俺と過ごした部分だけ消すだけだから。すぐに終わるよ」
そして、白ちゃんは付け加えた。
「一つだけ信じて欲しい。俺は桃倉の気持ちは操っていない。たとえそれが可能でも」
白ちゃんの悲しそうな表情が目に入る。
わたしが、いちばんみたくなかった顔だ。
「あ、当たり前でしょ。わたしが一目惚れしたのはわたしの意志よ!白ちゃんの意志だったらもっとうまくいってるはずよ!」
ちゃんと放課後デートだって、すんなりできたはずだもん・・・そう言いかけてやめた。わかってる。
「い、言っとくけどね、白ちゃん。そんなに簡単にわたしの気持ちは変わらないんだからね。すぐにわすれられると思ったらおおまちがいよ」
わかってるよ。
「でも、消していいよ。そろそろしつこい女から解放してあげる」
消さないと、白ちゃんが人間じゃなくなる。
「でも、絶対いつか思い出すから。絶対」
そう言ったら、涙が出た。
「好き好き、白ちゃん大好き!もう、消される前にこれからの分も言っといてやる!」
「うん、俺も」
気付いたら、力一杯、白ちゃんの腕にだきしめられていた。全身の力が抜けた気がした。
「俺が全部覚えておくから。おまえの分まで」
と、耳元できこえた絞り出すような声にまた涙が溢れる。
「いっしょに見た空も景色も、毎日あたりまえのように帰ったあの道も。おまえが、初めて俺を『白ちゃん』って呼んでくれた日のことも。俺がそのとき、本当にうれしかったことも。毎日に明るい色がついて、とてもとてもしあわせに思えたことも」
うそつけ!と思ったけど、白ちゃんの腕にしがみついたままわんわん泣くことがせいいっぱいだった。
大きな夕日が燃えるように遠くで輝き、私たちを照らしていた。
「夕日のさ、あの赤さは俺、好きだったんだ」
「大切な人を失ってまでも手に入れないといけないような未来なら、私はいらないのに」
もっと白ちゃんを見たいのに、涙でぼやけて見えないし、本当に最悪だと思う。
「いつか、きっとおまえの物語が描くような未来が来る。きっと、そしたら・・・」
「そしたら、ご褒美にまたお茶に付き合って」
私の言葉に、白ちゃんは驚いたように目を大きく見開いたが、それでも今までに見たこともないような満面の笑みを浮かべた。
「ああ。約束する」
「うそっ!ほんとに?」
「ああ、ほんとにほんと」
そんな場合ではないとわかっていたけど、わたしは飛び上がってしまっていた。
だって、そんなの、絶対にきけない回答だと思ってたから。
「いっつも迷惑そうにしてたのに・・・」
「そ、そんなことないよ」
「うそ、してたよ!」
わたしがどれだけこころを痛めていたことか。
後ろの方で、迫り来る足音が聞こえた。
「そうだな。でも、大切だったんだ」
「お、おそいわよぉ」
そうにっこりして笑いかけたとき、白ちゃんは静かに私に口づけた。私は驚いて腰を抜かしかけた。でも、それと同時に頭の中で何かが弾け、大切なものを失った気がしていつの間にか意識を失った。
「小春、なにしてるの?ってか、先生はなんて?」
職員室の前で、いつの間にか大きな絵に見入っていた私は、夢の声にはっとした。
「あ、うん、大学合格おめでとうってさ。」
季節がながれ、わたしたちはもうすぐ卒業式をひかえていた。
「でも意外。小春が文学部に行くなんて」
「夢が教育学部に行く事実よりはマシよ」
夢のことばに、自分でも苦笑した。
わたしも、まさか自分が文学を好んで大学でまで勉強することを選ぶなんて信じられないくらいだった。
「はは、たしかに。で、なにみてたのよ?・・・ああ、これきれいよね。入学式の時に、感動したもん」
夢も気付いたように優しい瞳で絵を見入る。
そういえば、入学してすぐ、夢といっしょに校内探検して怒られたっけ。
そして、この絵を見つけた。
とてもとても大切な、そんな気がするこの絵を。
「ん?どうしたの、小春?」
「何だか、懐かしいの」
「もうすぐあたしたち、こことはお別れだもんね」
すこし間をおいて、うん、と答えたわたしはそれでもやっぱりいつものように涙がとめられなかった。
なぜ涙が出るのかわからない。いろんなことがうまくいって、本当に本当に幸せなのに。
だけど、どうしてだろう。赤々と地球を照らすような美しいこの絵の前でわたしは、前にも一度、とても幸せだと思えた気がする。
*****
ふう、とため息をつき、彼はそこで本を閉じる。足音が迫ってくるのに気付いたからだ。
またか、と頭をかかえたくなる。
「白ちゃーん!何読んでるのぉー?」
彼女は変わりなく、自分に笑顔を向けるのを見て、またため息が出る。
「白ちゃん、放課後、お茶でもしてかない?」
無邪気な彼女は大きな瞳を自分に向けてくる。彼は自分の鼓動の音が彼女に聞こえないように少し体をずらす。めまいがした。
「いつまでこんなこと、繰り返すつもりだ?」
思わず呟いてしまう。
これが、規則を破ったバツなのか?
悔しくて、にぎったこぶしに力がこもる。
・・・いつまで彼女にこの生活をさせる。
一日一日を大切に生きていると笑う彼女に、こんなこと・・・
きこえてしまったのか、彼女の表情がくもったのがわかった。でも、それでいいと思った。自分なんて早くわすれて、もっともっと笑ってくれればそれでいいと。
だが、それは一瞬のこと。彼女はいつものようにすぐに笑顔を作り直す。
優しい子なんだ。自分の表情をちゃんと読みとって、それでいて近づいてきてくれる。だからこそ自分とは関わるべきではなかった。
何か言いかけたようで、いつものように彼女は口を噤む。
そして、彼に背を向け、教室から出ていこうとする。
いつもいつもいつも、その繰り返しだ。
これからの行動だって、すべていやというほどわかっている。
もう、何度目になるかわからないこの光景の繰り返し。
「永遠に続けるわ。白ちゃんの心に私の想いが通じるまで」
そのあとに続いたことばに耳を疑った。
いつもなら、彼に背をむけたまま出ていくはずであろう彼女が、ふりかえってまた、彼にわらいかけていた。
「も、桃倉・・・」
「だから、早く私を好きになってね」
きっと彼女なら、未来を変えることができる。一歩一歩、その足で・・・そう思ったら、彼は、白夜は無意識に彼女を抱き寄せていた。
信じようと思った。この希望を、また。
運命に負けない女の子を書いてみたくてできた作品です。
楽しんでいただけると幸いです。
よろしくお願いします。