0枚。プロローグ
時間は、過去・現在・未来に区分される。
地球のいるそのどのような生物でも過去に戻ることは不可能だ。
生物はいつも過去を回想しながら、現在を生きながら、未来を想像する。
これが自然の理だ。
現在を生きる我々は遠い過去でも、遠い未来にも行けない。
しかし、もし、---人間が自然の理に逆らって遠い未来や過去に行くことになったら、果たして何が起こったのだろうか。
数人の科学者たちは過去や未来が大きく変わって、やや間違えれば、世界そのものが滅亡してしまうか知らないという。
例えば第2次世界大戦を起こした'アドルフ・ヒトラー'を戦争を起こす前に殺害すれば、第2次世界大戦は起きないようになるのだろう?
誰もしれない。
2次世界大戦が起こる可能性も、起きない可能性もある。 ヒトラーが起こしていなくても、、他の誰かが起こした可能性もある。
個人的に家にコンピューターを持っている理由が全くないと、1977年のケネス・オルセンデジタル・イクイップメント会長が話したことがある。 しかし、今パソコンがない家はほとんどない。
人間は月に足を踏み入れることができない。 未来にいくら科学が発達しても、と、1967年にリー・フォレストという博士が言った言葉だ。 しかし、人間は月に到達した。
このように未来は時々刻々と変わる。 だから私たちは知らない未来を期待して、また、期待する。
未来は誰もしれない。 誰も予測できない。
いつもと変わらなかった平凡な日に時間旅行を経験する少年があるように。
1)
"はっ、なんと!"
一直線に長く続いた散策路。散策路の設置されている街路灯の明かりが2人を照らした。
息を切らして昼の間、熱くなったアスファルトの上に両手を当てて、膝を屈している少年と薄い白い服を着ていて、左手には全部食べたアイスクリーム棒を右手にはキューブのような形をしたものを持っているおじいさん。
街灯の光はそんな二人を照らしている。
手のひらに確実に伝わっている熱さにもかかわらず、少年はアスファルトで手を離せなかった。
その熱さよりももう我慢できない頭を押さえつけてしまうような乱れのために。
おじいさんと少年は相手を凝視した。
"そう、どうだったの? ---自分の未来を見た所感が。"
荒い息を吐いている少年におじいさんはそう言った。
それが一生忘れられない、忘れてほしいといっても忘れられない'祖父'との初出会いだった。